番外編 ライルは日本で異世界無双する? その5
さて、ライルお兄ちゃんとおじいちゃん師範は手合わせのルールを話し合って、防具無し(ミスリルアーマーを着るわけにはいかないからね!)とか攻撃は当てずに寸止めとかいろいろなことを決めたようだ。
けがをしちゃいけないからね。
日本では、すごいミルクセーキは出せないからね。
わたしはひとり離れたところ、つまりヒロに『ここにいろ』と指定された四角のところで正座をして、ふたりの勝負を見守ることにした。
どうしよう、どっちを応援しようかな?
ひいきしてるのはライルお兄ちゃんだけど、おじいちゃん師範にも小さい時から可愛がってもらった義理というものがあるしなあ。
どっちが強いかも微妙にわからないし……わたしがお兄ちゃんと手合わせした時は、ガンガン魔法で底上げしていたけど、さすがに今は魔法を使わないだろうしね。
そうなると、とても強いおじいちゃん師範と互角くらいなのかな。
ああでも、ライルお兄ちゃんのかっこよさに、乙女心できゃあきゃあ言ってしまいたいよ、ライルお兄ちゃんがんばってーとか熱い声援を送って、こっちに向かって流し目でももらったら、わたしはきゅんきゅんして床をごろごろ転げ回ってしまうよ!
それは照れるね!
照れるけど嬉しいね!
ああでも、わたしの心がライルお兄ちゃんのものだと知ったら、いつも美味しいお菓子や飴をそっと手に握らせて嬉しそうな顔でわたしを優しく見るおじいちゃん師範の心を傷つけてしまうかもしれないね!
伝説級に強くても、おじいちゃんの気持ちは意外とデリケートなんだよ。
傷つけたくないんだよ。
ああ困ったね、困ったね。
わたしが脳内であわあわしているうちに、定位置についたふたりは向き合って礼をした。
おじいちゃん先生は竹刀を前方に構え、ライルお兄ちゃんは腰を低く落として竹刀を剣のように横に構えた。
いつものにこやかな顔ではなく、相手をキリッと見据えた戦士の顔になっている。
ぎゃー、お兄ちゃん、構えただけでももうかっこいいよ!
マジ顔になると、フツメンがイケメンに見えるマジックフィルターがかかるよ!
わたしは背筋をピンと伸ばして、心の中でハアハアした。
先に仕掛けたのはライルお兄ちゃんだった。
なんて速い動きなんだ!
低い姿勢で飛びだし、そのままおじいちゃん師範に竹刀を振るう。それを受けたおじいちゃんは、お年寄りには思えない素早いステップで力を横にかわし、払った竹刀をそのまま上段に構えてライルお兄ちゃんに振り下ろす。
おじいちゃん師範もすごいよ!
あんな目にも止まらないような竹刀の動きを見切っているよ。
しかし、おじいちゃん師範の動きを読んでいたライルお兄ちゃんは、床に片手をついて回転しながらあっさりとかわすと、両手で構えた竹刀で下から斬り上げる。
翻る袴が、巨大な鷲の翼のようにバサリと宙に舞ってるよ。
ヤバいわー、武道男子、かっこいいわ!
間一髪でライルお兄ちゃんの鋭い攻撃をかわしたおじいちゃんは、お兄ちゃんに向かって竹刀の先を突き出す。
それを避けたお兄ちゃんがひらりと飛んでおじいちゃんの後ろに回り竹刀を振るうも、おじいちゃんが軽くいなして続けて脇への攻撃。
受けたお兄ちゃんは攻撃の力を横に流して、後ろに大きく下がり、再び低く竹刀を構える。
正統派剣道のおじいちゃん師範と、両手剣のように竹刀を扱うライルお兄ちゃんの手合わせは、実力が拮抗して見どころ満載だ。
地を滑るような身のこなしでふわりとライルお兄ちゃんの鋭い竹刀をかわしては、無駄のない動きで効果的な攻撃を繰り出すおじいちゃん師範と、重力を無視したような、まるでワイヤーアクションを見ているような軽い身のこなしで、道場内を飛ぶように動き、緩急自在な太刀筋で相手に斬りかかるライルお兄ちゃん。
今夜稽古に来ていた幸運なギャラリーたちは、このハイレベルな試合を一秒たりとも見逃すまいと、固唾をのんでふたりの動きを見守っている。
わたしも、両手をぎゅっと握りしめて、黙って手合わせの様子を見つめた。
こんなに激しい攻防なのにふたりは息を乱すことなく、しんと静まり返った道場内には竹刀が打ち合う鋭い音だけが響き渡る。
手練れの戦士同士の戦いは、動きのひとつひとつがとても美しくて、見ていてちっとも飽きないし、ふたりともすごくかっこよく見えて胸がきゅんきゅんする。もはや芸術品だ。ビジュアル系だ。トップアイドルも真っ青なモテモテ要素たっぷりだ。
どれくらいの間打ち合ったのだろうか。お兄ちゃんの繰り出した竹刀で、おじいちゃん師範の竹刀が弾かれた。
「危ない!」
「リカさん!」
竹刀はくるくると回りながら、正座をしていい子で見ているわたしに向かって一直線に飛んできた。
「わあ」
わたしは左前方の床に倒れ込んで、そのままくるんと回転した。
竹刀がわたしをかすめて、そのまま壁の腰板にぶち当たった。
わたしは気にせず回転した勢いでそのまま立ち上がり、ライルお兄ちゃんに向かって駆け寄った。
「わーい、お兄ちゃん、かっこよかったよー! リカが勝利のキッスを」
「いりません」
萌え萌え袴姿に抱き着こうとしたのに、あっさりかわされてしまったよ!
さすがライルお兄ちゃんだね!
今の動きは、手合わせの時と同じくらいに真剣だったよ!
そんなにわたしのちゅーが嫌だったのかよーっ。うっきーっ。
勢い余ったわたしは、またしても床に飛び込んでくるんと一回転だよ。
「もう、お兄ちゃんたら! 勝利のちゅーまでするのが剣道のお作法だよ!」
しゅたっと身を起こしたわたしは腰に手を当てて、ぷんぷんのポーズをとった。
「そんなもんねーだろ!」
すかさず突っ込むのはもちろんヒロだ。
「はっはっは、わしが勝ったらリカちゃんにちゅーしてもらえたのかな」
おじいちゃん師範が言うので、わたしは真剣に考えた。
「うーん、うーん、後で飴をくれるならいいかな」
「安いちゅーだな! ってか、ねーちゃん、けがはないか?」
「大丈夫、ちょっとかすっただけだから。まったくのノーダメージさ!」
わたしは心配するヒロを安心させるように言った。
「リカさん、すみません」
謝るのは真面目なライルお兄ちゃんだ。
「危うくけがをさせてしまうところでした」
「わたしは結構すばしっこいから、あのくらいは平気……ああっ、しまった! けがをしたらお兄ちゃんに責任をとって、お嫁にもらって」
「とりませんもらいません」
返事速いよ!
「ま、まあ、とにかく、いい試合だったね」
わたしは腕を組んで、うんうんと頷いた。
「腕としては互角に近いかな? 今回はお兄ちゃんが勝ったけどさ、途中、おじいちゃんがぎゃっとしてぱっとしたところをこうしゅたっとしたらひゅっとなってがっとくるところだったからね!」
「……はい?」
お兄ちゃんの目が点になる。
そして、おじいちゃん師範は「はっはっ、さすがリカちゃん、わかっておったか!」と機嫌よく笑った。
おじちゃん先生とお兄ちゃん先生は、「うーむ、どこかなあ」「だめだ、まだ修業が足りない」と首をひねり、ヒロは「だーっ、さすがねーちゃん! くそっ、俺には全然わかんねーよ!」と悔しそうな顔をする。
「すみません、リカさんは何を言いたいのですか?」
「だからー、ぎゃっとしたところがライルお兄ちゃんのピンチだった話だよ」
「……わかりません。僕も修業が足りないようです」
「んもう、仕方ないなあ」
わたしは壁際に行って、そこに転がってるおじいちゃん師範の竹刀を拾ってとことこ戻った。
竹刀って結構重いんだよね。
「じゃあ、再現するよ。お兄ちゃんはそこでこう構えて」
わたしが腰を低くして、お兄ちゃんと同じように竹刀を横に構えて見せる。
ライルお兄ちゃんは目を細めてから、構えをとった。
「いい、終盤のところだよ。おじいちゃんがライルお兄ちゃんにこう打って出たよね」
わたしは竹刀を振り上げて、ライルお兄ちゃんに向かって踏み込んだ。そして、ゆっくりと胴を狙う。
「……ああ、なるほど、ここで僕がこう受けたところですね」
お兄ちゃんは納得した顔で、ゆっくりとわたしの一撃を受けた。
「そして、こう出ました」
「そう。おじいちゃん師範はここでこう受けたけど、もしもこれを横にいなしてから」
いったんお兄ちゃんの竹刀を受けたわたしは、いったん戻って違う動きをして見せる。
「こっちに来て、こう持ってきたら」
「あっ、僕の体勢に隙が出ます」
「うん、そこを攻めると」
わたしは横に動くと同時に竹刀を突き出した。ライルお兄ちゃんの喉元に、竹刀の先がぴたりと止まった。
「これだとおじいちゃん師範が一本勝ちしてたね」
「おおーっ、」
「なるほど、そうか!」
ギャラリーの皆さんから感心した声が上がる。
「……リカさん、もしかしてあなたは今の手合わせをすべて覚えているのですか?」
「うん! 最初から全部再現できるよ!」
ライルお兄ちゃんに向かって、えっへんと胸を張った。
「ねーちゃんは、自分は筋力なくて戦えないけど、こういう戦闘関係のものを見切る才能があるんだぜ。全部覚えて、おまけに何手も先まで分析しちゃうんだ。ねーちゃんと格闘ゲームすると、俺絶対勝てねーし。うちの部活が全国まで行ったのは、ねーちゃんがマネージャーだったからって言われてるんだ」
「ふははははは、恐れ入ったか! コントローラーが火を噴くぜ!」
ヒロの言うとおりだよ。わたしはこと戦いに関することになると、すごい勢いで頭が働くんだよね。反射神経はいいから、動きを真似することもできるし、剣道部では部員の特性を見抜いてスキルアップさせるのに一役買ったんだ。他校のライバル選手を全部分析して先生にすごく誉められたよ。
調子に乗って、「ふははははは、今日から全部員はわたしのことをリカ様と呼んで、ホストクラブ並のサービスをするのだ! 顧問も含めて!」と言ったら、先生に「良い子はそういうことを言ってはいけません」とデコピンされたよ!
「……なるほど、そこにたまご戦士の非常識な強さの秘密があったわけですね……」
ライルお兄ちゃんが呟いた。
「まあねー。わたしの秘密をひとつ、知られちゃったね! そうだ、他にもわたしの乙女としてのちょっと恥ずかしい秘密を知りたかったら」
「結構です」
だから、返事速いよ!
稽古が終わり、ライルお兄ちゃんは元の服に着替えた。ズボンが短いけど、元々の体型がかっこいいからそういうファッションなのかなと錯覚させられるよ。
来たのが男くさい剣道場でよかったよ、女子の多い場所だったら、近寄ってくるうっとり女子を蹴散らすのに苦労しちゃうところだったよ。
お兄ちゃんの素敵な試合にうっとりした男子が熱い目で見ているけど、そういうのはお断りだからね。
……たぶんね?
「わりぃ、ちょっと話してくるから待ってて」
ヒロがそう言ってお兄ちゃん先生のところに行ったので、わたしはライルお兄ちゃんと一緒に外に出た。
「……リカさん、聞いてもいいですか?」
「いいよいいよもちろんだよお兄ちゃん、」
「スリーサイズは結構です」
最後まで言わせてよ!
「ヒロくんが言っていたことですが……あなたは本当に手をつないでいないと『車道に飛びだしたり』するんですか?」
わたしはライルお兄ちゃんをじっと見た。
そして、にっこりと笑った。
やだなあライルさん。
そんなわけないでしょ。
わたしは15歳なんだよ。
「ヒロには言わないでね? わたしは『ばかで子どもっぽいおねーちゃん』なの。ヒロの手を離したらダメなんだよ」
「……僕は、深淵を覗いてしまったみたいですね」
「気のせいだよ! こんなの、よくある思春期の心の闇だよ。大丈夫、ヒロはいい子だからさ」
「……そうですね、彼は元々が一本筋の通った人物のようですから、それほど心配はいらないとは思いますが」
「うん、大丈夫! まあ、最悪の場合は神様に頼んで、ビルテンに移住させてもらうさ!」
わたしはあはははと笑った。
ヒロが道場から出てきた。
「ヒロ、早く帰ろうよ! 帰ってお風呂に入って、朝までぐっすり寝ようよ。さあさあ、みんなで手をつないで帰りますよ~」
「まったく、ねーちゃんは子どもだな」
ヒロがあきれたように言った。
そして、わたしの手を握る。
「ほら、お兄ちゃんもとっととつないでよ、恋人つなぎで」
「普通つなぎで」
ブレないな!
そして、わたしたちは月明かりの中を手をつないで、家への道のりを歩いた。
「わたしたちは仲良しだね! 川の字になってるね!」
「川の字の使い方が間違ってる」
ヒロは、わたしとお兄ちゃんの手が恋人つなぎじゃないことを確認して、少し笑った。
本当はこわいたまご。