蒼き明暗(G)
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豊かな街にある宿屋にしては少し簡素な部屋。四角い木製の机の上には数個の菓子と、幻想的な蒼を纏う花を挿した花瓶が置かれていた。
――――夢のように、楽しい時間だった。
掃除された床に清潔なベッド。ウェルエーヌは、磨かれた窓の脇に立ちながら、夜空を眺めていた。
夕方までは晴れていたのに、今は雲が星を隠している。月だけが、雲を寄せ付けずに輝いていた。
今日一日を振り返る。
彼と過ごした時間は温かくて、輝いていて、何もかもが楽しかった。
こんな穏やかな日々が永遠に続いてくれたら、どんなに幸せだろうか。
(でも……私は……)
現実を確かめるように、窓ガラスに左手で触れる。
そう、分かっている。それは――――叶わぬ願い。
「私は……ここに居てはいけない……」
ガラスに映る自分に言い聞かせるようにして呟く。
本当は、もっと早くに姿を消さなければならなかった。
彼に関わってはいけなかった。
会うことすら、許されないことだった。
苦しいほど理解していた。納得していた。
――――それでも、
『綺麗な花だな……。見た目も、名前も』
『大丈夫か? ウェルエーヌ?』
『さん付けは止めてくれって、前言っただろ?』
……居たかった。
ただ、少しでも長く――――彼の側に居たかった。
優しい笑顔を、瞳を、見ていたかった。
そして――――もしかしたら、思い出してくれるかもしれないと、
「なんて、自分勝手――――」
白銀の光を放つ月が、カインドネスという街を照らしている。
外を歩いている人はいないようだった。
(いつまでもここにはいられない。近いうちに、どこか遠いところへ行かないと……)
彼は薄々何かを感づき初めている。名前を誤魔化したのは正解だった。
本来なら明日にでも、今すぐにでも姿を消さなければいけない。
「でも……もう少しだけ、ほんの少しだけ……」
――――彼を、見ていてもいいでしょうか?
切実に願った、その時だった。
許されざる罪に罰を与えるかのように、
頭痛が起きた。
――――ズキン。
針で頭を刺したような痛み。
何かが蠢き始め、頭の中を広がっていく。
――――ズキン、ズキン。
「っ……!?」
――――ズキンズキンズキン。
それは脳から体へと、血管や肺や心臓へ侵入していく。
だんだんと、頭痛が耐えがたいほどの激痛になっていく。
それを必死に抑えるように、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「だ、駄目……! まだ……私は――――!!」
――――ヨコセ。
ズキンズキンと、
いつもならすぐ消え去る痛みは、一向に治まる気配がない。
(どうし、て……? 抑え…こめない……)
瞳から、涙が零れた。
「……ライ……」
視界が暗転する。
自分が倒れたことも分からずに、彼女の意識は、
消えた。