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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第六章 噂の種が落ちるとき

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第65話 手が掛かる彼女



 学祭についての説明と連絡が終わり、各自解散の流れになった。遥生は座っていた席を立ち上がり、真っすぐ小晴の元へ向かった。「小晴さん」といつもの調子で声をかけるとすぐに顔が上がる。


「あ、遥生くん。お疲れ」


 スマホを両手で握りしめる小晴は、やはりなんだか元気がなさそうだった。


「なんかありました? ちょっと元気なさそう」


 心配がより増して、眉が下がる。学祭の説明がされる間も、ずっと小晴を見ていたから余計だ。彼女がずっとサークルの間気にしていたように思う人物が、本当にその人なのか確かめたかった。


「え、ほんと? 全然大丈夫だよ。気にしてくれてありがとう」


 小晴は慌てたように笑顔を浮かべたが、いつもの笑顔でなくどこか覇気がない。遥生は、ちらっと小晴が持ってるスマホを見た。視線に気が付いたのか、小晴はさりげなく画面の照明を落とした。


「遥生くんは、学祭参加するの?」


 それから話題を変えるように、学祭の話を振られる。「俺は…」と言いかけ、ふと視界の端が気になり出入口の扉を振り返った。扉の奥で立往生している人がガラス越しに見え、考える前に身体が動く。


「あ、ちょっとすみません」


 一言謝罪を入れてから、扉前へ駆け寄った。小晴は、そんな遥生の一連の動きをただじっと見ていた。扉を開ける手助けをしたあと、何事もなかったようにすぐに遥生は小晴のもとに戻った。


「話の途中ですみません。それで、なんでしたっけ?」


 小晴がこんなことで機嫌を損ねる人でないと分かりながら一応顔色を伺う。当の小晴は、遥生のさりげない気遣いにただただ感心していた。


「遥生くんって色んな事に気付けるんだね。私、気付かなかった」


 勝手に話の腰を折ったのに、目の前の小晴は気付けなかったことをただ気恥ずかしそうに笑うだけだった。そんな小晴の柔らかな笑顔に勝手に心臓がドキッと音を立てる。手放しで褒められることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。


(今なら…――)


 彼女の笑顔に励まされ、遥生はポケットをまさぐった。少しの勇気を振り絞って、手に触れたスマホをぎゅっと握る。


「あの、良かったら、その…」


 口の中が急にカラカラに乾いて、心臓がドクンドクンと大きく跳ねる。


「連絡先、――」


 交換してください、と言いかけたところで小晴のスマホが震えた。ブブッと震えたスマホは、画面を明るく照らす。自然と小晴の視線は、スマホに吸い寄せられた。


(あ、…)


 視線が、空気が、彼女の反応が、好きな人からだと分かった。自然だった表情が不自然に固まり、届いたメッセージに釘付けになっている。まるで隣にいる遥生の存在を忘れてしまったかのようだった。


(え?)


 小晴の両手に握られたスマホの画面が覗けてしまったとき、遥生は目を見開いた。そこに映ったLIMEのアイコンは、身に覚えがあった。ぐちゃっと心臓が握り潰されたような、どう例えたらいいのかわからない耐えがたい痛みが胸に走る。遥生の予想が、確信になった瞬間だった。


「ごめんね、私もう行かないと」


 LIMEを見た小晴は、唐突にそう言った。もうきっと目の前の自分は目に入っていないのだろうと簡単に想像がついた。


「それって…」


 言いかけて、口を噤む。それから無理やり口角を引き上げて笑顔を作った。


「あ、いや。わかりました! むしろ引き止めてすみません」


 本当は聞きたかった。聞きたかったけど、小晴と目が合って突っ込む勇気がなくなった。いま何かを言っても誤魔化される関係性だと思った。どちらも本当だ。だけど、そんなことより何より一番は、小晴に関係を断ち切られるのが怖かったからだ。


「また、暇な時相手してください」


 精一杯の強がりで後輩らしく、にっこりと笑う。本当は、行くなって言いたかった。良い噂を聞かない男の元に、好きな人を送り出したくなんかなかった。だって――。


(小晴さんの笑顔を曇らせたのは、そいつなんでしょ?)


 出かかった言葉を無理やり飲み込む。


「うん。またね」


 ふわりと優しく笑う綺麗な人がこれ以上傷ついてほしくなくて遥生は、ぐっと見えないところで拳を握った。遥生の横を小晴が通り過ぎた時、香水とは違う優しい香りが鼻をくすぐる。去っていく背中をただ目だけで追うことしかできない自分に虚しさと憤りが襲った。


 ぽんっと本人も知らぬ間に内側で、静かに憎しみの火種が燃える音がした。



 *



 サークルの後に時間が欲しいと送っていたずっと既読にならなかったメッセージに返事が来た。ただ一言、〈どこ行けばいい?)という短い言葉。それだけなのに、舞い上がるほどの安堵と嬉しさが小晴を駆り立てていた。ちゃんと自分に向き合う時間をくれたことにまずは感謝を伝えないといけない。それから、精一杯謝って許してもらおう。


(私は、気付けてないことが多すぎる)


 先ほど遥生の行動を目の当たりにして、自分の視野の狭さをより実感した。もっと周りを見て見習わないと、と改めて思ったきっかけだった。図書館の扉に吸い込まれるように、自動扉とゲートを潜る。たぶん、拓也はまだ来ていないだろう。つい数時間前に拓也を傷つけてしまった場所に舞い戻ってきて、小晴はゆっくりと深呼吸をした。心臓が忙しなく動くのを感じながら、落ち着けるように何度も何度も胸をさする。


(大丈夫。タクくんは優しい。だから、話は聞いてくれる)


 呪文のように、自分に言い聞かせる。

 それから少し時間が経った。


「小晴」


 秘密の空間に足を踏み入れる音がした。ソファに座っていた小晴の顔が、勢いよく声の方向を向く。


「お疲れ」


 優しい言い方だけど、やはりどこか距離のある音だった。小晴は、内心でぐらりと気持ちを揺すられたが気にしていないふりをして無視する。


「タクくん。来てくれて、ありがとう」


 代わりに、ちょっと泣きそうな頼りなげな笑みを拓也に向けた。それから、ソファを立ち上がり一定の距離を保ったまま近づいてこない拓也の前に立った。


「あのね、ごめんなさい。私、すごく無神経だった。嫌な気持ちにさせて、ごめんね」


 拳を強く握りながら、振り絞るように言葉を紡ぐ。泣くまいと決意した気持ちが言葉を紡ぐたびに揺らぎそうになって、その度に気持ちを律した。


「うん」


 拓也は静かに相槌を打った。許そうとしているのか、まだ怒っているのか、感情が隠されたままで足元が冷える。


「これからは、ちゃんと気をつける。タクくんに嫌な気持ちさせないようにする」

「うん」

「だから、あのね」


 ぶわっとまた涙が溢れそうになって、口を引き結ぶ。二、三度開いては閉じるを繰り返して、やっと言わなきゃいけないことを口にすることができた。


「まだ、タクくんのそばにいてもいい、かな」


 頼りない小さく震えた弱々しい声音。自分の声が耳に戻ってきて、我慢したはずの涙がまた出てきそうになり唇を強く噛んだ。

 言い切った小晴の頭は下を向いた。どんな拓也の言葉も受け入れようと覚悟だけは固める。


「……怒ってたわけじゃないよ」


 拓也は沈黙の後、小晴に手を伸ばした。それから唇にやさしく触れる。まるで、噛んだらダメと言っているみたい。自然と顔が上がり、目が合った。じわりと滲んだ涙を瞬きで誤魔化す。


「でも、俺は小晴の口から他の男の話は聞きたくない」


 ハッキリと告げられ、やはり自分は拓也を傷つけたんだと自覚する。傷つけた側なのに罪悪感か、胸に鋭い痛みが走った。


「ごめんなさい」


 ただ謝るしかできなくて、なんて不甲斐ないんだろう。


「うん。今回は許すけど。俺、小晴が思ってるより、そんなに心広い方じゃないから」


 拓也の言葉を受けながら、そんなのきっとみんなそうだと小晴は思った。今回の自分の行動は、とても自分勝手なものだったと深く深く反省する。拓也が特別心が狭いわけでも、嫉妬深いわけでもない。むしろちゃんと話してくれるところは彼の誠実さで、許してくれるところが心の広さを表していると思う。


 自分だったらと想像してみると、ただ何も言えずに溜め込むばかりだっただろうと簡単に予想づいてしまう。


「普通にムカつくし、不安になる」

「うん」


 当たり前すぎることを改めて言わせている自分に、またやるせなさを感じて落ち込む。


「あんまり、俺を不安にさせないで。結構しんどいから」

「ごめんね、もうしない」


 拓也を傷つけて、苦しめて、自分は大丈夫となんで思えたんだろう。ピノキオみたいに高かった鼻がポッキリと折れた気分だ。


「うん。約束ね」

「うん。約束」


 約束を口にすると、拓也が大きな体で抱き寄せてくれる。伸ばされた腕に包まれた時、心の底から全身に安心感が広がった。またチャンスをくれたことが奇跡みたいだった。


「はあ…。ほんと俺の彼女は、手が掛かるな」


 上から落ちてきた言葉の裏に大きな疲労が見える。サークルの代表で学祭準備に追われ忙しい時期なのに、さらに追い打ちをかけていたんだと気づいて顔が歪んだ。うっ、と拓也の腕の中で小さく唸る。


「ごめんなさい」

「ほんとだよ」


 手厳しい本音に身が縮こまった。


「ほんとに、ごめん」


 拓也の呆れたような力の抜けた笑顔を目にし、小晴は何度目かの謝罪を口にした。ぎゅっと抱きつくと、さらに強い力で抱きしめられて罪悪感が胸を占める。


 小晴は自分の足りなさが招いてしまった結果を思い、拓也にバレないように腕の中でちょっとだけ泣いた。

 また、明日も拓也の隣に居られる――そんなささやかな幸せを、小晴はそっと噛み締めた。



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