濡れた邂逅(B)
「ほらよ、三千ゴールドだ」
男がそう言って差し出した金を受け取る。
「最近、結構稼いでいるそうじゃないか? ライ」
「どうだろうな。仮にそうだったとしても、あんたには関係ないだろ」
受け取った金をしまいながら、ライは冷たく言い放った。
「はいはい。相変わらずつれないねぇ。にしても、若いのに大した仕事ぶりだな」
いつもへらへらとしたにやけ顔に、無精ひげが妙に似合っている男――――名前はジャムシェドという――――は肩をすくめて苦笑した。彼は少し前にこの街に引っ越して来たらしい。ライが出会ったのも最近の事だ。
ここはカインドネスの警備隊本部。ライは依頼の報酬を貰いに来ていた。
世の中には武器商人や薬師、警備員から騎士まで様々な職種があるが、中に『ハンター』というものがある。『ハンター』と言ってもトレージャーハンターやらバウンティーハンターなどいくつかのカテゴリに分かれているが、ライの場合は『依頼人から依頼を受け、それを成功させることで報酬をもらう』という、何でも屋のようなものに属していた。
今回は『街の外れに最近魔物が現れ人を襲っているので退治を求む』という依頼を受けたのだった。もちろんこのような事は警備隊が何とかするものなのだが、人手不足を補うためにハンターに協力してもらうというのはよくある事だった。
「じゃーな」
用は済んだのでライは片手を挙げて立ち去ろうとする。
「おう。……っとそうだ、ちょっと待て。お前にいいことを教えてやろう」
「遠慮するよ」
即答する。ジャムシェドには変な癖、というか特技があった。
「これは俺のカンなんだが、近い内、どでかい事件が起きそうな予感がする」
「遠慮するって言っただろ……。一応聞いてやるけど、どういう事件が起きるんだよ?」
「だから、どでかい事件だ。まあ、あくまで俺のカンだがね」
ジャムシェドはそう言うと不適に笑った。
「…………」
突っ込む気にもなれず、無言でライはジャムシェドに背を向けた。
信じたくはないが、彼のカンは結構当たると街では噂だった。
商業が盛んなこのカインドネスの街は、王都ほどではないが、多くの旅人や住民が行き来するため昼間は結構混雑する。人混みに混じって、ライは大通りを歩いていた。
街の規模は大きく、さらに商業が盛んで、生活する上で欠かさない店から珍しい店まで一通り揃っている。行商人や露店もあり買い物には困らないだろう。左右に立ち並ぶ家々は木造やレンガがほとんどだ。他にも広場の噴水やこの国の王を称えた銅像などが街を彩らせている。
街の中央には飛びぬけて高くそびえている教会が建ち、この街のシンボルである巨大な鐘が、街全体を見下ろしていた。
「あそこの裕福な家、夜中に泥棒に入られたんですって」
「おい、知ってるか? 西の山岳地帯で、村が魔物に襲われたって話だぞ」
「ありゃあ大した金額だよ。ハンター達の間で争いになるな。あれは」
道端で世間話をしている人達、食べ物を買う数人の婦人、武器屋で熱心に武器を見ている男。平和そうな昼間の光景が見かけられる。だがそんな街も、月が昇る頃には別の姿を現す。例を挙げれば、殺傷事件や不法な取引、迷い込んだ魔物の暴走――――。
(まあ、そういった事件があるほど俺らの仕事は増えるんだけどな)
自分が普通に生活し、食べていければそれでいいとライは考えている。ハンターは依頼によっては危険こそ伴うものの、実力さえあれば金銭の面でそれほど苦労する事は無かった。
しばらく歩くと右手の方、様々な店や家が並ぶその中に少し大きめの建物がある。近くに看板があり、『宿屋』と『酒場』を表す絵が描かれていた。ここがライの家である。
「ラーイ!」
扉に手をかけて入ろうとした時、声が聞こえた。振り返る。
「よぉ、ライ。仕事帰りか?」
「アゼルか。どうしたんだ? こんな所で」
アゼル・グレント。燃えるような赤く長い髪は少しボサボサで、後ろをゴムで簡単に結んでいる。まるで長い尻尾が生えているかのようだ。目付きが鋭く、見た目からするとガラは悪いが、決して悪い奴ではない。小さい頃からの友達で、ライにとっては親友であり悪友である。
「暇だったから来たんだ。奢ってくれ」
「嫌だ」
そのまま扉をあけて家の中に入る。カランカランと、扉に付けてある鈴が鳴った。
中は酒場になっている。木造で、大きな窓から差し込む日差しが床に影を作っていた。天井にはわりと洒落たシャンデリア、壁にはメニューや意味不明の絵が描かれたポスターが張らされている。カウンターの背後に大きな棚があり、ワインやら何やらがぎっしりと詰まっていた。白いテーブルクロスがかけられたテーブルでは、既に数人の大人達が飲んでいる。
「いらっしゃい……と、ライか。早かったな。もう仕事は終わったのか?」
聞き慣れたハスキーボイス。声の方を見るとこの酒場のマスターことボベックがグラスを磨いていた。四十代後半といった容貌で、口の周りに生えている髭が似合っている。肉付きの良い体系から朗らかな印象を与え、実際の性格も優しく、厳しさの中にも思いやりがあり、ライは彼を本当の父のように思っていた。
「はい。思ったより早く片付いたので。それよりマスター、何か飲み物」
「はいよ。でも金は払うんだぞ」
「分かってますよ」
「じゃあ俺はお勧めのワイン。金はライの奢りで」
「はいよ」
「なんでだよ!」
いつの間にか、アゼルはカウンターの椅子に座っていた。
「大体、まだ未成年じゃないか」
「関係ねーだろ」
「あるっての!」
二人のやり取りを見ていたボベックは、何が面白いのか、立派な髭を曲げて笑った。
「はっはっは。相変わらずだなお前らは。そうだな、今日はわしが一杯奢ってやろう。アルコールでも構わんさ」
「さすがマスター! 話が分かるぜ」
「すいません。飲んだら、そっち手伝います」
ライがそう言うと、ボベックは首を横に振った。
「それは助かるが……仕事が終わったばっかりだろう。しばらく休んでおけ。それに」
にやりと、ボベックが笑みを浮かべる。
「今日は人手が足りているんだ」
「は?」
意味深なボベックの言葉に、ライは首を傾げた。
一体、どういうことだろう?
すると、向こうから見知った少女が料理をのせた盆を持って歩いてきた。肩に掛かるほどのふんわりとした蜂蜜色の髪、パッチリとした二重、澄んだ瞳に形の良い唇。綺麗であり可愛いとも言える顔立ちの美少女は、ライの知った顔だった。
「ボベックさん、料理できたから運びますね……あ、あれっ!?」
「セリア!?」
驚きながら、ライはその少女の名を声に出した。
「ライ!? 久しぶり!! 今、帰ってきたの?」
「ああ……ってそれよりなんでここに? こっちに戻ってくるのは来月じゃなかったのか?」
「それがね、その予定だったんだけど、お父さんの仕事が思ったよりずっと早く終わって、今朝帰って来たの」
そう言って、セリアはにっこりと笑った。彼女、セリア・ミローネは父親の仕事の都合で一家揃ってこの街を離れることが多い。最近では先月に王都へ行ったばかりだ。またセリアもアゼルと同じく、ライがこの街に住む事になってからの仲、つまりは幼馴染というやつである。
「てことは、人手が足りてるって言うのはセリアのことか?」
アゼルがボベックに訊ねると、彼はそうだ、と言って頷いた。
「ライが出かけてからすぐ来てな。待っているついでに手伝いますと言われて、つい甘えてしまったんだ」
「アゼルも久しぶり。今日は二人とも仕事?」
「ああ、俺は仕事。もう終わったけどな。アゼルは……」
「休みだ」
セリアはチラッとボベックの方を見る。
「ふむ、せっかく三人揃ったんだ、上で話でもしてきたらどうだ? 仕事の方は気にするな」
「あ……すみません。ありがとうございます」
セリアが申し訳なさそうに謝る。
「いや、礼を言うのはこっちの方だ。助かったよ。また手伝ってくれ」
「はい! 喜んで」
「ライも手伝いくらいしろよ」
「してるよ。たまに」
むっとして答えたライは、二階への階段を上り始めた。
二階は宿屋として機能していて、ライはその中の一部屋を自室として使っていた。部屋は結構広い方で、ベッドや机なども豪華とまではいかないが、悪くはない。
アゼルは部屋に入ってから我が物顔で座るなり、どこからかワインを取り出した。三本。
「さあ、飲もうぜ」
「飲むか馬鹿」
ライは開けられる寸前でワインを取り上げた。なんとなく銘柄を見る。
「なっ……!? この店の上級のワインじゃないか! どこから持ってきたんだよ!?」
「細かい事は気にするな」
「気にするよ!」
「えっと……私、アルコールはちょっと……」
苦笑しながらセリアが遠慮する。
「そうか……ならこっちのジュースなら大丈夫だろ」
アゼルはさらにビンを取り出した。
「だからお前はどこから!!」
「細かい事は気にするな」
「気にするわ!」
怒声を無視して、アゼルはセリアのコップにジュースを注いだ。
「まったく……」
怒鳴ったら喉が渇いたので、ライもジュースを飲む事にした。