濡れた邂逅(F)
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家に着いた頃には、もう夜になっていた。
(少し、遅くなったな……。セリアになんか言われるな、これは)
そんな事を思いながら、酒場兼宿屋の裏口の扉を開ける。この時間帯になると酒場が混み始めるので、裏から入るのが習慣だった。
「ただいま」
「きゃあっ!!」
――――入ってから、最初に聞こえてきたのはそんな悲鳴だった。
聞き覚えのある、聞き慣れた声だった。
酒場はいつもどおり賑わっていた。ほぼ全部のテーブルが埋まっている。幸せそうにビールを飲んでいる人達、既に酔いつぶれている人もいた。その中で、盆を持ったセリアに一人の酔っぱらった男が絡んでいる光景が見えた。知っている顔ではない。ということは少なくとも常連客ではないだろう。
一瞬で、自分の中の思考が切り替る。
ライはその場所に近付いていった。
「あの、やめてください! 仕事中です!」
「いいじゃねえか。ヘヘ、可愛いねぇ、君。年いくつ?」
男は言いながらセリアの肩に手を回してくっついていた。もう片方の手が下に伸びて形のいい腰を撫でている。周囲のテーブルの人達は、うるさいせいか全く気づいていなかったり、面白がって見ていたり、不快そうに睨みつけたりしていた。
「本当にやめてくださいっ。出て行ってもらいますよ!」
「何言ってるんだよ、俺はー、お客様だろう?」
「いやっ……! 誰か……」
「やめろよ」
ライは軽々と人ごみやテーブルを通り抜け、セリアにくっ付いている男を無理矢理引き離した。
「ライ……!」
セリアを庇うように後ろにやる。そして男を睨みつけた。
「お客様、このような事はお止めください。ご迷惑です」
事務的な口調で言い放つ。
「はぁ? ガキの癖に何様だてめぇ」
予想はしていたが、相手は怒って突っかかってきた。
「俺は客だぞ!! なんだその態度は!?」
「これ以上迷惑をかけるのなら、出て行ってもらいますが」
「貴様……いい気になってんじゃねぇ!!!」
殴りかかってきた。嫌な現実だが、酒場という場所にこの手の輩はよくいる。暴力沙汰など数えたらきりがない。
「ライ!!!」
セリアが悲鳴を上げる。
(あまり、揉め事を大きくしたくはないんだけどな)
ライは心の中で溜息をついた。顔面を狙って出された拳、それを交わして 腕を掴む。額に巻いたバンダナが、ひらりとなびいた。
男は驚いた表情を浮かべた。
「なっ……!?」
「俺は止めろと言ったはずだ」
いつの間にか、周囲のざわめきは消えていた。皆こちらを注目している。
「ライ、離してやれ」
異変に気付いてか、見ていたのか、ボベックが奥からやって来た。仕方なく手を離す。
「……あんたがここのマスターかぁ? ったく、なんだこの酒場は! 客に対する礼儀もなっちやいねぇ!」
気を取り直したのか、男は再び毒づき始めた。
――――そして、思い切り殴られた。
ボベックに壁際まで吹っ飛ばされた男は、そのまま気を失ってしまった。
「ふむ、少し強すぎたか」
体型を見れば分かるが、彼の太い腕から繰り出される拳は桁外れの威力を持っている。以前も、礼儀知らずな客を何人か半殺しにしていた。ボベックは周囲に「ご迷惑をかけて申し訳ありません」と謝ると、また奥へ戻っていった。
何故か、歓声と拍手が酒場に響いた。