濡れた邂逅(G)
それから、ボベックに言われて手伝いを中止したセリアを、ライが家まで送っていく事になった。
少し寒い夜だった。
昼間の喧騒も、夜になれば陰を潜める。空は雲が一面を覆っていて、月は見えなかった。
建物や街灯の明かりに照らされながら、ライとセリアは歩いていた。8
「大丈夫だったか?」
「うん……助けてくれてありがとう」
ライの問いかけに、セリアはふわりと微笑んだ。
「夜の酒場はああいう客がよく出てくるんだ。女性は絡まれやすいから、気をつけろよ」
ただでさえセリアは容姿が可愛いのだから……と言いそうになって言葉を飲み込む。
「はい。今度からは気をつけます……」
「よろしい。それにしても、腹減ったなー」
言いながら腹をさする。それを見て、セリアが拗ねたような視線をよこした。
「夕食前には来てねって言ったのに。もう冷めてるから、自分で暖めて食べてね」
「……悪い。少しいろいろあったんだ」
「アゼルはどうしたの? マスターの分も合わせて三人分作っておいたんだけど」
「ああ、あいつはいつもの病気だ」
「病気?」
「金に目がない奴だからな」
セリアは頭に?マークを浮かべていた。それから、しばらく色んな話をして歩いた。
他愛もない話だったが、そんな時間がライは心地良かった。話したいときに話し、沈黙しても気まずさなど感じない、それほど身近で親しい関係。
ふと会話が止まった時、ライは何気なく隣を歩いているセリアに目をやった。
小さい頃から、ずっと見てきた。
ライから見ても、セリアはかなり可愛い部類に入る。綺麗という表現も当てはまる。知り合いの若いハンターが、惚れ込んだ事もあった。
暗闇の中で光るセリアの綺麗な蜂蜜色の髪が、ふわりと風に流れていた。時たま耳に手をやり、自然に髪を掻きあげる仕草にどきりとする。
と、不意にセリアと目が合った。すると、セリアはにこりと笑顔を浮かべた。
一際大きく、心臓が跳ねる。
「久しぶりだね……こうやって歩くの」
「そう、だな。一ヶ月ぶりくらいか?」
平常心を保つ。しばらく会っていなかったせいか、彼女の笑顔は一段と眩しく見えた。
「うん。長いよね、一ヶ月って」
「人それぞれだろ」
「私は……長かったな」
「……セリア?」
急に雰囲気が変わったセリアを見つめる。と、
「あ、雨……」
ぽつり、ぽつりと。ゆっくりと雫が降ってくる。
そのまま、雫は瞬く間に数を増してきた。
地面の色が次々と黒く染まっていく。
「ライ! 傘持ってる!?」
「見れば分かるだろ! 手ぶらだ! 走るぞ!」
「あっ、待って!」
二人で走り出す。幸いセリアの家はもうすぐだった。周囲の人々も傘を持っていないのだろう。面食らった顔をして慌てている。そんな夜のカインドネスの街。
「全く、ついてないな」
溜息をつきながら、傍らを走るセリアを窺う。必死についてきているようだった。
――――大切な存在だった。
「もう少しゆっくり行こうか」
「え? でも濡れちゃうわ」
「もうこんなに水浸しなんだ。これ以上濡れても濡れなくても変わらないさ」
「ふふ……それもそうね」
そう言って微笑んだセリアは、何故か楽しげだった。
――――どんな心のわだかまりも消し去る、その笑顔が。
「やっと着いたか……」
「ごめんなさい。雨の中送ってもらって」
安全地帯に到着し、互いに髪や服を絞って水気をとる。
「はは、気にするなよ。その代わりまた料理、作ってくれ」
ライの言葉に、セリアは嬉しそうに頷いた。
「……ええ、そんな事でいいなら喜んで。あ、せっかくだからあがっていって、ライ」
――――自分の名を呼ぶ、透き通ったその声が。
「……ん?」
ふと、隣の古ぼけた家に視線がいった。家自体に違和感は無い。だが、最悪と言える視界の中で、その家の物陰に隠れて、何かが横たわっているのが見えた。
いや、正確には、倒れていた。
「あれは……人!?」
ライはすぐさまそこへ飛び出した。セリアが驚き、心配げに叫ぶ。
「えっ、ライ!? どうしたの!?」
――――何よりも暖かい、全てを癒してくれる、その優しさが。
今も、この想いは変わることなく、
これからも、決して変わりはしない。
「息はある! セリア、この人を頼む! 俺は医者を呼びに行って来る!」
「えっ!? ラ、ライ!!」
雷が鳴り始めた。暗い雲に覆われた空。雨はどこまでも降り続く。
まるで、永遠に止まないのではないかと思わせるほどに。
――――そう、この出会いが、幕開けの合図。