第67話 元カノ
そして、小晴の中に生まれた小さな不安が刺激されたのは、サークルメンバーたちと楽しく話していた輪の中での出来事だった。朱音のほかに、合宿中に仲良くなった女子メンバーと他愛ない話をしていたら、いつの間にか話題の中心がサークルの憧れの的である拓也に移っていた。
「てかさ、拓也さんの元カノって皆見たことある?」
急に振られた話題に、小晴の心臓がどくんと嫌な音を立てる。
「え、元カノ…?」
朱音の顔は見事に引き攣り、さりげなく隣の小晴の様子を伺う目は心配そうな色をしている。そんな朱音の視線に気付く余裕もなく、少し前にトイレで聞いた元カノの情報が小晴の頭の中に羅列される。
「そうそう。ほら、拓也さんがその人と別れてから全く彼女作らないのは、割と有名な話じゃん」
そうなんだ、と小晴は心の中で呟いた。
「実は、昨日。私、その元カノ見ちゃったんだよね」
やや得意げに語る同級生は、はやく続きを話したくて仕方がないといった様子だった。「へえ、どんな人なの?」と、別の誰かが聞くと待ってましたと言わんばかりに彼女は口を開いた。
「いや、これがまじで美人なの。やばい。初めて実物見たけど普通にビビった。流石拓也さんの元カノって感じ。肌がまじでお人形でさ、等身も一般人じゃないね。細すぎて横転」
――うそー、いいなあ。私も見てみたかった。
なんて周りが盛り上がる中、すでに小晴の心情はズタボロの雑巾のような状態だった。
(そ、そりゃミスコン出てたんだから、美人なのは当たり前でしょ…)
ショックを受ける自分に言い聞かせてみるが、落ちた気分は戻ってこない。
「あれ? なんか珍しい面子じゃん。女子だけの内緒話?」
これ以上、拓也の元カノの話を聞きたくないと思った矢先、誰かが声をかけてきた。
「あ、隼。そっちこそ何してんの?」
「別になんも。見かけたからスルーすんのも変だし覗きに来た」
同じサークルの隼が偶々通りかったらしい。なんだか活動以外でサークルの皆と話しているのが、小晴には新鮮だった。「なにそれ」と、他の子たちが笑い空気が変わる。
「で、何話してたわけ?」
「あ、そうだそうだ。隼は見たことある? 拓也さんの元カノ」
「あー…、一ノ瀬さんだっけ。まあ、ちらっと。てか去年のミスコン出てたよな、確か」
「そうそう、その人。超絶美人な元カノさん!」
「まあ、でもそれって好みだし」
えー、つまんないと大ブーイングを受ける中、隼の視線がふいに小晴に向けられた。
「てか、小晴ちゃんも興味あんの?」
「え?」
「拓也さんの元カノ」
真っすぐな視線で射られ、なぜか固まる。なんて答えたらいいのか迷って目が泳いだ。
「ま、あ。そんなに綺麗な人なら一回は見て見たいかも、しれない…かな?」
会いたいような会いたくないような、嘘でもないし本当でもない答えを絞りだしてへらっと笑った。
「へー…、なんか意外」
なんだか頭の中を見透かされているような視線に晒され、ぎこちない笑みが崩れかける。どうにか曖昧に誤魔化して、小晴はその場をなんとかやり過ごした。
*
夏よりも青色が濃く澄んだ空は、季節の移り変わりを教えてくれる。薄いヴェールのような透けた雲は、空のカーテンのようだ。
今日も相変わらず大学の食堂は、混み合っている。学祭の話ではなくただの雑談に切り替わっているテーブルで、拓也は参加せずインターンの資料に目を通していた。自分以外で盛り上がっている中、ふと倫子の視線が遠くに向けられた。さっきまで笑っていた表情が、ほんの一瞬だけ止まる。反射しそうなほど強い日差しを受け、きらきらと輝く屋外に一見するだけでわかる華やかなオーラを放つ女子の集団が歩いてくる。
「ねえ、あそこにいるの拓也の元カノじゃない?」
倫子がその女子グループを指さした。タブレットで資料を見ていた拓也は、動かしていた指を止め顔を上げる。すっと細められた視界の先に、確かに瑠華がいた。
「うわ、まじじゃん」
驚きに混じって弾んだ大佑の声が大きく響く。
「おーい!」
何を思ったのか、その場で席を立ち大きく手を振る。食堂中の視線を集めるほどの声に、拓也はぎょっとした。
「おい。何してんだよ。やめろって」
慌てて、立ち上がって大声を張り上げるだけの煩い男を座らせようと制止する。しかし、ガラスの向こう側で明らかにこちら側に気が付いた空気を感じて、拓也はため息を吐き出したくなった。吐きかけた息を飲み込んで、煩い男の制止も諦める。
「え、やだってば」
「いいじゃんいいじゃん」
「ほらもう、はやく行くよ~!」
他の女子にせっつかれるように瑠華が半強制的にこちらに連れてこられている。一瞬、拓也は瑠華に視線を投げた。友人に圧され困った顔をしている。だいぶ面倒な展開だとウンザリしながら、拓也は早々に諦めてタブレットに視線を戻した。
*
ニヤニヤと楽しそうな友人たちを背に、瑠華は気まずそうな顔で拓也たちのいるテーブル前に立った。
「えっと…、急に来てごめんね?」
視線を泳がせてから、拓也の機嫌を伺うように下から上に目線を上げた。
「別に」
拓也は返事だけして、手元の資料に目線を戻した。一瞬、気まずい空気でも流れそうになった空間に、元気いっぱいな声が響いた。
「こんにちはー!」
「何してたのー?」
瑠華を押しのけるように前に出てきた女子たちが、可愛さと無邪気さをふんだんにあしらった笑顔を振りまく。まさに自分の見せ方を知っている人間の顔をしていた。
「ちょっと、みんなやめなよ」
「えー、別にいいじゃん。来ちゃ駄目だった?」
「駄目でした~?」
エネルギッシュな友人たちを瑠華がおろおろした態度で控えめに注意するが、誰ひとり気にした素振りはない。
「全然! 駄目じゃない!」
「わーい、嬉しい」
キャッキャッと無邪気に笑う瑠華の友人たちは、完全に男を手玉に取ることに慣れたタイプだ。とりあえず場を静観していた悠真は、小さく息を吐いた。友人、特に男どものデレデレ具合に呆れつつ、悠真も場を壊さない程度に話に乗る。
「何話してたの?」
「学祭! 俺ら雑用係だから」
特に大佑が楽しそうだ。たぶんこの場を一番楽しんでいる。
「なにそれ〜。代表って雑用なの?」
「そう。実質雑用みたいなもん。可哀想っしょ?」
「うん。かわいそ〜」
「じゃあ、可哀想な俺のこと慰めて〜」
「え〜、やだあ。なんか別の意味が入ってそう」
どんな話のすり替え方だよ、と思いながら勝手に盛り上がる連中を放っておく。悠真はさりげなく対角線に座る拓也と近くを陣取っている瑠華に視線をやった。
「ねえ、拓也も学祭のこと話してたの?」
瑠華が遠慮がちに資料読んでる拓也に聞く。
「まあ」
「へー。それも?」
彼女は、拓也が持っているタブレットを指差した。
「あー…、いや。これはインターンのやつ」
一瞬、瑠華の表情が変わったように見えた。
「へー、すごいね」
すぐに元に戻ったが、声に乗せた温度が数度上がったように感じる。
「いや、たまたまだから」
「ううん。将来ちゃんと考えてて偉いよ」
瑠華が無邪気に笑った。その笑顔は、問答無用で破壊的に可愛いらしかったが、拓也に反応という反応はない。
「私は変わってないよ! いまね、結構頑張ってるんだ」
「……アナウンサー志望だっけ?」
初めて拓也が能動的に言葉を返した。すると、ぱっと花が開くように瑠華の瞳が輝く。
「そう。覚えててくれたんだ!」
嬉しいと言わんばかりの花丸な笑顔だ。
(あーあー…、やってんなあ、拓也)
呆れた目で二人を見ていたら、袖を引っ張られた。
「ね~え~、悠真くん」
「ん? なに?」
自然な動作で視線の先を移動させ、瑠華同様に絵力の強い女の顔を見た。
「悠真くんたちのサークルは、学祭なにするの?」
「食べ物と、あと作品の展示、上映」
あざとさを使いこなした彼女たちに、簡潔な答えを返す。「みんなで来なよ。サービスする!」と、意気揚々と言う大佑に悠真は苦笑を漏らした。この場で彼みたいに、わざと踊った方が楽しいのは理解していたが、今日の悠真はあまり気乗りしなかった。隆哉と圭太も割と大佑のように楽しんでいる。反対に美沙と倫子は楽しくないだろう、とも思った。
「え! 遊び行きたい! てか、一緒に回りたいなあ」
そして、無邪気な少女のように笑う彼女たちは自分たちが優先される場だと分かっていて振舞っている。まるでここは狩場だ。どちらが狩られる方なのか定かではないが、笑顔の下に隠された感情はなかなか唆る色をしていることだろう。
また、それは向こう側にも言えることだと、視界の端を陣取る拓也と瑠華を見て思った。




