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神様に見放された僕ですが、モノの声が聞こえるので古道具屋「夕凪堂」で人生やり直します  作者: 久遠翠


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第一話「神様に見放された日」

登場人物紹介


浅葉あさば かなで

本作の主人公。18歳。代々続く水鏡神社の分家の生まれ。かつては神様の声を聞く「神童」だったが、能力を失い家を追放される。その後、モノの声を聞く新たな能力に目覚め、古道具屋「夕凪堂」で働くことになる。心優しく、少し気弱なところもあるが、モノに宿る想いに真摯に寄り添う。亜麻色の柔らかな髪が特徴。


つむぎ

古道具屋「夕凪堂」の店主。見た目は15歳ほどの可憐な少女だが、その正体は店に置かれた古道具たちの想いが集まって生まれた付喪神。腰まで届く艶やかな黒髪を持ち、古風な着物を常着としている。落ち着いた物腰で、古めかしい言葉遣いをする。奏の能力を見出し、彼を夕凪堂へと導く。美味しいお茶を淹れるのが得意。


琥珀こはく

夕凪堂で飼われている三毛猫。その正体は、長い年月を生きた猫又。普段はただの猫のふりをしているが、奏と紬の前では人語を話し、的確なツコミを入れるしっかり者。夕凪堂の頼れるご意見番であり、奏の良き相棒となる。


浅葉あさば りつ

奏の兄。22歳。水鏡神社の本家跡継ぎで、次期当主。神主として絶大な力を持ち、容姿端麗、文武両道と完璧な人物だが、プライドが高く、自分にも他人にも厳しい。力を失った奏を「出来損ない」と見下し、家から追放した。奏の新たな能力に目をつけ、我欲のために利用しようと画策する。

 ざあ、とアスファルトを叩きつける雨音が、世界の全ての音を塗り潰していくようだった。

 浅葉奏は、ずぶ濡れになった前髪から滴る雫を拭うこともせず、ただぼんやりと灰色に染まった空を見上げていた。

 ほんの数時間前まで、自分には帰るべき家があったことが、まるで遠い昔の出来事のように感じられる。


『──もう、お前の声は聞こえぬ』


 それが、幼い頃からずっと奏の耳にだけ届いていた、神様の最後の言葉だった。

 代々、神様の声を聞く能力者「聞き手」を輩出してきた水鏡神社の分家、浅葉家。その家に生まれ、歴代でも類を見ないほどの強い力を持って生まれた奏は、かつて「神童」と呼ばれていた。

 神様のお告げは絶対だった。日照りが続けば雨乞いの最適な日取りを伝え、街に災いが訪れる前には人々に警告を与えた。その声に導かれるまま、彼は多くの人を助け、感謝され、そして崇められてきた。それが奏の世界の全てであり、彼の存在意義そのものだったのだ。


 十八歳の誕生日を迎えた、今日の昼までは。


 ぷっつりと、糸が切れるように神様の声は消えた。何度耳を澄ませても、心の中で呼びかけても、返ってくるのは冷たい沈黙だけ。

 その事実を、本家の跡継ぎである兄の律に伝えた時の、彼の氷のように冷たい視線を、奏は生涯忘れないだろう。


「やはりお前は出来損ないだったな。神も、ようやくそれに気づかれたようだ」


 兄にとって、奏は常に比較対象であり、嫉妬の対象でもあった。神主としての才覚も、人々からの信望も、兄は全てにおいて奏を上回っていた。唯一つ、神様の声を聞く能力を除いては。

 その最後の砦が崩れた今、兄の目には侮蔑の色しか浮かんでいなかった。荷物をまとめる僅かな時間だけを与えられ、奏は生まれ育った家から文字通り放り出された。まるで、使い道のなくなった古い道具のように。


 降りしきる雨は、容赦なく奏の体温を奪っていく。行く当ても、頼れる人もいない。空腹と疲労で、意識が朦朧としてきた。このまま道端で倒れてしまうのだろうか。

 そんな弱音が胸をよぎった時、ふと、路地の向こうに小さな明かりが灯っているのが見えた。まるで、こっちへ来いと手招きしているような、温かい光。

 最後の力を振り絞り、吸い寄せられるようにその光へ向かうと、そこには古びた木造の建物がひっそりと佇んでいた。軒先には、「古道具 夕凪堂」と右から左へ書かれた、年代物の看板が掲げられている。


 雨宿りだけでもさせてもらおう。

 震える手で格子戸に手をかけ、ゆっくりと開けると、からん、と軽やかな鈴の音が鳴った。


 店内は、想像していたよりもずっと広く、天井まで届きそうな棚に、ありとあらゆる古道具が所狭しと並べられている。ランプ、古時計、万年筆、陶器の数々。どれもが長い年月を経てきたことを示す、静かな風格を漂わせている。そして、それらの古い品々が放つ独特の匂いに混じって、ふわりと心地よいお香の香りが鼻をくすぐった。


「……あの、すみません」


 声をかけても、返事はない。店の奥は薄暗く、人の気配は感じられなかった。勝手に入ってしまった手前、どうしたものかと思案していると、奥の襖がすっと静かに開いた。


「おや、お客さんかのう。このような雨の日に、ようこそおいでなすった」


 現れたのは、少女だった。年は十五、六といったところか。腰まである艶やかな黒髪を一本に結い、深い藍色の地に白い撫子の花が描かれた、少し古風な着物を身にまとっている。透き通るような白い肌と、人形のように整った顔立ち。そして、全てを見透かすような、年齢にそぐわないほど落ち着いた黒い瞳が、まっすぐに奏を見つめていた。


「あ、いや、雨宿りを、させてもらえないかなと……」

「ふむ。ずいぶんと濡れておるのう。風邪を引いてしまう。ささ、こちらへ」


 少女は奏を手招きし、店の奥にある小さな囲炉裏へと案内した。パチパチと心地よい音を立てて燃える炭火が、冷え切った身体をじんわりと温めてくれる。


「わらわは紬。この店の主じゃ。お主は?」

「浅葉……奏、です」

「奏、か。良い名じゃな。少し待っておれ。温かいお茶を淹れてやろう」


 紬と名乗った少女はそう言うと、慣れた手つきで鉄瓶の湯を使い、小さな湯呑に透き通った琥珀色のお茶を淹れてくれた。

 どうぞ、と差し出されたそれを受け取り、一口飲む。ふわりと広がる優しい香りと、身体の芯まで染み渡るような温かさに、張り詰めていた緊張の糸が、ふ、と緩んだ。


「……美味しい」

「そうか、それは良かった」


 紬は嬉しそうに微笑んだ。その時だった。


 ざわ……。


 奏の耳に、不思議な音が聞こえ始めた。それは人の声ではない。囁きのような、呟きのような、無数の音が混じり合った、ざわめき。


(……また会いたい……)

(あの日の夕焼けは、綺麗だったな……)

(ごめんね、大切にできなくて……)


 映像が、感情が、断片的な言葉となって頭の中に流れ込んでくる。

 驚いて顔を上げると、その「声」が店中に置かれた古道具たちから発せられていることに気づいた。壁の古時計から、棚の上のオルゴールから、隅に置かれた古い箪笥から。それらは皆、かつての持ち主との記憶を、想いを、奏に語りかけてきていた。


 神様の声とは全く違う。けれど、確かに聞こえる。これは、一体……?


「どうやら、聞こえるようじゃのう」


 目の前の紬が、全てを承知しているかのように、静かに言った。


「モノたちの、声が」


 奏は言葉を失い、ただ目の前の不思議な少女を見つめ返すことしかできなかった。

 神様に見放されたこの日に、彼は新たな声を聞くことになった。それは、温かくて、どこか少しだけ、寂しい声だった。

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