蒼き明暗(F)
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「だああああああああっ!!!」
苛立たしげなうめきが辺りを襲う。
「ちょっと! 急に大声ださないでよ。びっくりするじゃない!」
「叫びたくもなるわ!」
少年はそこで大きく嘆息した。
「なあ」
「なに?」
「どうして俺たち……」
約三秒の間。
「こんなところにいるんだよ!」
「しょうがないじゃない。まともで安全な隠れ場所なんてここしか思いつかなかったんだから」
暗い部屋。昼も夜も日光から遮断された窓の無い空間。唯一の明かりは中央に置いてある一本の蝋燭しかない。
部屋の隅には、不気味な人形や、いつ動き出してもおかしくない鎧。壁に飾られている絵は悪魔にとり憑かれてうなされている人間、十字架に張り付けられた女性など、もうどこからどう見ても悪趣味としか思えない所だった。
「あ、今この部屋のことけなしたでしょ」
「はっはっは。そんなことはないぞ。決して」
赤い色のソファーに座っている少年――アゼル・グレントは、正面でゆらゆらと揺れる蝋燭の炎を見つめた。蝋燭をはさんで向かい側に座っているのは、リアナ・ポートゥル。長いポニーテールの黒髪が同化してしまいそうな闇の中、炎に照らされ浮かび上がる彼女の顔は、幻想的な雰囲気を持っていた。
「……ここ数日、ろくに外にも出ねえでずっと暗い部屋に閉じこもってるんだぞ? もういい加減気が狂うわ」
「なら出て行ってもいーのよ? どうなっても知らないけれど」
謎の男たちから逃げ出したアゼルとリアナは、執拗な追跡に追い詰められ、なんとかこの通称「占い屋」に逃げ込んだのだった。
それから数日、アゼルはここで寝泊りをした。飯はもちろん、風呂も最後に入るという条件で貸してもらった。
「あの二人はその辺の三流ハンターとは違うわ。迂闊に街を歩きでもしたら……」
「分かってる。でもな、いつまでもこうしちゃいられねえだろ」
「それはそうだけど。あたしは、もう少し様子をみたほうがいいと思う」
リアナの言うことは一理ある。安全を考えるならまだ動くべきではない。
反対の意見を述べる代わりに、アゼルは別のことを口にした。
「狙われている中心人物はウェルエーヌなんだろ。彼女が酒場にいるってのは知られてねえのか?」
「どうかしら。少なくともまだ襲われてはいないわ。けど、時間の問題ね」
そこでリアナは一息、間を置いた。
「――――彼女に関わらなければ、それが一番なんだけどね」
「もう遅えよ。それに、あいつはお人好しだから見捨てるなんて真似はまずできねえだろうな」
「ライ・ハルヴァイサーのこと? 彼と彼女が出会ったことは、もう運が悪いとしか言いようがないわ」
内心溜息をついたであろうリアナを、アゼルは身を乗り出し真っ直ぐに見た。
「……そろそろ、教えてくれてもいいんじゃねーか? ウェルエーヌ、あの女は一体何者なんだ?」
ゆらゆらと、蝋燭の炎がゆれる。それに合わせて、二人の影もゆれた。
「それなら私が教えてあげちゃおうかしら」
艶かしい声。横を向くと、物音一つ立てず、メテュリーナが部屋の入り口から現れた。
「出やがったな年増魔女……」
「何か言った?」
「いーえー。とーーーーんでもない」
大げさに視線を外してリアナに向けると、彼女は顔を引きつらせていた。
「どーしたリアナ?」
「う、ううん……命知らずだなと思って……」
リアナは小さな声で呟くとそれきり黙ってしまった。
「……? で、メテュリーナ、ウェルエーヌについて教えてくれるのか?」
「そうよん。五百ゴールドで」
「リアナ教えろ」
アゼルは黙っているリアナの方に素早く向き直った。
「へ……あ、あたし?」
「そうだ。さあ、教えてくれ」
「リアナからなら千ゴールドよん」
「ふざけんな! 教える教えねえはリアナの勝手だろうが!」
「あら、私の可愛い妹をたぶらかして秘密を吐かせようとする男を放っておくなんてできないわぁ」
「あのなあ……!」
「分かったわよぉ。ホントしょーがないわねー。ライちゃんも関わっているし、今回は特別に無料にしてあげるわぁ」
「初めから素直にそうしろよ!」
苛立たしげにメテュリーナを睨む。彼女はふうと、色っぽく溜息をついてから魅惑的な唇を開いた。
「昔々、あるところにおじいさんとおば……」
「だあああああああっ! このクソ尼ぁぁぁっっ!!!」
勢いよくその場を立ち上がる。リアナが驚いた瞳でアゼルを見ていた。
「そんっっなに俺をからかって楽しいか!? 楽しいんだな!? 楽しいんだろこの野郎!!」
「短気はモテないわよぉ? ライちゃんみたく冷静になりなさい」
「うるせえっ! さっさと教えろっ! 俺は真剣なんだっ!」
怒鳴りすぎたため、ぜえぜえと呼吸が荒くなった。
「あら、私に欲情?」
「怒鳴り疲れたんだ!!」
「アゼル、落ち着いて。これじゃあ話が進まないわよ」
アゼルに同情したリアナが、疲れたように言う。
「そうよぉ。せっかく話してあげよ〜としてるのに」
「まだ言うかてめえは……」
「ほらほらぁ、目を血走らせない。少し長くなるけど……いーい?」
「ああ……とっととさっさと今すぐに話してくれ」
再び腰をおろす。メテュリーナの口調が、僅かだが真面目なものになった。
「『憑依』……って知ってるかしら?」