要素をもとめ
虚無の中に放り込まれたようだった。
その夜に限ってはコウモリもカエルも虫たちまでもが息をひそめていた。自身が草や枝を踏んだ音だけが、何分もの間、続いた。
静寂は恐ろしい。それが長引けば長引くほど、孤独感と不安が膨れ上がる。
(常に抱きしめてくれる湿気が無いとなんとも心細いなあ)
蒸し暑いの形容詞が必ずその日の天気と結びついた雨季と違って、乾季は少し肌寒いくらいだ。
(せめて明かりがあれば)
拓真は足を止めて天を仰いだ。月が出ているはずなのだが、分厚い雲に隠れているのか或いは樹が密集しているせいか、ここまで届かない。迂闊だった。火を持ってくればよかった。
――バササッ
遥か上空からの羽音に息をのみ肩を跳ね上がらせる。視界が封じられた分、他の五感からの情報に過剰に反応して、あるかどうかもわからない恐怖対象に怯えてしまう。
「は、ハッピーハロウィン……?」
自分の声の響きすらおかしい気がした。耳がそう錯覚しているのか、大気中の得体の知れないエネルギーによって歪められたのか、実は自分ではなく別の誰かが喋ったのか。いつしか判断能力に支障をきたしたようで、妄想ばかりが捗る。
楽しい仮装や可愛らしいいたずらや歯が溶けそうな甘い菓子の気配が一切しない、暗黒。
ぐらぐらと平衡感覚を失いつつ、おれは一体何をしているんだっけと自問した瞬間。
手首を掴まれた。
「ひっギャア!? おれぜんぜん美味しくないです見逃してください!」
「あんたの母語、何言ってるのかぜんぜんわからないわ」
ぴしゃりと闇を切り裂いたのは、若い女性が話すマクンヌトゥバ語。振り向けば、彼女の持つ松明が大きな黒目を照らし出していた。
どうしてここにいるのと訊ねる前に、拓真は知った顔を認めて思わず安堵した。
名をユマロンガ。小柄ながら出るところがちゃんと出ている色黒の美女で、ときに母性的ときに少女的、世話焼きなところと料理上手が魅力である。もちろん見事なくびれや長い黒髪(いつもまとめられていて鑑賞できないが)も魅力だ。
「まったく。酔った勢いでヒサヤさんと変な賭けなんかするからよ」
「すごいねユマちゃん! ちょうど、なんでこんなことになったんだっけって考えてたとこだったよ」
始まりは数日前――
共に異世界からやってきた親友と、ここの暦では今頃がだいたいハロウィンに該当するだろうなと話していた。それはどういう行事なのだと問うた集落の元巫女姫サリエラートゥに、トリック・オア・トリートや仮装パーティ、ジャック・オ・ランタンといったものについて説明した。
そういえば祖父に聞いた話だとハロウィンという祭にはホラー要素もあるそうだ、と切り出したのは拓真であった。たとえばアメリカではお化け屋敷に行ったり夜中にとうもろこし畑の迷路をさまよったり、怖い映画を観たりするという。
そこで、親友からのひとこと。
――わざわざ用意しなくても恐怖体験なら簡単にできるだろ。
――それもそっか! 集落の外はマジ暗いしね!
通称「滝神さまの御座す郷」と呼ばれるこの地はどこもかしこも未開と言うのか、マッピングされていない区域が多い(そもそも地図という概念が浸透していない)。ついでに野獣も多い。そういった話をヤシ酒を飲みながらしているうちに、なぜか拓真が肝試しをする運びとなっていた。
――お前がマップに無い区域に行って何事もなく帰って来れたら、俺は全力で仮装してやる。
久也がそう言ったので、つい挑戦を受けてしまった。見知らぬ「何か」を持ち帰ってみせたら、勝利。失敗した場合には賭けの罰がそのまま身に返ることになる。実にアバウトなルールでも、それだけのきっかけで身を乗り出してしまう冒険好きとは拓真のことだ。あとあの日頃は生真面目な男がどんな仮装をしてくれるのかも、大いに興味がある。
ユマロンガは呆れたと言わんばかりの大きなため息を返した。
「引き返せば? 人魚に出くわしてからじゃあ遅いのよ」
「それは禁句ー」
過去にヒト喰い人魚と遭遇した折のあまり楽しくない記憶が脳裏によみがえり、拓真はぎこちない笑顔を作った。
「ユマちゃんはなんでいるの? こんな真っ暗なのに探しに来てくれた? もしかして心ぱ」
「手ぶらで出て行ったって言うから。武器のひとつくらい持ちなさいよバッカじゃないの」
「んん?」
食い気味に答えられたかと思うと折り畳み式の槍を手渡された。集落の戦士たちと一緒に木材選びから刃をくくりつけるまでに手作りした、愛用の武器だ。手に持った感触は常通り軽やかで、心なしか温かい。
それはいいとして。首を傾げる。
「あとこれ夜食。あんたたちの文化の握り飯ってヤツを作ってみたわ」
「うん……? ありがとう」
「で、いましがた心細い顔してたから、ついていってもいいけれど」
「ありがと――って、え」
思い返せば肝試しのルールに「ひとりで行け」は指定されなかった気もするが。手の中の槍を改めて見下ろし、もう一度首を傾げた。
「お供を連れてってもよかったのかあ。盲点だったなぁ。でもさすがに武器を持って肝試しに臨むのは違う気がするよ。それはもう斥候……じゃないや、普通に夜の探索? だよね」
「知らないわ。命がけで遊びたがる理屈なんて」
にべもない。
――何か怒ってませんか。
とは訊けない。しかし話すうちに何やら己の中にもふつふつと湧き上がる感情があるので、
「すぐに合流できなかったらどうするつもりだったの」
心持ち、硬い声音で返してしまった。
「叫ぶつもりだったわ」
「それで野獣は退けるかもしれないけど、余計に呼び寄せられるモノもいそうじゃん」
「……あんたに聞こえるように叫ぶつもりだったわ」
「なにそれ……」
唇から漏れたのが呆れ笑いだったのか、嘆息だったのか、自分でもわからない。心配されて、心配し返して、そこからの着地点と言えば、更ける夜に一緒にいる以外にないようだった。
手と手を繋ぎ合わせる。温かい指の感触に、ひそかに安堵した。
「なんか出そうだったらおれの背後に隠れて」
「言われなくとも」
ひとりがふたりになったところで、心細さはすっかり跡形もなく遠のいていた。
数分もの間、足音を極力消して歩き続けた。もともと忍び寄って拓真を驚かせられたくらいだから、ユマロンガの方も、当然のように静かに動けていた。
彼女の手の中で、松明がまだ力強く燃えている。
野生の動物はこれを嫌がって近付かないはずだ。動物以外のモノは、果たしてどうするかは知れないが。近くに水辺が無いのだから、人魚に出遭う可能性は低い。
どこからか、骨が折れるような音がした。
互いの顔を見合わせる。相手の表情からして、自分だけの耳の錯覚ではなかったようだ。
――けど骨なんて思い込みだ。きっと枝が折れただけ――
ぱきり、と軽やかな音がした。それも一度や二度ではなく、折り重なるように次々と。さすがに枝だったとしても、おかしい。
やがて周囲にどろんとした空気が漂っていることに気が付いた。
形容しがたい臭気だった。
おそるおそる歩みを進めると、甲高い口笛のような音までしてきた。ひゅう、ひゅう、と鳴っては止まり、鳴っては止まる。
いよいよこの夜に超常的な存在と対面するのか。身構えていると、ぼうっとした光を視界の先に見つけた。
(炎に何か影がかかってる……え? 鍋じゃないのあれ)
怖いもの見たさだろうか、手先が震えるほどに恐ろしいのに、様子を見に行くのを止められない。
ザザッ、と目の前の映像が揺れた気がした。
条件反射で槍を構える。
ひと息にここまで駆けたらしい影に、尖った槍先を突き付けた。影は一歩飛び退いて、両手を挙げる。
「あぶないね」
「人語? まさかのマミワタ!?」
「失礼な。あたしゃれっきとした人だよ」
拓真の誰何に対して、人影は冷静に応じた。背後からユマロンガが、松明を持った腕を伸ばす。
炎に照らし出されたのは、薄っすら見覚えのある壮年の女性の顔だった。片目が満足に開かず、口角の歪んだ上げ方と相まって、笑った顔はひどく非対称的だった。その相手を、ユマロンガがはっきりと認識した。
「アデワンラおばさんじゃないですか。どうしてこんなところに?」
「ひっひっひ。満月だからね、商売道具と素材を拵えるいい機会だったのさ。これを集落の方でやると、においや音で近所迷惑になってしまうからね」
「あ、あはは」
ぎこちない笑いを返したユマロンガが、背後から「うちの郷の有名な呪術師よ」と耳打ちしてきた。
呪術師アデワンラは骨筋の浮かぶ細い手を伸ばした。
「ぬしらも呪いたい相手がいるならニワトリ三羽で手を打つよ」
「遠慮しておきます」
「ここは僻地で誰も来ないからよかったんだけどね。ぬしらに見つかったからには、口封じの術でもかけようかね」
「えっ」
異口同音に怯んだら、呪術師は手を振って二人を笑い飛ばした。
「あーひゃっひゃ、冗談だよ!」
「それはそうと、おばさん、この『握り飯』をひとついりませんか」
冗談と言うのを信じられないのか、ユマロンガは持参してきた夜食を両手で献上した。試しに一個食べてみたアデワンラは「おいしいおいしい、やっぱりぬしさんの作ったものは集落一だね」と口の周りに米をつけていつしか上機嫌になった。
「ちなみにアデワンラさん、身に覚えはないんだけど、おれを呪いたいって依頼を持ち掛けたひととかいる?」
「そいつぁ企業秘密。教えられないね」
「うわあ、いたらやだなあ」
「ひっひっひ。お前さんなら災厄も敵も強い生気と腕力で追い払ってしまえばいいんでないかね」
「うん。頑張るよ。えっと……お仕事の邪魔をしてごめんなさい。実は肝試しという遊びをしていまして……」
今夜ここに来るまでの経緯を簡潔に語りながら、彼女の作業場(?)を一瞥した。
ぐつぐつと煮立つ鍋から、明らかに何かの手足が垂れ下がっている。もともとあった毛や皮膚がただれてしまい、どんな動物のものなのかまでは判別できない。
悪夢に染みこみそうな臭いである。
鍋を囲む地面には、石や骨と思しき色々なガラクタが並んでいる。
アデワンラの着ている衣服の至るところから恐ろしい形相の人形など謎の装飾品がさがっている点に、突っ込んで考えたくはなかった。
事情を聞いた呪術師は、嬉々として「とっておきの人形」を持たせてくれた。
「見知らぬ何かを持ち帰らないといけないんだろう。これは珍しい色の猿の尻尾に毒草と粘土を練り込んで作った、効き目抜群の一品さ」
「どくって……触っていいの」
「害がなくなるまで日干ししたから大丈夫さね。相手のことを想いながら玄関前に吊るせば、そいつに二百日以上の健康が続くよ」
「って、これで幸運もたらすタイプなの!?」
拓真が思わず突っ込むと、どこかで鳥が飛び去る音がした。
とにかく目的は達成できたので、これでひとまず帰路につくことができた。
懐にしまい込んだブツを思えばなんとなく帰りも気が落ち着かず、小声でユマロンガにハロウィン祭りの由来について語ってみた。最終的には死者がよみがえる日の話も気味が悪くなったので、最後の方は無言の道中になってしまった――。
*
「ったく、女子は何でこうも、野郎を女装させるのが好きなんだ」
「楽しいからに決まってるだろう」
「まったく理由になってない」
「何だ? お前は普段自分の服装に頓着しないくせに、私が選んでやったこの素晴らしく豪奢な衣装に文句をつけるのか」
げっそりとした顔の眉目秀麗の女性(中身・ただの男)と、ポニーテールにまとめた長い髪を揺らしてふんぞり返る女性が、丘の上に立って集落中の注目を浴びていた。
「あはははは! ひさやー、むくれてちゃもったいないよ! せっかく、に、似合ってるんだからさ。サリーのセンスもさすがだよ……その恰好で堂々とねり歩けばいいと思うよ! 落ち込むことなんてまったくないよ、ぶふ」
「お前は笑うか励ますかどっちかにしろ」
「そう、言われて、も」
なぜこの集落に黒髪のカツラなんてものが存在するのか。
生まれついて髪の毛がぐりんぐりんの巻き毛で扱いにくいから剃ってしまう者も多い中、剃った後のおしゃれのためのカツラに、確たる需要があるのだ。
ではなぜ、服をカスタムで仕立てるしか選択肢の無いこの「滝神さまの御座す郷」で、男である朝霧久也にぴったり合うサイズのひらひらの服が存在するのか。
当然、何者かがわざわざ採寸を測って、バナナ柄の明るい黄色の布地から仕立てたからである。小早川拓真は、全力でこの遊びに興じる仲間たちが愛おしくて(面白くて)たまらなかった。こちらが肝試しに成功した時用の衣装を、久也と元・滝神の巫女姫サリエラートゥは既に用意していたのである。
化粧も度が過ぎずちょうどいい具合にゴージャスに仕上げられていて、実に抜かりない。360度何処から見ても立派なご婦人だ。ドレスの袖口が広がっている上に、腰から下の布は段が入っていて厚みがある。気品あふれるデザインだった――バナナ柄でありながら。
「仮装、おれは着ぐるみみたいなのを想像してたよ」
「それはそれで嫌だな。どこの何から皮を剥ぐことになるんだか」
「あー、そうか。相変わらず常識が日々更新されていくよ。じゃあサリーは男装してあげないとね」
「私が?」
「レディには、パーティにエスコートしてくれるジェントルマンが必要なんだよ」
「そういうものか……?」
それはどういう法則なんだと不思議そうに首を傾げるサリエラートゥを見ていた久也が、腰を掛けていた岩から立ち上がってくるりと回転した。ドレスを広げた動作は、笑えるほどに優雅だった。
なんだかんだでこの男も最後にはノリがいい。
引いてほしいとでも言わんばかりに、サリエラートゥに向かって右手をスッと伸ばした。
「ではよろしくお願いしますわ」
「よろしく――え、な、なんだ」
「わたくしに肘に掴まらせてくださいませ? ご主人様」
「お、おいヒサヤ。今度は何の遊びだ」
楽しければいいんだろ――美しく着飾ったその男は囁いた後に、実に意地の悪い笑みを浮かべた。
去年のハロウィンに投稿しようと思ったら間に合わなくてそのまま闇に沈んだのを今日発掘して完結させてみました。オチがない。あと、タイトルセンスよ来い。




