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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第三章 矢印は動き始める

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第56話 居場所



 飲み会の序盤から朱音を中心に小晴たちのテーブルが盛り上がる中、小晴自身は無理に会話に入ることはなかった。拓也と朱音の二人の間に大人しく腰を下ろし、たまに会話に混じるように笑って、ちびちびとお酒を飲んでいる。


 小晴の周りを囲む人たちは、いつもと全く異なる空気感で、いつもより大学生の飲み会と言った雰囲気で新鮮だ。ただ気心が知れている二人のおかげか、無理に喋らなくても然程疎外感を覚えずに場に溶け込めていた。


 ある意味、空気のように存在していただけだった飲み会が少しだけ変化したのは、涼矢からの朱音への不満暴露大会を経て、圭太の本気なのか冗談なのか判別つかないアプローチに誰もかれもが笑っているときだった。

 小晴は、ふと視線を感じて真正面に目を向けた。ぱちりと正面に座る隼と目が合う。


「合宿以来? 夏休み何してたの?」


 柔らかく笑った隼が、盛り上がる彼らをBGMに話しかけてきた。少しだけ小晴は驚き、気のせいではなかったんだと妙な嬉しさを覚える。何度か瞬きをして、うーんと首を傾げた。


「バイトと、遊び、かな」


 せっかく尋ねてくれたというのに、なんの面白味の欠片もない自分の返事に眉が下がる。手に持ったままのグラスは、まだ中途半端に中身が入っていた。


「へー。でも、俺も似たようなもんかも」

「バイトしてるの?」


 からりと笑った隼の反応にどこかホッとしながら、会話のラリーを続けて良さそうな雰囲気に自然と質問も出た。


「そりゃ。映画館でしてる」

「すごいね、忙しそう」


 思ってもみなかったバイト先に少しばかり目が丸くなる。


「めちゃ忙しかった」


 子供のような笑顔に、小晴もつられて笑った。


(あ、なんか楽しいかも)


 疎外感があったわけではないけど、どこかで肩に力が入っていたらしい。隼のお蔭でこの場にやっと馴染んだような安心感がした。


「てか、今日いないと思ってたから意外」


 グラスを傾けて一口飲んだ隼が、小晴を見て言う。また少し話し方が気安くなって、なんだか合宿のときに打ち解けた気楽な空気が戻ってきたようだ。


「だよね、意外なのは自分でも思う」


 小晴も自然と肩を張らずに喋っていた。


「じゃあラッキーだ。小晴ちゃんに今日会えたの」


 お酒を飲もうとした手が止まった。思わぬ言葉に、目の前の隼を凝視する。


「だって結局朱音がスルーするから、みんなで遊ぶ計画飛んだじゃん」


 たぶんさっき話していた涼矢の続きだろう。


「あ、そんな話してたね」


 すっかり忘れていた。それに、あれは本気で誘ってくれていたんだと知る。


「うわ。それ、忘れてた人じゃん。案外小晴ちゃんも朱音と一緒で薄情だなあ」

「え。それは、その、ごめんね」


 そこまで言われると思っていなかった小晴は、まさかそんなに傷つけてしまったのかと慌てた。そんな小晴を見て、隼が吹き出すように笑う。


「うそうそ。いいよ。気にしないで」


 意味がよくわかっていなさそうな小晴を見て、さらに隼が笑った。


「なんか、小晴ちゃんってかわいいよね」


 ひとしきり笑った隼が、まだ困惑したままの小晴を見る。


「え、…あはは、全然可愛くないよ」


 やっとここでさっきの薄情という言葉が冗談で、今の可愛いもその延長線だと気が付く。小晴は、これが大学生の飲み会なんだと小説とかドラマとかの世界に飛び込んだような気持ちになった。


「結構マジだよ」

「えー、へへ。ありがとう」


 たぶんこれは朱音と圭太のような会話に違いない。朱音を見習って当たり障りない場を濁さない反応で笑っておく。たぶん真に受けなかったのは、少し酔っていたのもあったんだと思う。テーブルに置いたままだったグラスを手に取り一口飲んだ。甘いジュースみたいなトロリとしたお酒が喉から食道へと落ちる。


(隼くんって、ほんとすごいなあ)


 こんな自分とでさえ楽しく会話を続けてくれるのは、彼の才能だろう。遠慮ないツッコミと会話の柔らかさが隼の素晴らしいところだなと思っていたら座敷の床に着いた手の先に、何かが当たった。


(え?)


 何だろうと思う前に、今度は人差し指に触れられた。指先でなぞるように、確かめるように、まるで気のせいじゃないと言っているみたいに、小晴の左手に触れ直す。


「小晴ちゃん?」


 急に固まった小晴を不審に思ったのか、隼が不思議そうな目でこちらを見ていた。


「え、あ。なんでもないよ」


 誤魔化すように笑って、もう底をついた空っぽのグラスに目を落とした。


「新しいの頼む? 空っぽだよね」

「あ、うん。そうしようかな」


 小晴の視線の先に気が付いて、隼が気の利いた提案をしてくれた。


「メニュー表ある?」

「こっちにあるよ~。はい、どうぞ」

「さんきゅ」


 周りが勝手に会話を続けてくれているその間も小晴は、自身の左手に全意識を持っていかれていた。今の今までちゃんと楽しく話していたはずなのに、今はそれどころじゃない。


 触れるだけだった拓也の指がゆっくりと、小晴の隙間に潜り込んだ。

 確かめるように――、逃がさないように――、指を絡めてくる。


(なんで、今?)


 拓也の手だと確信してから、触れる指がまるで火を灯しているように熱を帯びている。交互に絡んで固く結ばれた手が異様に熱い。誰かに見られるかもしれない。繋いだままでいるべきじゃないと分かっているのに、振りほどけない。拓也は、まるで何もしていないように隣で会話に混ざっている。心臓が、耳の奥でうるさいほど暴れている。


(関係がバレたら怖いのに――)


 小晴は、どういうつもりかと拓也の方を見ることも繋がれた手を拒絶することも出来ず、ただただ内側で暴れる嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。







 先ほどまで楽しそうに話していたのに、急に静かになった小晴に拓也は耐えきれないといった調子で口元を緩ませた。明らかに口説かれているのに全く気付きもしていないどころか、こちらが嫉妬をすることも眼中にない暢気な様子にムカついたから、少しばかり魔が差した。まだ関係を公にしたくないという小晴の気持ちを尊重したいから、飲みの場で手を握るなんて、かなりギリギリのラインだと自覚はしている。だけど小晴が困ると分かっていながら、手を伸ばさずにいられなかった。


 で、結果がこれ。


(さすがに俺の彼女、かわいすぎない?)


 拓也は誰に問うでもなく心の中で独り言を呟いた。笑ってはダメだと思うと余計に笑えてくる。


「え、なに? 急に笑ってどうしたの?」


 話の途中でひとりでニヤついていたからか、目の前に座る美沙が顔を顰めて明らかに気持ち悪がっている。隣に座る隆哉も訝し気な目を向けてきた。


「ん? いや、思い出し笑い」


 拓也は軽く肩をすくめて、なんでもない風を装って笑った。バレてもいいけど、バレたくない。矛盾していることくらい、自分でもわかっている。


 付き合たては、はやく俺の彼女だと周りに知らしめたかった。だけど、今はこんな可愛い彼女を誰にも知られたくないような、自分だけが知っていればいいような気もする。公表さえすれば、変な虫は絶対に寄り付かないのに、小晴が誰かの彼女になるという情報すら与えたくないような矛盾した感情だ。かといって、他の男に口説かれるのは別問題で、見過ごせるはずもない。


(いま小晴と二人だったら、俺しか視界にいれさせないのに)


 自分を意識しまくって仄かに赤く染まった耳がとても愛おしくて、拓也はニヤつきそうになる口元を酒を飲むことでうまく誤魔化した。



 *



 飲み会も中盤になり全体の空気が出来上がった頃、小晴の頬は慣れないアルコールでほんの少し赤く染まっていた。


「大丈夫?」


 隣に座る朱音が声をかけてくれる。


「うん。でもちょっとお手洗い行ってこようかな」

「そうしな、場所分かる?」

「大丈夫だよ」


 名残惜しい気持ちを残しながら繋いでいた指を解いて、掘り炬燵から足を抜く。小晴が立ち上がろうとしたとき、普段通りに力が入らずに体がふらりと前方に傾いた。思っていたよりもお酒が体を回っていたらしい。


「わ」


 短い声とテーブルに手をついた音が鳴る。それとほぼ同時に、隣から大きな手が伸びて、がしりと二の腕を掴んだ。


「大丈夫?」


 女の子の腕とは違うしっかりした腕に支えられて、顔が赤く染まった。咄嗟に「ごめんなさい」と謝って笑ってみるが、拓也との距離が物理的に近くなってしまって平常心ではいられない。テーブルの下で触れあっていた指のように、触れられているところがどくんどくんと熱を生み出す。


「だいじょうぶです」


 今度はしっかりと力を入れてから立ち上がって、逃げるように飲み会の場を後にした。拓也は一応人の目を気にしてくれたのに、自分の失態で距離がバグった。


(私のばか…)


 触れられたところ全部が、何か特別な魔法にかかったみたいに知らない鼓動をしている。誰にもバレていませんようにと願う反面、一切の躊躇もなく特別をくれる拓也に、小晴の矛盾した思いが少しずつ容量を増していくのだった。







 濡れた手を拭き終わり、化粧室を出た小晴は居酒屋の通路を進む。ガヤガヤとした音で溢れた店内は、小晴の小さなため息を隠してくれる。


(バレたかな、バレたよね。うん。絶対バレた)


 隼と話していた時に繋がれた手も、咄嗟に支えてくれた腕も、思い出すだけで頬に熱を灯す。


 きっと、私が拓也さんのことを意識してるの、全員に知られた気がする。でも、意識しちゃうのも呼吸が止まるのも、ドキドキしちゃうのも、しないってことは出来ないんだから仕方ない。


 そもそも飲み会での拓也の振る舞いなんて、付き合う前のようなものしか想定していなくて最初から振り回されっぱなしだ。思っていたより距離は近いし、隠れて手を握ってくるし、それとなく気にかけてくれて助けてくれる。ちゃんと特別扱いしてくれていると私に教えてくれているみたいで、色んな意味で心臓が痛い。


(どんな顔して戻ればいいんだろう)


 頭の中が拓也でいっぱいになっているうちに、もうみんながいる座敷の前に着いていた。障子の向こう側からは賑やかな声が聞こえる。靴を脱ぎ下駄箱に入れてから、小晴は軽く呼吸を整えた。ガラッと横に引くと、ぶわりと音が膨らんだ。弾けるような明るさに気圧されながら、中に踏み入れる。


(あ、…―)


 部屋の一番奥。滑り込むように自然と吸い寄せられた視線の先には、朱音が座っていた場所に追いやられるような形で拓也が座っていた。小晴が座っていたはずの席はどこにもなくて、拓也は隆哉たちと一緒に1年生の女の子たちと楽しげに盛り上がっている。


(拓也さん、笑ってる)


 他の女の子たちに向ける顔を目にして、チクリと胸が痛んだ。

 知らない顔。ううん、知ってる。いつも見ていたモテモテの拓也さんの顔だ。


 そこにいる人たちはみんな完璧で、綺麗に空気に馴染んでいて、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。1年生の女の子たちの甲高い声が嫌に耳について、シャットダウンするように視線を無理やり逸らした。


(別に、拓也さんがモテるのは分かってたし)


 なんて思っても、視界に映るかどうかは明確に感情が違う。それでも言い訳のように自分に言い聞かせるように心内で呟いて、ドロっとした感情をなかったものとして消し去る。


 先ほど座っていた席は埋まってしまったため、どこに座ろうかと空いてる席を探そうしたとき、通路挟んで奥の1年生だけで占めている卓が視界に入った。そこに座る1人と視線がバチッと合う。なんだろうと思ったタイミングと1年生の男子、遥生が口を開きかけたタイミングはきっと同じくらいだった。


「こはー! こっちおいで!」


 遥生のアクションが起こされる前に、よく通る聞き慣れた声が小晴の耳に届く。


「あ、朱音ちゃん」


 目が瞬く。小晴の視線は遥生から朱音にカメラを変えるように変わった。朱音のそばには、陽介や玲央が座っていて、小晴は無意識にホッと息を吐いた。遥生と目が合ったのは偶然だろうと片付けて、いつメン3人が座る卓へ向かう。みんなの中に腰を下ろすと、まるでホームのような安心感に包まれ、先ほど感じた異物感が砂を払うように消え失せた。


「いやあ、あそこ圧が強すぎて避難してきたの。やっぱここが実家だよね」


 朱音が、ケラケラと楽しそうに笑っている。


「だあれが実家だ。お前の親になった覚えはないっての」


 玲央はいつもの調子で、綺麗な顔でツッコんでいるし。


「こんなこと言ってるけどお父さん嬉しいのよ。いつでも帰ってきていいんだからね」


 陽介は、ワザとらしく大ボケをかましている。


「え、それノる? つか、俺がお父さん!?」


 玲央は、陽介までふざけたノリに乗っかると思っていなかったのか、少し慌てた顔を浮かべた。


「お母さん、お父さんが照れてるよ」

「照れてるわけないだろ!」


 陽介に耳打ちする朱音に、更にツッコんでいる玲央を見て、小晴は「っふふ」と笑いを溢した。


「お父さん、お母さん、ただいま」


 少しだけ酔いが回っているせいか、小晴もそのノリに珍しく乗っかった。「小晴もかよ」という玲央のツッコミにクスクスと笑いが溢れて、本当に実家にいるような心地よい空間に肩の力は抜けていた。座敷に戻ってきた小晴を拓也は気がついていたし、1年生の女の子たちの間を縫って見ていたなんて知る由もなかった。




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