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剣は名を持たない誓いを抱く  作者: StoryTellingMusic


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20/22

17.王都の朝、残った縫い目

 王都の朝は、早い。


 夜の喧噪が嘘のように引いて、通りには荷車の軋む音と、靴底が石を打つ音が戻ってくる。

 眠りから覚めた街が、何事もなかったように呼吸を再開していく――そういう朝だ。


 けれど、広場だけは違った。


 毛布が敷かれ、簡易の寝台が並び、そこに昨夜まで沈んでいた人々がいる。

 目を開ける者が、ぽつり、ぽつりと増えていく。


 「……ここは……」


 呟きが、空へ溶ける。

 誰かが起き上がり、誰かの名を呼び、誰かが抱きしめられて泣き出した。


 戻ってきたのだ。

 少なくとも、意識は。


 それでも、全員が同じように戻るわけではない。


 起き上がったのに、顔を覆って震える老人がいる。

 笑いながら泣き続ける若者がいる。

 母親の袖を掴んだまま、何度も同じ言葉を繰り返す子どもがいる。


 「……戻ってこないで……」


 何に向けた言葉なのか、本人にも分からないのだろう。

 ただ、夢の中で握られた恐怖だけが、言葉の形で残っている。


 レオンはそれを見て、胸の奥が冷えた。


 地下で感じたものと、同じだ。

 核は止めた。束も緩んだ。霧も薄れた。

 ――それなのに、まだ終わり切っていない。


 昨夜、術師が言った言葉が、ひどく現実的な輪郭を持つ。


 “覚えたものは消えない”。


 誰かの朝に、あの夜が薄く滲んでいる。

 この街の空気そのものが、まだどこか引っかかっている。


 レオンは視線を逸らしそうになり、踏みとどまった。

 見てしまうと、怖い。

 でも、見ないふりをすると――また足が止まる。


 (……俺は)


 この騒動を、今までどこかで「巻き込まれた出来事」だと思っていた。

 強い者が戦い、賢い者が封じ、結果だけが街に戻ってくる。

 自分はその中の小さな歯車で、なくても回ったかもしれない、と。


 だが、広場の息遣いを聞いてしまうと、逃げ道が塞がる。


 昨夜、地下へ降りたのは自分だ。

 束を断ったのも、自分の手だった。

 それで救われた朝が、確かに目の前にある。


 そして同時に――救い切れていない朝も、ここにある。


 胸が痛んだ。

 罪悪感というより、もっと生々しい感覚。

 自分が関わった世界が、自分の手の届くところにある、という感覚。


 それは怖い。

 でも、どこかで――少しだけ、熱い。


 (足りないのは分かってる)


 昨夜も、誰かの背中がなければ成り立たなかった。

 ガルドが押さえ、救済同盟が切り込み、エリシアが組み上げ、学院が柱を立てた。


 自分一人では、何もできなかった。


 なのに。


 (……変われる)


 変われる、という言葉さえ、まだ口にするには早い気がする。

 けれど、確かに手触りが残っている。

 束が切れた瞬間の抵抗。

 柱が打ち込まれた時の音。

 核の鼓動が止まった時の、あの軽さ。


 ――昨日の自分では、そこに立てなかった。


 レオンはそれを、自分の中で認めてしまった。

 認めた瞬間、この騒動は他人事ではなくなる。


 学院の人間は、朝から動きが早かった。


 広場の周囲に結界柱が増設され、地下水路へ続く入口は固く封鎖される。

 学生らしき者が測定具を持って走り、長衣の魔術師たちが指示を飛ばす。


 「封印は成立。核の脈動停止を確認」

 「残存する魔力の癖を記録。症状の経過観察を優先」


 言葉は冷静で、整っている。

 街を守るためには、必要な整理だ。


 だが、整理すればするほど、零れるものがある。


 救済同盟の男は、広場の端に立ち、目覚めた者の様子を一人ずつ見ていた。

 声をかけ、肩を支え、必要なところに人を回す。

 手順より先に、手を伸ばしている。


 学院の責任者が近づき、抑えた声で言った。


 「あなた方の協力は認める。だが、これ以上の独断は――」


 救済同盟の男は、学院の責任者を睨まなかった。

 ただ、視線を外さずに返した。


 「独断はしない。だが、遅れるのも許されない」


 言い争いにはならない。

 互いに相手の正しさを、否定しきれないからだ。


 学院は秩序を守らなければならない。

 救済同盟は、今倒れている人間を見捨てられない。


 同じ「救う」に向かっているのに、足の出し方が違う。

 それが、この街の根っこにある対立だと、レオンにも分かる。


 そして、その間に自分が立っていることも。


 エリシアは、広場の一角で簡易診察と測定を続けていた。


 目覚めた者の額に指先を当て、魔力反応を確かめ、記録紙に書き込む。

 動きは淡々としている。けれど、目の下に薄い影がある。

 昨夜、眠れなかったのだろう。


 「……完全には消えていない」


 エリシアが、誰にも聞こえない程度に呟いた。


 レオンはその声を拾い、近づいた。


 「何か……残ってるのか」


 エリシアはレオンを見て、頷く。


 「封印で核は止めた。束も緩んだ。霧は薄い。――でも、痕がある」


 「痕……」


 エリシアは記録紙を指で押さえ、言葉を選ぶ。


 「目覚めた人たちの中に、同じ反応がいくつかある。……特定の方向にだけ、魔力の流れが引っかかる」


 レオンは、背筋が冷えた。


 「地下水路の……方角か」


 「正確には、王都の魔力脈の“癖”。都市が、少しだけ覚えている」


 術師の言葉が、また胸に刺さる。


 エリシアは唇を噛んだ。


 「理屈の上では、封印は成功。学院はそうまとめる。……それでも、私は“それだけ”で終わりにしたくない」


 その言い方は、彼女にしては珍しく、感情に寄っていた。


 レオンは、昨夜の広間を思い出す。

 霧が彼女の足元に幻を描いた瞬間。

 ほんの一瞬、呼吸が止まったのを見てしまった。


 (……彼女も揺れた)


 強くて、冷静で、理屈で戦う人間でも、揺れる。

 その事実が、レオンの中の何かをほどく。


 自分だけが未熟なのではない。

 未熟さは、隠すべき傷ではなく、伸びる余地だ。


 その余地に触れた者だけが、次に手を伸ばせる。


 そう思えた。


 昼前、学院へ呼び戻されるようにして、エリシアは一度広場を離れた。


 レオンとガルドは、宿に戻り最低限の荷をまとめる。

 ガルドは余計な話をしない。いつも通り、必要なものだけを確かめ、腰紐を締める。


 「王都を出ますか?」


 レオンが尋ねると、ガルドは頷いた。


 「ここは、学院が抱える。俺たちが居ても役に立たねぇ」


 淡々とした現実だ。

 悔しさが湧く前に、その現実が先に胸へ落ちた。


 (役に立たない、のか)


 昨夜の自分なら、そこで終わっていたかもしれない。

 だが今は違う。


 役に立たないなら、役に立てる場所へ行けばいい。

 ここで終わらないなら、続きへ歩けばいい。


 その発想が、ようやく自分の中に根を張り始めている。


 宿の入口で待っていると、エリシアが戻ってきた。


 手には封蝋の押された書状がある。

 学院の印。

 正式な紙だ。


 彼女はそれを、ガルドへ差し出した。


 「学院からの依頼です」


 ガルドが受け取り、ざっと目を通す。


 「外部観測……随行者」


 エリシアは頷く。


 「王都の中は封鎖して調査する。でも、同じ“癖”が外へ波及している可能性がある。兆候を拾って、戻す。……それが任務」


 それは、十分に自然な理由だった。

 学院としても、事件を「王都だけの異常」で終わらせたくない。

 再発を防ぐなら、外の芽を先に摘むべきだ。


 そして、危険がある。

 護衛が必要になる。


 ガルドは顔色を変えない。


 「護衛が要るってことか」


 「はい」


 即答だった。


 学院の言葉を借りた、合理。

 任務としての同行。


 だが、レオンには、もう一つが見えた。


 エリシアの指が、書状の端を無意識に強く押さえている。

 ほんの小さな癖。

 自分でも気づいていないくらいの力で。


 彼女は続けた。


 「……私だけでは足りない。現場で、確かめたい」


 それは、命令への返事ではない。

 自分への返事だ。


 昨夜、揺れた。

 理屈が正しくても、心が遅れる瞬間があった。

 その遅れが、次は致命傷になり得る。


 だから、現場へ出る。

 任務という形を借りてでも。

 個人的な動機が、言葉の奥に滲んでいた。


 ガルドは短く息を吐き、レオンを一瞥する。


 「お前はどうする」


 レオンは答える前に、広場の朝を思い出した。


 毛布の下で震える老人。

 涙を止められない若者。

 「戻ってこないで」と繰り返す子ども。


 昨夜の地下は、あの朝に繋がっている。

 自分が関わった出来事が、誰かの息に残っている。


 それを見てしまった以上、もう「通り過ぎた事件」にはできない。


 未熟だ。

 それでも、昨夜の自分は確かに一歩進んだ。

 進んだのなら、次も――その先もあるはずだ。


 (逃げる理由は、もうない)


 レオンは、ゆっくり頷いた。


 「……行きます」


 エリシアがレオンを見る。

 評価の目だ。けれど、昨夜までとは質が違う。


 「あなたは、束を断てた」


 淡々と、事実だけを置く。

 褒め言葉ではない。期待でもない。


 ただの認定。


 それが不思議と、レオンの背中を押した。


 王都の門は遠くで開き、荷車が外へ流れ始めている。

 街は動き出した。事件は収束へ向かっている。


 それでも、縫い目は残った。


 レオンはその縫い目を、自分の手の届く範囲のものとして握り直す。

 怖さもある。

 だが同時に、確かな熱もある。


 この先で、また同じような夜が来るかもしれない。

 そのとき、自分は昨夜より少しでも前へ出られるだろうか。


 答えは、まだない。


 でも、答えがないままでも歩けることを――昨夜知った。


 ガルドが先に歩き出す。

 レオンとエリシアが、その後ろに続く。


 王都の喧噪が少しずつ遠ざかり、石畳が土の道へ変わる。

 風が頬を撫でる。


 旅が、また始まる。

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