第58話 隣にいる理由
みんなで駅に向かう道は、賑やかでワイワイと騒がしい。
「なんで、アンタも一緒なわけ」
「え〜? だって朱音が行かねえなら金の無駄じゃん」
「あー、はいはいはいはい」
「またそれ〜。そうやって流すの良くなくねえ?」
二次会に行こうと駄々を踏んでいた涼矢も結局、小晴たちと共に駅に向かう道を歩いている。
「いつ私が流してんのよ。アンタがしがみついてるだけでしょ」
「ひっでえ!」
「涼矢、流石に彼氏いるんだからやめときなって」
かれこれ同じようなやり取りを繰り返す二人に、陽介が呆れたように言う。たぶん実際呆れている。
「朱音、1週間前に別れたって」
陽介の事実訂正でもするように、隼が淡々と補足した。
「え。…お前、まじかよ。あんなに『別れない!』とか言ってたのに」
玲央が素で引いた声を上げた。
「私の話はいいのー! ほっといて!」
小晴はその会話を片耳で聞きながら、帰りの電車を調べようとスマホを開く。ふと、LIMEの通知バッジに気がついた。
(あ、拓也さんから――)
気がつけば、40分前くらいに届いていた。そう言えば帰ることも伝え忘れていたと気がついて慌てて連絡を入れる。
(拓也さん、今頃二次会の場所に移動してるのかな)
何気なく考えて、今も女の子に囲まれているかもしれないと先ほどの光景を思い出しツキンと胸が疼いた。
「小晴ちゃんって何線?」
「あ、えっと、私は井戸端線」
「じゃあ、別か」
「隼くんは?」
「俺は、山芋線」
「都会っ子だ」
「いや、全然違うから」
くだらない会話に笑った、その時。
ブッ――。
急に、手に持っていたスマホが震えた。拓也の文字が浮かび上がり、反射的に画面を胸に押し付けた。駅へ向かっていた足は立ち止まり、隣を歩いていた隼が不思議そうな顔をする。
「ごめん」
小晴の声に、隼以外のみんなも立ち止まり振り返る。
「電話来たから、みんな先帰ってて」
ぎゅっとスマホを両手で握りしめて、小晴はすまなそうに笑った。
「…、一人じゃ危なくない? 電話終わるまで待ってるよ」
最初に口を開いたのは隼だった。気遣ってくれる隼に対し有難く思いながら、首を横に振る。
「ううん。大丈夫。心配してくれてありがとう」
「いや、でも」
「はるちゃんがそう言うなら大丈夫でしょ。ほら、みんな行こ。電話はやく出たほうがいいんじゃない?」
隼の言葉を遮るように、小晴のスマホを一瞥した陽介が口を開いた。若干強引にも思えたらしくない割り込み方に思わず目を向けると、当然のように目が合う。小晴は、陽介から柔らかい視線を向けられていることに気が付いた。誰からの電話なのか察しているような気がした。朱音と玲央もなんとなく気がついているのか、陽介の提案に乗っかる。
「ならここで。気をつけて帰れよ」
「変な人について行ったらダメだからね!」
「もう、わかってるよ」
あっけらかんとした三人の言葉にホッとして笑みが溢れる。
「じゃあね」
みんなを見送り見送られて、小晴はまだ震えているスマホの画面を元に戻す。拓也の文字に心臓が早鐘を打ち始め、指先が震えた。すでに付き合っているのに、こんな反応はおかしいだろうか。バーを横にスライドさせて、ドキドキと高鳴る胸の煩さに邪魔をされながらスマホを耳に当てる。「もしもし」という言葉は、発する前に掻き消えた。
『どこ』
聞こえた声は、普段より少し語気の強い低い声だった。短く簡潔的な言葉が機械を通して鼓膜を震わせる。言われた言葉の意味を理解しようと脳を高速回転させたが、酔いが残った脳みそはぐるぐると回るだけで役に立たない。
『そっち行く』
電話越しに遠くの騒音が聞こえた。
「え、あ、えっと。今駅前で、ワックの近く」
続けられた言葉からやっと表面上だけは掬い取ることができ、あわあわとしながら周囲を見回した。目に入った情報から口にする。
『わかった、そこで待ってて』
どうやら間違ってはいなかったようで、そこでプツンと電話が切れた。しばしスマホを耳に当てたまま放心する。
(……、二次会参加する予定じゃ、なかったの?)
電話の短い言葉だけでは、やっぱり理解が追いつかなかった。けれど「待ってて」と言われた手前そこを去るわけにも行かず、小晴は人の流れに邪魔にならないように端っこに寄った。ハンバーガーショップの外壁に凭れながら、足元に転んだ小さな砂利を靴の先で遊びながら待っていると目の前に大きな影が落ちた。
「小晴」
はっきりと名前を呼ばれ、ゆっくり顔を上げた。人の声も、車の走行音も、一瞬全部遠くなる。少し息が弾んで、汗ばんだ拓也が目の前に立っていた。
「走ってきたんですか!?」
びっくりして、目を丸くする。
「…、間に合わなかったら嫌だったから」
息を整えながら拓也が短く答える。まだ荒い息遣いのままなのに、疲労を感じさせない爽やかな拓也の笑顔に目を奪われた。
「あ…、お、お水!」
すぐ近くにコンビニがあるのが目に入り足が向く。しかしそれ以上足が進むことはなかった。腕を取られ、拓也によって行く手を阻まれたせいだ。
「大丈夫。それより、知らないうちにいなくなってて焦った。なんかあったらって思ったら、めちゃくちゃ心配した」
小晴は俯いて、申し訳なさそうに声を絞りだす。
「っ、ご、ごめんなさい」
「いいよ、俺も途中からなんかよくわからない感じになっちゃってたし。言いにくかったんでしょ」
「…、拓也さん二次会は?」
言外に女の子たちに嫉妬していたと指摘されているような気がして、小晴は肯定も否定もせずに違う質問で返した。
「ねえ、さん付けやだ。小晴がいないんなら行ってもしょうがないよ」
平然とした顔で言うその一言に、心臓が跳ねる。
「小晴こそ、みんなと帰ったんじゃなかったの?」
「た、タクくんから電話あったから…」
カアアと顔が赤く染まる。
小晴の耳まで赤くなったのを見て、拓也が小さく笑った。
「ほんとに、二次会行かなくて良かったの?」
二人、並んで歩きながら、おもむろに小晴は口を開いた。ほんの少し勇気がいった質問は、ところどころ伺うような音をしていた。
「さっき行ったじゃん。小晴いなかったら意味ないって。信じてない?」
「そういうわけじゃないけど…」
終始優しい拓也の声は、それだけで小晴を優しく包み込んでくれる。小晴の視線が自然と足元に落ちた。
「じゃあどういうわけ?」
「タクくんの周りは、私なんかより可愛い子がいっぱいいるから」
少しだけ拗ねたような声だった。
「やっぱり信じてないじゃん」
拓也が軽やかに笑う。
「だ、だって」
「なに?」
「なんでもないです」
目が合って、慌てて横に逸らす。止まってしまった足もそそくさと踏み出して、隣に並んだ。
「俺、彼氏なんだけどなあ」
独り言のように呟く声は、冗談みたいで、なのにどこか寂しそうで。
(…いつか飽きられたら?)
今日、ふと怖くなった。黙り込んでしまった小晴を目にした拓也は、しばし考えてから口を開いた。
「小晴はさ、俺にもっと我儘言っていいんじゃない?」
思ってもみなかった言葉に、小晴は顔をあげた。
「どういう、こと?」
見上げた顔は、訝し気な色でいっぱいだ。
「うーん。俺、小晴の彼氏なのになあ、ってたまに思うよ」
拓也の言葉に、自然と反論が胸に浮かんだ。
(拓也さんは我儘言っていいって言うけど…、)
どんな人にだって必ず許容できる範囲はあって、その範囲を超えてしまったらきっと幻滅する。口では何とでも言えるけど、実際私が我儘言って面倒くさいって思ったら?
(拓也さんは私のこと、もう飽きたって思う?)
最悪が頭に浮かんで小晴は、嫌な考えを振り払うように笑った。
「で、でも、ほら。拓也さんが私なんかと付き合ってくれてるこの状況が、それだけで十分っていうか」
自分の感情を隠した必死さが、口元をぎこちなく歪に象る。
「ほら、また。さん付けに戻ってる」
指摘され小さく声が漏れた。拓也は困ったように、少し寂しそうに眉を下げて笑っている。
「小晴はそのままで十分素敵なのに、なんでそんなに自信ないかなあ」
ふと、拓也の表情から笑顔が消えた。顔がこちらを向く。足は止まっていた。
「大好きだよ」
真っすぐな言葉に、息も止まる。
「小晴が好き。信じてよ。もっと俺に甘えて」
小晴の不安定に揺れる瞳を見つめたまま、拓也は頑固な小晴の心に届けるようにもう一度直球の言葉をくれた。
もっとなんて…、もう、十分すぎるくらい大好きなのに――。
なぜか喉が詰まって、ただ見つめることしかできない。今の小晴の心は、大海に浮かんだ小舟みたいに頼りなかった。
「…まあ、でも。俺のこともっと好きにさせる自信はあるから」
拓也が、茶目っ気たっぷりに笑う。
「これからも隣にいてね。俺のかわいい彼女さん」
ほら行くよ、と腕をひかれた。離れないように固く結んだ手が、立ち止まっていた小晴の足を動かす。少し後ろから見る拓也の背中は、大きくて頼もしくて、キラキラと輝いていた。
(拓也さん…、ううん。タクくん)
終わりが見えないくらい、怖いくらいどんどん好きが増していく。
どうか、ずっと隣に並んでいられますように――。
小晴は、拓也の手をぎゅっと強く握り返した。




