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強面刑事  作者: M38
詐欺師
14/27

繭子

「……くそっ! どういうことだ?」

「あなた昨夜、わたしとウォッカの飲み比べをしたのよ? 覚えてないの?」

「繭子……禁酒してんじゃないのか?」

「……気をつけているだけ」

「病気か?」

「そんなことより、今日は早朝会議があるって言ってなかった? 朝食できてるわよ? 卵焼きは甘くしておいたわ」

「いっけねえ! そうだった!」

「あなたも歳ね……それよりも……」


 繭子はタオル1枚のまま、加納のそばに寄ってきた。長い手足にくびれたウエスト。スラッと背の高い、スタイルのいい女だ。


――キシリッ。


 形の良い胸がたわわに揺れる。ベッドが軋んだ音を立てる。十五年以上も使い込んだベッドだ。スプリングもだいぶ錆び付いているのだろう。ベッドに乗り上げた繭子は加納の腹に手を差し入れた。


「…………ッ!」


 そこには1年前の銃弾の跡が残っていた。


「3年前はこんなのなかった……だからずっと連絡がつかなかったのね……」


「……会議に遅れる! 柴田部長は時間にうるさいんだ!」


 加納はその手を払い、裸のままベッドから飛び降りた。取り残された繭子の髪が揺れ、ポタポタと落ちた水滴がシーツを水玉模様に変えていく。繭子は加納の裸体を見ると、キョトンしながら微笑んだ。


「……まだあの上司の下にいるの? 出世欲がないのね……ところで、パンサーはどうしたのかしら?」

「パンサー? あの黒猫か! 両親のところにいるぜ」


 パンサーは3年前、繭子に置いていかれた野良猫だ。


「そう……あなたに動物の世話は無理だったかしら」


 加納は繭子の視線が気になり、毛布を身に纏うとバスルームへと歩きはじめた。いつもそうだ。加納はこの女にいままで、ただの1度も勝てた試しがない。


 シャワーを浴びて部屋へ戻ると、きれいに整えられたスーツとワイシャツが用意されていた。キッチンからは良い香りがしてくる。台所に立つ繭子の元へ向かった。加納のシャツとズボンを身に付けていた。


「どうぞ、座って。あなたのボクサーをもらったわよ。ここって女性物の下着もないのね?」

「あったら事件だ! 下着ドロで現役の刑事が捕まっちまう。ワイドショーのいいえじきだろ? ところで……部屋を片付けてくれたのか。ありがとう。朝食も……」

「ゴミ屋敷には毎度、驚かされるけど。……いまだに何もかもが新婚のときのままなのね」

「片付けるのが、面倒なだけだ! それで、今回はいつまでいられるんだ?」

「一週間程度かしら?」

「仕事か?」

「完全プライペートよ。よかったらデートに誘って?」

「仕事がいそがしい」


 2人は無言で朝食を片付けた。頭の良い女はこれだから嫌だ。料理も完璧だ。加納はおかわりをしながら、心の中で毒づいた。


「鍵は開けっ放しでも構わないから……」

 

 食事を終えた加納は、玄関のドアを開けながら肩越しに強面を振り向けた。


「合鍵はいまでも持ってるわ。女の痕跡がないかと探してみたけど無駄みたい。もう少し掃除してから帰るわね」

「じゃあ……」

「いってらっしゃい」


 加納は無言で錆び付いたドアを閉めた。いつものごとく、繭子にさよならは言わない。



 その日の会議は長引いたが、いくら議論してもラブホで殺されていたキャバ嬢の犯人の目星はつかなかった。なんの進展もないまま、昼近くに解散となった。


「サンちゃん、こりゃ、迷宮入りかもな」

「永ちゃんにしては珍しく弱気だな。そういえば、繭子さん、どうした? おれ、先に帰ったから、あのあとどうなったか知らないんだ」

「繭子の話はやめておこう。それより聞き込みに……」


「あっ! 先輩! たいへんです! 事件です! 殺人事件!」


 加納と三宮のいる会議室へ、若狭が走り込んできた。


「おいおい、またかよ! 最近は気に入らないヤツがいると、なんでもかんでも殺しちまうんだな」

「それが! 署長直々に、今回の事件の被害者は加納刑事の元親戚だから、先輩方に担当してもらえって!」

「はあっ? おれの親戚だあっ!」


「おい、永ちゃん、元のってまさか……繭子さん……」

「えっ? 繭子なのか! 繭子が……」


「繭子? 殺されたのは女性ではなく男性です。田崎タサキ吉隆ヨシタカ64歳。田崎財閥の会長です!」

「なんだって! 繭子の伯父じゃないか!」


 加納と三宮は繭子の母方の伯父、神宮寺吉隆の屋敷を訪れた。

 そこは都心とは思えないほどの緑が生い茂る広大な敷地内に建つ豪邸だった。


「永ちゃん……すごい屋敷だな? よく来たのか?」

「来るわけないだろ! おれは嫌われてたんだ! 繭子の母親は兄の猛反対を押し切って弁護士となり、法曹一家の神宮寺家と婚姻を結んだ。当然、繭子の母親は遺言書からはずされたよ。ところが、聡明な繭子のことだけは田崎吉隆はかわいがった。本当に田崎吉隆が殺害されたなら、遺産は全部、繭子とその従姉の田崎奈々子にいくはずだ」

「従姉? 他にはいかないのか?」

「田崎吉隆の両親、繭子の母方の祖父母である先代夫婦は、トウの昔に病死している。田崎家は、戦争孤児で身寄りがなかった先代が1代で築いた財閥だ。娘と息子が1人ずついた。それが繭子の母親と今回殺された田崎吉隆だ。田崎は結婚していなかったが婚外子がいたんだ。銀座のホステスの子供だ。それが奈々子。母親のホステスは奈々子が中学のときに男と心中。奈々子は田崎吉隆に引き取られ、ずっと一緒に暮らしていたはずだ。仕事は家業の貿易会社を手伝っていたはずだ」

「なんで永ちゃんが、嫌われてたんだ?」

「繭子を掻っ攫ったっていってな! おれ、そのときまだ高校生だったんだぜ! 田崎に呼び出されて散々しぼられたよ! 田崎家は、孤児の身から1代でこれだけの財産を築いたんだ。ヤバイ仕事もいっぱいしてきたはずだ。田崎吉隆は2代目だが、妹が真逆の法曹の世界に入ったり弁護士と結婚したり、姪がこれまた弁護士になって貧乏警察官と結婚することには耐えられなかったんだ……にも関わらず、離婚したときにもここに呼ばれたんだぜ? 繭子にはすぐに男を宛がうから心配するなとかなんとか言われて!」

「そうか……永ちゃん、たいへんだったんだな」

「感情的になってスマン……今は田崎吉隆の現場検証だったな。さあ、行こう」


 加納と三宮は田崎吉隆の殺されていた寝室へ向かった。田崎は大きな寝台の中で、タオルで首を絞められ殺されていた。田崎は肝臓を患い寝たきりだった。夜は睡眠薬を服用していた。この日も飲んでから就寝した。死亡推定時刻は午前3時。屋敷内には住み込みのお手伝いが3人。看護師が1人。庭師が1人。執事が1人。雑用係の男が1人。そして独身の田崎奈々子も一緒に住んでいるが、田崎吉隆死亡時は婚約者のマンションへ行っていた。2人は夜中に痴話げんかを起こし付近の住民から110番通報されている。


「サンちゃん、セキュリティはばっちりだったんだろ?」

「ああ。だが、不審者が侵入した形跡もないし警告音も鳴っていない。防犯カメラにも何も映っていない。 部屋は特に荒らされてもいないし、争ってような跡も見受けられなかった。窓もドアもすべて施錠されていた」

「完全な密室か……金目の物も盗まれていなければ、怨恨等の動機も見当たらない。また迷宮入りか?」

「同じ管轄内でか? おっ、電話だ。はい三宮……ええっ!」

「なんだ? どうした?」

「永ちゃん、たいへんだ! 繭子さんが重要参考人として警察に居る! 永ちゃんとのアリバイを主張しているそうだ!」

「なんだと! そうか……繭子と昨夜……まさかあいつ、おれを利用するために……」

「永ちゃん……繭子さんに限ってそんなことは……」

「とにかく、すぐに署に戻ろう!」


 署に戻ると、繭子は取調室にいた。昨夜と同じ紺のスーツに白のブラウス。今朝の扇情的な雰囲気は微塵も感じらない。真面目な女弁護士に戻っていた。


「繭子……」

「伯父さまに会わせてちょうだい。アリバイは、あなたが実証できるでしょう?」

「ああ……帰っていいぞ」

「どうもありがとう。それじゃあ……」

「繭子! 昨夜は……本当に……偶然に?」

「でなければなに? 警察と一緒にわたしを疑う?」

「タイミングが良すぎる……おれは刑事だ。私情は挟まない」

「帰りにパンサーに会わせてもらうわ」

「繭子……」


 加納は女を見送った。5年前からずっと、彼女を見送ってばかりだ。

 取調室を出た加納を、三宮が待っていた。


「永ちゃん、お疲れ。繭子さん、変わらないな? おれは5年ぶりだったから、麻子は元気かって言われちゃったよ……」

「すまなかった……」

「それよりさ……こっち」


 三宮が署の外へ加納を誘い出した。


「繭子さんがアメリカに行ってからのこと、詳しく聞いたか?」

「いや……」

「永ちゃんは知ってた? 子供がいること?」

「こども……?」

「ああ。おととしニューヨークで産んだそうだ。父親は公表していない。未婚のシングルマザーだ」

「男……性別は男か?」

「え? ああ……知っていたのか? 男の子だそうだ」

「そうか……それで禁酒……香水もやめたわけだ……今回の渡航目的は?」

「田崎吉隆の見舞いだ。滞在先も田崎邸。だが、見舞いもソコソコに帰国早々『ムーンマジック』に現れた」

「怪しいな……子供の父親は?」

「誰にもわからないそうだ。繭子さんはご両親にも知らせていないそうだ。彼女は3年近く日本に帰っていない。ただし……3年前、職場の上司と不倫の噂があった。アジア系の男性だ。それが元で弁護士事務所を移っている。今は……白人の男と子守とルームシェアをしている」

「そうか……ありがとう」

「……どうする?」

「とりあえず退社時間だから、『ムーンマジック』へ行こう。昨夜の話を第3者たちから聞いてみるよ」

「わかった」


 繭子の話は、やはりショックだった。魅力的な彼女に男がいないわけがないと思っていたが、まさか子供までいたとは。


 加納は三宮と『ムーンマジック』へ出向いた。


「繭子……」


 奥のボックス席に繭子がいた。

 三宮は気を利かせて手前のカウンターに座った。

 加納は繭子の元へ向かった。


「また会ったわ。容疑者と刑事がプライベートで会うのはまずいんじゃない?」

「ちょうどよかった……子供の話を聞かせろ。誰の子だ?」

「誰にも言ってないのよ。言うと思う?」

「繭子に似ているのか?」

「ブラックヘア、ブラックアイとだけ言っておくわ。その他は秘密」

「なぜ昨夜、言わなかった? 間男はゴメンだ!」

「あなたも銃痕の説明をしなかったわね。離婚のときもそう……はっきりとした理由を聞かされていないわ」

「すんだことだろ? おれをわずらわせるな」

「それより……奈々子がお別れの会を開くそうよ。3日後の夜……あなたも来て」

「なんで、おれが! 捜査が……」

「だって……あなたはわたしの関係者だから、今回の事件の捜査チームからはずされたんでしょ? 署長さんが教えてくれたわ。北野さんがなってたのね? びっくり。あのころは、あなたより下だったのに……」

「ったく! 1人で行けよ!」

「わたし、シングルよ。菜々子にはハンサムな婚約者がいるのに……かっこつかないわ」

「自慢の脚を見せていけよ。男なんてうようよ寄ってくる! 既婚者もな!」

「わたしよりも噂を信じるの? 奈々子はあなたに気があった。犯人の可能性があるのはあの子とわたしの2人でしょ? あなたお得意の単独捜査のチャンスじゃない」


 人にチャンスをもらうのが大嫌いな加納だが、今回は繭子に免じて折れることにした。

 昨夜の失態を知っている『ムーンマジック』の従業員の好奇の目に晒されながら、1杯も飲まずに店をあとにした。

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