象牙の塔(F)
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アゼルは、ライの家へ向かっていた。
(ったく、あのクソジジイ!)
アゼルが自分の家に戻ったとき、そこには空になった一升瓶の山があった。昨日までは無かった。全てアゼルが、彼の保護者であるゲンロウのために仕方なく買い置きしていた物だ。一週間分。
事態を把握したアゼルは、居間で幸せそうに眠りこけているゲンロウを会心の力で蹴飛ばした。
(すっかり暗くなっちまったな)
いつもならまばらに人が歩いている場所なのだが、今夜は誰も通っていなかった。周囲の建物の明かりは点いている。
そういえば最近、夜中に外を歩いていた人が行方不明になったり、魔物に殺されて死体で発見されたりする、という事件が多発しているので警戒してくださいと、警備隊の方から呼びかけがあったのをアゼルは思い出した。
(まあ、武器は常に持ってるしな。もし襲われたら返り討ちにしてやらあ!)
背中に背負っている袋の重さを確かめ、恐怖感などかけらも持たずに十字路を曲がる。
すると、
「こんばんは」
頭上から声がかかった。女の声だった。反射的に身構える。
「誰だ!?」
見上げると、高さ七メートル程の建物の屋根に、女が足をぶらつかせながら座っていた。
「今日は、静かな夜ね」
「……は? あ、ああ。そーだな」
呑気な台詞に呆気にとられつつも、殺意が無い事を気配で確認して、アゼルは答えた。
女は髪から服装まで黒一色で、下はスカートをはいていた。髪型はポニーテールで、時折吹く風にさらさらとなびいている。
(明かりが足りねえからよく見えねーけど、知った顔じゃねえな)
月光に照らされた少女は話を続ける。
「どこに行くの? 最近の夜は危ないわよ」
「どこでもいーだろ。あんたこそ、こんな夜中に何してんだ?」
「あなたを待ってたのよ」
「はあ?」
アゼルは混乱しそうな頭を静め、少女を凝視した。
「私は怪しい者じゃないわ」
「充分怪しいぞ」
思わず突っ込む。アゼルは馬鹿馬鹿しくなって、その場を立ち去ろうとした。
「あなたのお友達が助けた少女――――彼女には、関わらないほうがいいわ」
その台詞に驚いて振り返る。
「お前……何者だ?」
ハンターだろうかと思ったが、何となく違う気もした。
警戒心は緩めない。
ライが助けた少女――――つまりウェルエーヌの事は、指輪の事も含めて外部に漏らしてなどいない。なのにこの女は、ウェルエーヌを助けた人物がライだという事まで知っている。
姿や声からするに、まだ若い女だろう。只者ではないと直感が告げていた。
「私はリアナ。今日は警告をしに来たの。今ならまだ、間に合うと思―――」
女の声が途中で止まる。アゼルが訝しげに見ると、女は驚いた顔で建物の屋根から遠くを見ていた。
「あれは!! ――――もしかして」
女は立ち上がると慌てて屋根から屋根へ飛び移り、どこかへ走っていった。思ったより身軽らしい。
「おい! どうしたんだよ!?」
アゼルが叫ぶが、女には聞こえていないようだった。女の尋常ではない様子が脳裏に浮かぶ。
何となく、気になった。
「ちくしょう! どうなってんだよ、一体!」
毒づきながら、アゼルは女の後を追った。