第5話「彼方の世界」
前回に気を失ってしまった桜花。目が覚めるとそこは……
雫が落ち、風が木々を揺らす。雨水を含む土の匂いが辺りから漂う。木漏れ日は道を照らし、澄み切った小川はその横を流れ行く。そこはまるで、どこかの森や林のような場所だ。
『幻の歌に誘われ、潜り抜けた門の先』
と、静かな声で詩を詠う少女が道の奥から歩いてきた。少女の腰には絵札のような物がぶら下がっており、少女が歩く度にカランコロンと音を立てる。
『紡ぐのは儚き調べ、繋ぐのは夢への道しるべ』
少女は詩を詠いながら道を歩く。後ろを見れば、少女が歩いてきた道、風景はなくなっていた。ただそこには真っ白な空間だけが広がっている。
『そして辿り着くのは、悠遠なる夢幻の彼方……』
少女は詩を詠い終わるとその場に立ち止まり、後ろに振り向き笑みを浮かべる。そしてまたすぐに前に向いて歩きだした。すると少女の身体は輝き出し、そのまま輝きと共に消え去った。
朝にでもなったのだろうか。どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。閉じたまぶた越しには、朝日のような光を感じた。
「ん……」
僕はゆっくり左目のまぶたを開ける。そしてひじを下につけ、仰向けのままおもむろに上半身を起こした。
「ここ……は……?」
僕は辺りを見回す。そこには机と椅子があり、窓があった。床には本や服などが至る所に散乱している。……ここは部屋みたいだ。でも、僕の部屋ではなさそう……
「!? いっ!?」
ふとした瞬間、頭に激痛が走った。僕はたまらずに頭を押さえて倒れ込む。痛い……頭が痛い……でもなんで頭が痛んだ?
「……ん?」
頭を押さえた瞬間、手に布を触ったような感触がした。僕はふと下を見る。見た先には毛布がはいであり、僕の寝ている場所はベッドの上だった。
「一体、何がどうなってんだ……」
訳が分からなくなってきた。一体ここはどこの部屋で、どうして僕はここにいるんだろう。それに僕は森みたいな場所にいたはずじゃ……
『ガチャッ』
「え?」
「ん? お」
部屋のドアが開く音がする。僕はとっさに起き上がり、部屋の入り口を見た。すると部屋の入り口から、盆を持った金髪の少女が入ってくる。少女はこっちに向いて僕が起きたことに気付いた。
「起きてたか」
少女は盆を机の上に置くと、僕の目の前まで来た。そして僕の様子を見る素振りをしながら話しかけてくる。
「具合はどうだ?」
「え、えーと……大丈夫……です?」
「そうか。それならよかったぜ」
僕はどぎまぎした口調で少女の問いに答える。それを聞いた少女は、安堵したような表情をして笑った。僕もそれにつられて空笑いをする。
「いやあ。森の中で倒れてるのを見つけたときはヒヤヒヤしたが、大丈夫ならよかったぜ」
「森?」
「ああ。再思の道辺りで倒れてたが……もしかして覚えてないのか?」
「う、うん……」
森? 再思の道? 一体、少女はなんのことを言ってるんだろう……いや、確かに森らしい所を歩いていた覚えはあるけど……後ろから鈍い音がした辺りから、今までの記憶がない。
「そっか。何も覚えてないか」
「はい……」
「ま、覚えてないならそれはそれで仕方ないな」
「はあ……」
少女はケラケラと笑う。うーん……なんというか、不思議な少女だ。おとぎ話の世界にでも出てきそうな雰囲気がある。
「……君は?」
「ん? ああ。まだ名前を言ってなかったな。私は霧雨魔理沙だ」
「霧雨……あ。僕は春霞桜花です」
僕はぺこりと霧雨さんに向かって頭を下げる。霧雨魔理沙……さんか。姿を見たときは外国の人かと思ったけど、名前からして日本人なのかな?
「春霞っていうのか。珍しい字だな」
「そうですかね?」
「ああ。まあ、私の霧雨って字も珍しいらしいから、あまり人のことは言えないんだけどな」
霧雨さんはそう言ってまた笑った。春霞はともかく、霧雨は珍しい字かな? 確かに、そんなには聞かない字だけど……
「ところで桜花。気になっていたことがあるんだが、お前のその顔と右足は妖怪か何かにやられたのか?」
「え?」
僕は霧雨さんの言葉を聞いて、右顔に手を当てる。手を当ててみると包帯の感触はなく、皮膚その物の感触がした。どうやら包帯は取れているようだ。僕は顔を俯けて答えた。
「……いや、これは元からです」
「そうか。それならよかった。いや、私が桜花を見つけた時、近くに妖怪が……」
……見られちゃったか。僕のこの火傷痕だらけの醜い右顔を……これで彼女もきっと僕のことを気味悪がる……
そんな思いが頭の中を巡り、僕は霧雨さんの話に聞く耳を持てなかった。
「……結局、そうなるんだよね……」
僕は俯いたままそう呟き、小さくため息をついた。どうせそうなる。どんなに優しい人だろうと、僕のこの右顔を見ればみんな離れていく。彼女もきっとそうなるに違いない。
そう心の中で思い至ったときだった。
「おーかー? 聞いてるかー?」
「え? うわっ!?」
すぐ近くで霧雨さんの声がした。僕は顔を上げる。と、物凄く近い距離で霧雨さんが僕の顔を覗いていた。僕は驚いて、思わず後退りをした。
「何、小難しい顔してんだ?」
「い、いや……えっと……」
「何か考え事でもしてたのか?」
「ま、まあ……はい……そんなところだと思います……」
僕は言葉を濁らせてそう言った。霧雨さんはそうかと言って机に向かい、盆の上に置いてあるコップと紙包みを手に取る。そしてそれを僕に手渡してきた。
「ほらこれ」
「これは?」
「薬だ。痛みを和らげる薬。飲めば少しは楽になると思うぜ」
「はあ……」
鎮痛薬ということなのだろうか……僕は紙包みを開け中の粉を口に含み、コップの水を一気に飲む。するとすぐに薬が効いたのか、あっという間に頭痛がやんだ。霧雨さんの言う通り楽になった。
「どうだ?」
「少し楽になりました。ありがとうございます」
「そうか。それはよかったぜ」
霧雨さんは安堵の表情を浮かべる。その表情を見た途端、心が強く締められるように痛くなった。
彼女のその表情には一切の曇りがない……まるであの2人な顔を見ているような気がした。
「……あ、あの霧雨さん」
「ん? なんだ?」
「ここって貴女の部屋ですか?」
僕は頭の中にある考え事を振り切るように、霧雨さんに話しかけた。これ以上、考え事をするのはやめよう。考えるだけだ無駄だ。そう僕は心の中で思った。
「そうだよ。私の部屋……というより、この家自体が私のだよな」
「そうなんですか」
「ああ。だから散らかってるのは気にすんな」
「え? あ、はい。大丈夫です。気にしてませんから」
苦笑しながら僕はそう言った。散らかってるって自覚はあるんだ……まあ、僕の部屋も似たような物だから、あんまし人のことは言えないけど……
「あ。そういえばさ、これ桜花のか?」
「え? って、ああ! 僕の松葉杖!」
霧雨さんは机の横から白銀色の杖を取り出し、それを僕に見せた。僕はそれを見て驚く。その杖は紛れもなく、僕が使っている松葉杖だった。
「やっぱり桜花のか」
「どうして霧雨さんが?」
「いやあ、桜花を見つけたとき、近くに落ちててな。もしかしたら桜花のかなって思って、拾っておいたんだよ」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
僕はまた、霧雨さんに向かって頭を下げる。よかった。松葉杖がないと、歩くことが出来なくなるからなあ……一緒に拾ってもらって本当によかった。
「いや、気にすんな。でもさ、これ不思議な物だな」
「え? 不思議?」
「妖怪どもがこれを見た瞬間、みんな逃げちまったんだよ。なんでだろうな」
「さあ……」
うーん……松葉杖はただの杖だから、そんな不思議な物じゃないんだけどな……なんで妖怪さんたちは、これを見て逃げ出したんだろ……
「……って、妖怪?」
「ああ。2匹くらい下級の奴がいたんだけど……知らなかったか?」
「いや、えっと……知らないというか……妖怪っていないはずじゃ……」
「何を言ってんだ? 妖怪はいるぞ?」
「……んん?」
霧雨さんの言っていることが、少し理解できない。妖怪はいる……? いや、そんなまさかね……妖怪はあくまで人が創った想像で……
「あ、そうか。桜花は"外の世界"からやってきたんだな。それじゃあ、妖怪がいるなんて知らなくても当たり前か」
「外の……世界?」
「ああ。外の世界ってのは、桜花たちがいた世界のこと。で、私らがいるこの世界はその隣にある世界なんだ」
……霧雨さんの言ってることがますます分からなくなってきた。外の世界は僕がいた世界で、ここはその隣にある世界? ……意味が分からない……
「え、えっと……つまり……えー……ここは異世界……ってことですか?」
「そんな感じだな」
「……うーん?」
僕は首を傾げる。異世界? つまり僕は異世界に迷い込んだってこと? ……そんなまさか。僕はただ声を追いかけて、森みたいな場所を歩いてただけなのに……
「えと……それじゃあもし、ここが異世界だとしたら、僕は元いた世界には帰れるんですか?」
「ああ。帰れるぜ」
「あ……そうですか……」
あっさりと答えられたので、少しだけがっくりと来た。そうか。帰れるのか……なんか、異世界にしては呆気ない気がするけど……まあ、いいか。
「もしかして、帰りたくなったのか?」
「え? あ、まあ……はい」
「そうか。ま、私に引き止める権利はないからな。そうと決まれば、早速案内してやるぜ」
「あ、ありがとうございます……」
何故か意気込む霧雨さんを見て、僕は少し寂しさというか……虚しさみたいな物を感じた。でもそれはきっと、ただの思い違いだろう。
「さ、早く行こうぜ」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください。あの、眼帯か包帯はありませんか?」
「んあ? 包帯ならあるが」
「じゃあ包帯貰っていいですか?」
「いいぜ。ほれ」
「ありがとうございます」
霧雨さんは机の上にあった包帯を僕に向かって投げる。僕はそれを受け取ると、慣れた手つきで右顔に巻き付けた。その様子を見た霧雨さんは不思議な顔をする。
「なあ、桜花。なんで顔に包帯を巻く必要があるんだ?」
「え? それは……隠すため……」
「隠すため? 何をだ?」
「なんでもいいじゃないですか。それよりほら、早く行きましょうよ」
「あ、ああ……」
僕は半ば強引に話を終わらせて、霧雨さんが側に置いてくれた松葉杖を取った。そして立ち上がり部屋から出て行く。霧雨さんも僕の後ろから部屋を出た。そのまま僕と霧雨さんは家から出る。
「……そういえば、どうやって目的の場所まで行くんですか?」
「飛んで行くのさ」
「飛んで?」
「そうだ。これを使ってな」
そう言って霧雨さんは、どこからか箒を取り出した。箒で飛んで行く? そんな魔法使いじゃあるまいし……そう思った矢先の出来事だった。
「よいっと」
「……え?」
僕は今、目の前で起きていることを見て自身の目を疑った。目の前では霧雨さんが箒に座って、ふわりと宙に浮いていた。彼女は……魔法使いなんだろうか? もう訳が分からない……
「ほら、乗れよ」
「え? あ、はい……」
僕は言われるがままに箒に乗り、松葉杖を落ちないようにうまく収納する。いささか不安はあるが、箒は思っていたよりも頑丈で、しっかりとしていた。
「よし。乗ったな。それじゃ行くぜ!」
「え? ちょっと待っ――うわっ!」
霧雨さんの掛け声と共に、箒は舞い上がって空高く飛び始めた。僕は霧雨さんの肩を強く掴んで、振り落とされないように踏ん張る。箒は僕らを乗せて上空まで上がると、そのまま真っ直ぐに飛び出した。
はろはろ。どうも。風心です。
目が覚めるとそこは魔理沙の家でしたという。
とりあえず、5話目にしてやって幻想入りしました。ただ、桜花はまだ幻想入りしたことに今一理解してなさそう。
ところで前半のアレ、お気づきになりましたか?実はあの詩、桜花が4話で詠っていた詩なんです。え?知ってるって?
とにかく、詩といいあの少女といい、これからどうなって行くんでしょうか。
それではまた。