濡れた邂逅(D)
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ライの母親であるミジェイ・エギネンは、今はこの街にいない。だからライは母親の知人であるボベックの所に世話になっているのだが、無料で世話になりっぱなしというのは申し訳ないので、彼は『ハンター』となり金を稼いでいる。
昔は母親と一緒に、集団で行動するハンターのチームに身を置いて世界中を渡り歩いていた時期もあった。現在その集団は解散してもう無くなっている。ちなみに、アゼルも歳のせいかろくに働けないゲンロウ師範に代わり、ハンターをして稼いでいる。彼はミジェイやライからのチームへの勧誘を断った。おそらく、ゲンロウ師範を一人にしておけなかったのだろう。本人は否定していたが。
そしてハンターをするにあたり、昔、母から教わったこの店――――通称『占い屋』を活用している。占い屋といえばどこの街にも一つはありそうなものだが、この店にはもう一つの、おそらく占いよりも重要であり必要性のある裏の機能があった。簡単に言えば『情報屋』である。
その占い屋の入り口、いかにもそれらしい雰囲気を出しているカーテンをくぐり、ロウソクが明かりとなっている短い通路を通ると少し広い部屋に出る。太陽の光が入ることはなく、ロウソクの炎だけが闇を照らす空間。最初は暗くて視界が悪かったが、だんだんと目が慣れてきた。そんな中、最初に声を出したのはアゼルだった。
「いんのかメテュリーナ! 客が来てやったぞー!」
お前は何様だよと思うような発言が響く。すると、周囲のロウソクの炎が少し揺れると同時に、魔女を連想させる黒い衣装をまとった女性が一人現われた。露出された多くの肌が黒い衣装と絶妙のバランスを保ち、妖しげな雰囲気を漂わせている。目のやり場に困るが、大抵の男は虜になるだろう。大人の女性というに相応しい。
彼女はこちらを見て、色っぽい笑みを浮かべた。
「アラ〜いらっしゃ〜い! ってライちゃんじゃな〜い!! お姉さんに会いに来てくれたのかしらっ! だったらライちゃんの為に今晩は空けておくわねん」
「何バカなこと言ってんだ。仕事を探しに来たんだよオ・バ・サ・ン」
言ってはならない禁句をアゼルがいとも簡単に言い放つ。ちなみにメテュリーナの外見から判断すると、歳は二十代後半といったところか。だが本当の年齢は不明。噂では五十過ぎだとか実はまだ十代らしいなど、いろいろ言われている。
「フフッ……素直な子は好きよ」
メテュリーナが甘い声でそう言った瞬間、ライの視界からアゼルが消えた。
「ぐふぉおっ!?」
そして叫び声。声のほうに振り向くと、何かによって壁に叩きつけられたらしいアゼルが肺を押さえて呼吸を荒らげていた。
「でも口の悪い子にはおしおきね」
魅惑的な微笑を崩さずに、占い屋の主は言った。
「こっ、このクソババっ……! 魔法でぶっ飛ばしやがっ……ぎゃあああああっ!!!」
突然メテュリーナの指から物凄い勢いで放たれた黒い球体がアゼルに直撃したのと同時に悲鳴が上がった。
これも魔法だろう。
人間の中でも限られた者にしか扱うことのできない能力。遺伝子や血液が関係しており、先祖に魔法を使う力――――強い『魔力』を持つ者がいれば、その血を受け継いだ子孫もまた魔力を持つという。魔力は実質全ての人間が持っているのだが、普通の人間が所持する魔力は微々たるもので、魔法を使えるほどの量はない。魔法を使用する人を一般的に『魔道士』と呼ぶが、彼女もその一人ある。ちなみに回復魔法を専門に扱う魔道士を『プリースト』といい、主に教会や神殿に属する神父やシスターといった聖職者に多い。
「死んだな…さようならアゼル」
ライは呟いて、虚空を見つめた。
「勝手に殺すなっ!! 俺は生きてるぞっ!!」
ガバッと死体が起き上がった。
「死体じゃねえ!!!」
アゼルは言葉とは裏腹に弱々しく立ち上がると、服を手で払いつつこちらへ歩み寄ってきた。それを見終えてから、メテュリーナが口を開く。
「ところで、冗談はこの辺にして用件は何かしらぁ。仕事探し?」
「あれで冗談だったんですか…」
「あら、ライちゃんと熱い夜を過ごしたいのは本当よん」
「いやそっちじゃなくて……」
「この女に突っ込んでたらきりがねーぞライ……」
少し回復したらしいアゼルが言う。
「本題に戻るぞ。用件は仕事を探してるから情報を買わせろってことだ」
疲れたようにアゼルが言う。少しいい気味だと思ったことは黙っておいた。
メテュリーナはアゼルが言った用件を聞くと、近くに置いてあった水晶玉を持ってきた。ロウソクの炎を飲み込んでしまいそうな闇の中で、それは神秘的な光を放っている。彼女は手を水晶玉の上にかざすと、指先に少し力を込めたようだった。表情もさっきまでとは違い、真剣なものになっている。
「魔の月、星の精よ…我が雫に生命を。……映せ」
静かにメテュリーナが唱えると、今の言葉に反応したのか水晶玉が輝きだした。魔法を発動させる呪文なのだろう。俗に詠唱魔法と呼ばれる種類の使用法である。
暗い部屋に白き光が満ちていく。
「ん〜そうねぇ〜、手頃なところで魔物退治、ペットの捜索……荷物運び、ああもちろん法律に違反してるようなものではないわよん。他は……何か怪しいんだけど……探し物の依頼。依頼者の情報が不明なんだけど、悪戯とかデマではないようね。今日入ったばっかりなんだけど、報酬が物凄くてハンター達の間で噂になってるわぁ」
「その情報、買った! 詳しく教えてくれ」
即答でアゼルが答えた。彼はこういった『怪しい依頼でも、とにかく報酬が高額』といったものを進んで選ぶ。
水晶玉の光を見つめながら、メテュリーナは再び呪文を唱えた。すると暗闇を照らす光の中に文字や物体が浮かび上がってくる。依頼の詳細だった。
「指輪……?」
光の中には、一つの綺麗な指輪が浮かんでいた。ダイヤモンドか何かだろうか、高価そうな宝石がついていた。さらによく見ると、指輪には複雑な文字が描かれていた。
「これは……まさか魔道具?」
ライが聞くとメテュリーナは、ええ、と頷いた。
魔道具とは、魔法の力が宿った物の事を言う。効果は物によって様々。身近な物では魔物を寄せ付けない鈴や、暗闇で光を放つ珠などといった物がある。とはいえ、どんなに安いものでも結構な値段がする物が多く、気軽に買えるものではない。
「どんな力があるのかは載ってないな」
依頼の詳細を見ながらアゼルが言う。ライも探してみたが、どこにも記されていなかった。
「で、報酬はこれよん」
メテュリーナが言うと、いくつかの数字が浮かび上がる。それを見て、ライとアゼルは目を丸くした。
「ぬぅぅぅぅああにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーー!!!!!!」