解決
浅野武は素直に全部を白状した。
発端は株の損失だった。数千万単位の損失で借金に追い詰められた浅野武は、妻の浅野弥生と共にある計画を実行に移した。上司の鏑木右近を殺害してＵＳＢを奪い、中のデータを莫大な金で企業や敵対組織に売る。その罪を、帰国してくる国際指名手配犯の佐藤和馬にすべて擦り付けるのだ。不正入手の携帯電話を何台か用意しておいた。
10年前に佐藤和馬と約束した、５月がやってきた。佐藤和馬が電話を寄こした時点で、警察へ不正入国ルートと佐藤和馬の垂れ込みをしておいた。
５月上旬、上司の鏑木右近が家族で食事をしているレストランへ、妻の浅野弥生に食中毒になったという嘘の電話を入れさせ、救急車とパトカーも呼ばせた。鏑木右近と２人でレストランを出発した。鏑木右近はお茶に混ぜた合法ドラッグを飲ませて眠らせておいた。あらかじめ調べておいた鏑木右近の自宅近くにある、監視カメラのない路地へ車を停めた。鏑木右近の頭に彼の拳銃で１発撃ち込み殺害。背広の内ポケットからＵＳＢを盗み逃走。そのままゲイバー『アネモネ』に住み込みで働きはじめた。前々からこの店を潜伏先にする計画だった。
しかし、ここで誤算が起きた。朝倉清司が鏑木右近の胸に銃弾を撃ち込んでしまったのだ。これは闇の処刑方法だ。ヤクザの間でたちまちの内に、鏑木右近の死の背景には何か大きな組織の陰謀があるのではないかという憶測が駆け巡った。そのため、浅野武はＵＳＢを売ることが出来なくなってしまった。
浅野武は計画を変更し、ＵＳＢに記録されていたオレオレ詐欺の仲間たちを恐喝し、金を強請り取ることにした。佐藤和馬が恐喝しているように見せ掛けるため、朝倉家の事件のグループに的を絞った。10年前の仲間全員に電話を掛け、家族や親類に詐欺のことをバラされたくなかったら５００万円用意しろ。金の準備が出来次第、連絡を寄こすようにと脅しをかけた。10年前の事件を強調する意味で、朝倉家から騙し取ったときと同じ金額の５００万円に設定した。箕輪薫がすぐに連絡を寄こしてきた。箕輪薫の仕事帰りに、占い師に変装した妻の浅野弥生に金を受け取らせた。
ここでまた、誤算が起きた。吉田精一が脅迫を苦にして自殺してしまったのだ。浅野武と妻はそれを殺人だと思い込んだ。佐藤和馬が吉田精一を殺し、５００万円を奪ったと誤解した。２人は脅えた。やはり、吉田精一の死はすべての事件の引き金になっていたのだ。
佐藤和馬は警察からもヤクザからも逃げ伸びていた。彼は偶然にも、吉田精一が死んだ直後５月の中旬に、浅野武に電話を寄こしてきた。浅野武は、佐藤和馬を殺すつもりで、『アネモネ』で働くように呼び寄せた。だが、なぜか佐藤和馬は浅野武がわからないようだった。10年の歳月はお互いの容姿を変貌させていた。佐藤和馬は額の傷がなければわからないほど面影がなかった。浅野武は佐藤和馬を『アネモネ』で監視しながら、利用目的で生かしておいた。
一方、乙神八雲は払える金が無いと訴えてきた。本当に無いようなので、『アネモネ』で働かせることにした。自分の素性は明かさずに近づき、ある男から頼まれていると言って金を巻き上げ続けた。
６月に藤原達也から連絡があり、５００万円を払うと言われた。浅野弥生はスナックの前で藤原達也を占い師姿で待ち伏せた。ところが藤原達也は、妻に疑われたので一気に下ろせなくなった。１日５０万円ずつでないとＡＴＭからは下ろせないと訴えてきた。仕方なく、浅野弥生はそれから１週間も辻に座り続ける事になった。だが、最期の日に金を持ってこなかった。それどころか、おまえはオレオレ詐欺の仲間だった女だろう、家も知っているんだぞと言われた。藤原達也は頭の良い男だった。前の晩、こっそり浅野弥生が帰るところを家まで付けていったのだ。カツラと眼鏡を取った顔に見覚えがあった。10年前、一緒に掛け子をやっていた女だった。浅野弥生は咄嗟に嘘を吐いた。借金があり、出来心でやった。金は返すから、夜中にまたここに来てくれと。浅野弥生から電話を受けた浅野武は、藤原達也をスナックの前の路地に連れ込んで殺す計画を立てた。夜中に藤原達也がやってきた。浅野弥生は正面の路地の奥に金を置いたと嘘を吐いた。藤原達也が路地に入っていくのを見届けてから、浅野弥生は逃げた。路地の奥の暗がりでは浅野武が待ち伏せていた。手袋をした手で背後から藤原達也に襲い掛かり、ネクタイで絞殺して逃走した。『アネモネ』に戻ると佐藤和馬にメモを渡して現場に行かせた。佐藤和馬は慌てて、帽子も被らずに出かけていった。
弥生には翌日も念のために辻に座らせた。１週間も居た女占い師がいなくなったら、疑われると思ったからだ。様子見も兼ねていた。警察の捜査がどうなっているか知りたかった。もしも弥生が捕まったら、自分だけ逃げるつもりだった。弥生は占いで上手く人を騙し、犯人をストーカーの学生に擦り付けてくれた。
浅野武は、藤原達也に妻の正体を見破られたことで不安になった。同じ掛け子だった箕輪薫も、浅野弥生に気がついていたのではないかと疑心暗鬼になった。口封じのため、翌週『アネモネ』が定休日の月曜に、箕輪薫を同じ手順で殺すことにした。箕輪薫は３交代で働いていた。この日はたまたま帰りが真夜中だった。箕輪薫の家の最寄り駅で、浅野弥生が占い師姿で夕方から待ち伏せしていた。浅野弥生は、手はず通りに監視カメラのない路地裏へ箕輪薫を連れてきた。額に傷のある男が待っている、金で解決できるからと伝えるだけでよかった。箕輪薫は藤原達也の事件に脅え切っていた。佐藤和馬の仕業に見せかけるため、事前に街灯を壊しておいた。中で待ち受けていた浅野武が、箕輪薫の背後からネクタイで首を絞め殺害した。翌日、浅野弥生が警察に額に傷のある男を見たと虚偽の電話を掛けた。
箕輪薫を殺した翌火曜日。『アネモネ』へ聞き込みに来た刑事に佐藤和馬を垂れ込んだ。警察が『アネモネ』に踏み込んできた。だが、思いがけず自分が人質になってしまった。そのとき、いいタイミングで乙神八雲が逃げ出した。乙神八雲はオレオレ詐欺の常習者だから警察が恐かった。刑事が張り込んでいることを知っていた浅野武は、乙神八雲に何かあったら向こうの路地にいる女占い師に助けを求めろと指示をしておいた。あらかじめ、『アネモネ』の近くにある監視カメラのない狭い路地の街灯を壊しておき、妻を占い師の格好で待機させておいたのだ。案の定、刑事たちから逃げ出したモンロー姿の乙神八雲は、浅野弥生に助けを求めた。浅野弥生は乙神八雲を路地の奥に連れて行き、合法ドラッグを混ぜた飲み物を与えて眠らせた。すぐにモンロー姿の浅野武が到着して乙神八雲を絞殺。浅野武は妻とそのまま連れ立ち、途中で扮装を解いて自身の新宿の実家へ隠れた。次の日からは、いつものように『アネモネ』で住み込みで働いていた。
「そういうことか……おまえは本当に悪い奴だな！ 妻の浅野弥生はどうした？」
「金を全部、持って逃げたよ！ 合計１千万円はあったはずだ……本当のワルは、あの女だ！ 今回の計画も弥生の発案だ！ 弥生は占い師に憧れていた。やってみたかったんだろう……今度の計画の１番の誤算だ！ ２番目は、佐藤和馬が死んでいたことだ……」
「誤算？ 見事におれたちを騙したじゃないか？ 女占い師で！」
「いいや！ 弥生はあんたに出会っちまった……おれが特殊部隊にいたころ、加納刑事、あんたは新人のトップとして警察じゃ有名人だった。弥生があと１日、占い師にならなければ、あんたに会わずに済んだのに……おれたちは逃げのびることが出来たはずだ！」
「お褒めにあずかり光栄だね。言いたいことはそれだけか？ 10年前、おまえたちが騙し一家心中に追いやった、朝倉清司と麗子には何かないのか？」
「ねえよ……弥生がやったオレオレ詐欺は、あの１回だけだ。ターゲットの朝倉家が一家心中したことで、若かった弥生はひどくショックを受けた。もう、２度と詐欺はやらないと言って手を引いた。朝倉の家の娘役もやる予定だったから、朝倉麗子という名前は一生忘れられないと常々言っていた。あんたに名前を聞かれたとき、思わずその名を名乗っちまったらしい。そのまま、朝倉麗子の名を利用させてもらった。上手く騙せたはずだったのに……」
「浅野弥生も年を取ったということか……平気で人殺しの片棒が担げるようになったのだからな……」
「すべて金のせいだ！ 弥生は若いころからパチンコ依存症で、金が常に必要な女だった！ おれはただ、金が欲しかっただけだ……」
「あんた、仮にも特殊部隊だったんだろ？」
「金がいいからがんばっただけだ」
「そうか……もう、おれからは何も言う事はない。せいぜい、罪の重さを身に沁みろ！ ＵＳＢが命取りだったな」
加納は強面の顔をもっと怒らせて、浅野武を睨み付けた。彼はＵＳＢを思い出し、蒼い顔で震えだした。当然だ。闇の社会を裏切ったのだ。この先、浅野武を制裁が待ち受けているかもしれない。
「永ちゃん、これで１件落着か……浅野弥生の行方がわからないが……」
「ああ。必ず見つけ出してやる！」
「指名手配をしたけど、これといった特徴のない女なんだよな……化粧を落としたら、誰だかわからないぞ？」
「サンちゃん……今回の事件は、10年前の悲しい出来事を、更に拡大して幕を閉じることになったな……」
「被害者が10年前の加害者だったなんて……家族は一生、十字架を背負うことになる……」
「すべての発端は、佐藤和馬の高橋弥生に対する想いだ……オレオレ詐欺に、愛する女を引き入れるべきではなかった……」
「ええっ！ どういうことだ？ もしかして……」
「ああ、そうだ。佐藤和馬が最期まで愛していた女、10年前、彼と恋人関係にあったのは……浅野弥生だ！」
