くまのビーしゃんの日記
育ってきた木を切り、枝葉を払う。他の樹木に日の光が当たるように光の量を調節して森の切りもりをする。今日もいつもの仕事が終わった。
けれど今日はいつもと違うことがあった。
魔王さまに言われて行っている森の管理とは違うこと。
それは見知らぬ人間がひょっこりと現れたことだ。
あのとき、俺をぶくぶくぐるんぐるんと水洗いの刑にしたアライグマのアムも一緒にいたので、この城で住み始めたという噂のニンゲンだというのはすぐにわかった。
恐れ多くも魔王の旦那に反旗を振りかざして攻め込んできた(謎)という経緯のニンゲンで、見た目はどこをとっても俺を愛玩するのが似合うような小娘なのだが。
そんなあいつは、いきなり抱きついてきやがった。
その撫でっぷりはどうに入っていて、これでもかというほどぬいぐるみの急所を突くほどで、思わず変な声まで上げてしまった。
そりゃここにくる前にも抱きつかれたりなでられたりということもあった。
店頭にどでんとおかれたくましゃんはインパクトがあって、だれもが手を伸ばすのだ。
もふもふとするその姿はかわいらしく、誰からも人気だった。
けれどそのサイズが災いしたのか、なかなか売れてはくれなかった。
まったく、あんなにかわいい子が主人だったらよかったのに。毎日なでなでされて一緒にベッドでねたりとかしながらあsdfghjkl;。
おっと筆がすべった。
けっきょく、売りに出された俺は値下げに値下げを繰り返して、最終的に主人になったのは、殺伐とした空気のあふれるご家庭だった。
夫婦仲がさめきっているのか、ご主人になった女はことあるごとにこのふわふわな顔を殴った。
殴って殴って殴って。
耳がとれて、中の綿がもこりと出てしまったのはいつのことだったろうか。
その妻が家をでていってしまって、夫が力強く蹴り飛ばした時かもしれない。そのままごろんと地面に叩き付けられて、そこでぬいぐるみとしての一生はあらかた終わったといってよかった。愛されなくなった瞬間に、ぬいぐるみはただのぼろ布に変わる。覚えておくがいい。
ごみとして外にだされてから風雨にさらされ、どんどんとぼろぼろになっていった。
水を含んだ体は鉛のように重たくて。そして周りの人間もまったくもってそんなぼろぼろのクマなんて見向きもしなかった。
そしていつのまにか。俺を放り投げた町は滅んでいて。もはや誰もいなくなってしまった。その道ばたで一生が終わると思った。人がいなければぬいぐるみの身は何もできない。ただ風にさらされ地にひそむというやからに体を喰いちぎられておしまいだ。
けれどそんなときに力を与えてくれたのが魔王さまだ。
不思議と体を動かせるようになって、他者と話せるようにすらなってしまった。
水分を含んだどろどろの体は、アライグマだというもふもふした小さい死に物に洗われて干されていた。
体が重たくてどうしようもなかったけれど、乾いていけば久しぶりにまっさらな気分で動き回れた。
たとえきれいになったとはいえ、耳やらのあたりの縫合はぼろりととれ、腰のあたりのつなぎ目も糸が解れて今にも中身がでてきそうだった。
けれど別にそんなことは気にはならなかった。
どうせ自分はサンドバックとしての役割しか果たさないようなものなのだから。
ここにいる者たちはそんな見てくれを気にはしなかったし、そもそもみんなどこかが破損していたり傷ができていたりするものばかりだった。
そんな所にニンゲンが来たという知らせを受けたのだ。
あのニンゲンはかわいそうだから治してくれるといった。自分自身でもどうでもいいと思っていた傷をどうにかしようと言ってくれたのだ。
そんな小さな手のひらは暖かくて。
ぬいぐるみの幸せとはこういうものかと思ったものだ。
しかし風呂ときいて楽しみにしていたのに入れないとは残念だった。
昔、確かに風呂を出た後だけは二人とも喧嘩をせずに和やかだったからだ。
風呂というものがどういうものなのかいまいちわからなかったが、すごいものというのだけは知っていた。命の洗濯がどうのという話だ。
だから、風呂の番をしていて不思議だったのだ。
魔王さまが中に入ってしばらくしてから聞こえてきたあの声。無垢な少女のようだった声はどこか艶をおびていて変に媚びるようなものだった。
かつて俺が昼間に女から聞いていたような、そんなどこか作った声音。
あの女の艶っぽい声にどこか似ていて。
お酒というものはそんな怖いものなのかと思うと、ぞくりと体をふるわせるしかないのだった。