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剣は名を持たない誓いを抱く  作者: StoryTellingMusic


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10.操りの正体

 旧水路の空気は、冷たい。

 湿り気の残る石の匂いが、鼻の奥に張り付く。


 拘束された魔物は、石畳の上で荒い息を吐いている。

 暴れるでもなく、怯えるでもなく――ただ、焦点の合わない目でこちらを見ていた。


 レオンは、その視線が嫌だった。

 生きているのに、どこにもいない。

 身体だけが残っていて、心だけが引き抜かれている。


 エリシアは魔法陣を薄く残したまま、魔物に近づいた。

 慎重であるべき距離を守りながら、手順だけは揺らがない。


 「魔力の“糸”が残っています」


 指先をかざす。

 空気が、ほんのわずかに揺れた。


 レオンには見えない。

 だが、エリシアの視線が一点に固定された瞬間、そこに“何か”があることだけは分かった。


 「……引っ張られてる」


 エリシアは淡々と告げた。


 ガルドは周囲を見回し、濡れた跡を踏まないように足場を確かめている。

 剣を構える前に、まず“動ける場所”を確保する――そういう人間の動きだった。


 「どこへだ?」


 「下です。水路の奥。古い分岐があります」


 胸の奥が、わずかに鳴った。


 下。地下。

 嫌な予感はある。

 だが、戻るという考えは簡単には形にならなかった。


 ここで引けば、また分からないままになる。

 何かが起きていると分かっているのに、目を逸らすことになる。


 ガルドが言った。


 「行くか」


 問いかけというより、確認に近い。

 言葉のあと、もう背中が進む体勢を作っている。


 レオンは頷いた。


 怖い。

 だが、怖いまま動く場数が欲しかった。

 自分の中に、次へ繋がる手触りを残したかった。


 エリシアは拘束した魔物に、小さな刻印を施した。

 逃げたとしても追える――簡潔で実戦的な処置だ。


 三人は旧水路の奥へ踏み込んだ。


 水の匂いは残っている。

 だが、水は流れていない。


 壁面にこびりついた苔が乾き、空気は冷たく、息が白くなる。

 足音が反響し、こちらの存在だけが大きくなる。


 進むほど、空気が粘つく。

 感情のない圧。眠りの膜。


 「……魔力が溜まってる」


 エリシアが呟いた。


 「澱じゃない。集めてる……意図的に」


 分岐の先、崩れた石壁の向こうに、広い空間があった。

 天井は低い。中央は不自然に整えられ、古い魔法陣が残っている。


 そして――人がいた。


 黒い外套。

 顔は影に隠れている。こちらを見ても動じない。


 むしろ――待ち構えるというより、見物しているようだった。


 「お、来た来た」


 声は若い。

 軽い。だが軽薄ではない。刃のように滑る。


 エリシアが一歩前に出る。


 「あなたが操っているの?」


 男は肩をすくめ、笑った。


 「操る? 違う違う。ちょっと背中を押してやってるだけさ」


 言いながら、魔法陣の上に落ちている黒い結晶片を拾い上げた。

 それが、かすかに脈打つ。


 「獣は強い。けど迷う。人間も同じだろ?」


 「迷いは澱む。澱みは溜まる。溜まったものは――よく燃える」


 ガルドが剣を構える。

 必要な角度だけを取る。


 「回りくどい。要は何だ」


 男は笑いながら、少しだけ指を立てた。


 「要は、王都はいい炉だってこと。恐れも怒りも希望も、全部混ざってる。燃やし甲斐がある」


 ――炉。燃やす。


 レオンの胸に嫌悪が走る。

 人の感情を、道具のように扱う口。


 「魔王軍だな」


 ガルドが断定する。


 男は否定せず、むしろ愉快そうに頷いた。


 「まあ、そういうことにしておいてくれ。名乗るほど偉くないんでね」


 次の瞬間。


 空間の隅から、影が滲むように現れた。


 魔物。

 さっきの獣より大きい。目が赤く光り、口元から泡を吹いている。


 意思がない。

 なのに、殺意だけがある。


 男が指を鳴らす。


 魔物が同時に跳ねた。


 ガルドが踏み込む。

 大剣が唸り、魔物の一体を正面から叩き伏せた。


 ――だが、倒れない。


 斬られたはずの胴体が、黒い糸のようなものに引かれ、無理やり形を保っている。


 エリシアが息を呑んだ。


 「魔力で……動かしてる。筋肉じゃない」


 「そうそう。便利だろ?」


 黒衣の男は楽しげに言った。


 「痛みも恐怖も、本人が引き受けなくて済む。夢に沈んでれば、楽だから」


 そして、まるで舞台を褒める観客のように言葉を重ねる。


 「いいね。前に出ないのに、逃げない。……育ってる」


 その言い方が、腹立たしかった。

 こちらを“相手”として見ていない。

 危険としてではなく、面白い素材として見ている。


 レオンは前に出ない。

 だが、何もしないわけにはいかない。


 「エリシア、後ろ!」


 声を投げ、レオンは一歩横へ出た。

 踏み込まず、進路をずらす。剣先で牽制して注意を引く。


 爪が迫る。

 半歩下がる。頬を風が掠めた。


 怖い。

 でも止まらない。次へ繋げる。


 エリシアの視線が一瞬、レオンの動きを追った。

 理屈で見れば粗い。だが、無茶ではない。


 (前へ出ない。無駄に削られない。……場の作り方がある)


 そう“評価”できる程度には、彼は自分の体を扱い始めている。


 ガルドがレオンの位置を一瞥し、すぐに剣を振るった。

 レオンが引きつけた魔物の横腹を断つ。


 それでも糸が断面を繋ごうとする。


 ガルドが吐き捨てる。


 「しぶといな」


エリシアは後方で魔法陣を組み直していた。



 炎ではない。光でもない。


 “切断”の術式。


 「糸を断ちます。止めるだけじゃ、また動く」


 黒衣の男が目を細めた。


 「学院の首席か。噂通りだな」


 そして、囁くように続ける。


 「理屈は強い。けど、折れる。感情ほど粘らない」


 その言葉が終わる前に、空間が揺れた。


 幻。


 一瞬、レオンの視界に村の祠が映った。

 錆びた剣。あの日の光。魔物の爪。


 そして地面に倒れる誰か――両親の背中。


 胸の奥が勝手に反応する。

 足が止まりかける。


 (……遅かったから)


 声が、耳の内側で鳴る。


 違う。幻だ。

 分かっているのに、身体が先に怯える。


 そのとき、ガルドの声が落ちた。


 「前だ」


 言葉より先に、ガルドが魔物を弾き、通路を作った。

 その動きが、レオンの目に現実を戻す。


 レオンは奥歯を噛みしめ、視線を逸らさなかった。


 「エリシア!」


 自分の声で、自分を繋ぎ止める。

 怖さを消すのではなく、怖さの上から動くために。


 エリシアの指先が速く動く。

 術式が完成し、光の刃が走った。


 黒い糸が断ち切られる。


 魔物が一体、二体と崩れ落ちる。

 今度こそ、動かない。


 黒衣の男は舌打ちしたが、口元は笑っていた。


 「なるほど。ますます面白い」


 ガルドが踏み込む。男に届く距離。


 だが男は魔法陣の中心へ小さな結晶片を落とした。

 乾いた音。


 空間の魔力が一気に流れを変える。

 床の魔法陣が赤黒く脈打ち、冷たい風が逆流するように吹き上がった。


 ガルドの身体が、すぐに攻めの形をほどいた。

 追うための足ではなく、退路を確保する足になる。


 「撤退だ」


 その声に、レオンの体が動く。

 判断を考える前に、身が従った。


 レオンはエリシアの近くまで駆け寄り、距離を詰めすぎない位置で声を投げた。


 「離れます! 走れますか!」


 確認だけ。命令じゃない。


 エリシアは一瞬レオンを見て、頷いた。


 「……走れます。今は離脱が最善」


 三人が走り出した背後で、魔法陣が崩れ、天井の石が落ち始めた。


 黒衣の男の声が、瓦礫の向こうから追いかけてくる。


 「いい撤き際だ。……次はもっと育った顔を見せてくれ」


 撤退すら、楽しんでいる。

 背中越しに笑われている感覚が、レオンの胸を苛立たせた。


 だが同時に――

 追いつけない差が、冷たい現実として残った。


 地上へ出たとき、外の空気がやけに薄く感じた。

 夜の冷気が、今は救いだった。


 レオンは膝に手をつき、荒い息を吐く。

 生きている。その事実が、さっきまでより重い。


 エリシアは掌に残った黒い結晶片を見つめていた。

 いつの間にか拾っていたらしい。


 「……魔王軍の術式。けれど、学院の記録にはない系統」


 ガルドが吐息を漏らす。


 「本隊じゃねぇ。だが、厄介だ」


 レオンは喉の奥の乾きを飲み下す。


 怖かった。

 幻に揺さぶられた。止まりかけた。


 でも――戻ってこれた。


 自分の声で。

 ガルドの背で。

 エリシアの術で。


 役割があった。

 対等ではない。だが、ゼロではない。


 「……また、来るんですよね」


 レオンが言うと、ガルドは迷いなく頷いた。


 「ああ」


 エリシアも頷く。


 「魔力を集めている以上、続く。目的は……復活の準備かもしれない」


 レオンは夜空を見上げた。

 王都の灯りが遠くに揺れている。


 人がいる。笑っている人がいる。

 明日を信じて眠る人がいる。


 それを“燃える”と呼ぶ声を、さっき聞いた。


 世界は一つの正しさで動いていない。

 救済同盟の影も、魔王軍の影も、確かにある。


 だからこそ――自分は立ち位置を定めなければならない。


 何を恐れ、何を守り、誰と立つのか。


 まだ答えは出ない。

 ただ、目を逸らさないと腹の底で決めたことだけは確かだった。

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