第55話 モテる側だって苦労してる
ちょうど夕方の居酒屋が立ち並ぶ通りが賑わい出す頃、小晴たちが所属するサークルもその仲間入りをしていた。飲み会そのものは、前々から決まっていたものではなく急遽決定した会で、参加メンバーも疎らだ。それでも、大規模なサークルだからか、そこそこの人数が揃っている。
「そっち飲み物届いてる?」
「あ、これ向こうに回して」
ガヤガヤと賑わっている中、テキパキと指示を出す声がいくつかテーブルの上を飛んでいる。前期振りに顔を合わせた人もいれば合宿以来の人たちもいて、始まりからまあまあ盛り上がっている。
「カシオレだれー?」
テーブルの端にドカッと置かれたグラスの数々が手慣れた手つきで次々と捌かれていく中、身に覚えのあるお酒の名が上がる。
「それ、こっち」
小晴が躊躇している間に、隣に座る拓也が手を挙げた。拓也も同じものを頼んでいただろうかと疑問が生じるのと同時に、目の前に赤とオレンジ色をしたグラスを差し出される。え、と声にならぬ声と共に横を見た。ばちっと目が合う。みんながよく知る優しい先輩そのままの拓也が「はい」と極々当然といった風体で笑っていた。
「ありがとう、ございます」
小晴は、少し目を泳がせたあと躊躇いがちに頭を軽く下げた。拓也の瞳がさらに細まって、優しげな微笑を向けられる。それだけなのに拓也の周辺が眩しく輝き、小晴はドギマギとした落ち着かない気分にさせられた。何度か瞬きをして、逃げるように視線を目の前に置かれたグラスへ落とす。小晴が頼んだカシスオレンジは、室内の照明を受けてキラキラと輝いていた。赤とオレンジの二つの色が混じり合う境界線は、綺麗に染まり合いお互いの色を曖昧にしている。
(今の変じゃなかったかな)
自分が挙動不審なことは、自分が一番わかっている。しかし拓也が小晴の隣にしれっと腰掛けたときから、小晴の心臓は忙しなく動いて止まることを知らない。そんな落ち着かない状態の中で、再び拓也から行動を起こされるなんて予想外すぎた。
(流石にバレたりしない、よね?)
ドキドキと脈打つ心臓をどうにか落ち着かせる。そう。これは、ただの気遣い。一先輩として、隣の後輩の飲み物を回してくれただけ。ただそれだけだ。一応、念のために、小晴はそろ〜っと自然を装って周囲を見回した。みんなそれぞれ雑談をしていて、特段怪しんでいる様子はない。
(良かった)
少しだけホッと息を吐く。けれど拓也の隣に座っているせいか、少なからずチラチラと視線を投げたり、気にした素振りを見せる拓也狙いの女の子たちがいるのは肌で感じる。それが若干、両肩にプレッシャーとして圧し掛かっているような気がする。
(やっぱり、私が隣って変だよね)
せっかく拓也が隣に座ってくれたのに、場違い感と肩身の狭さに勝手に体が委縮する。早く席替えの時間が来ないだろうかとでも思われていそうで怖い。けれど、それもそれで不愉快というか、彼女は私だなんて思ってみたりなんかして。付き合っていることを公表していない以上、そんなことを言える立場でもないんだけど、なんて頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。
夏休み中は感じずにいられた周囲から見た拓也との関係を意識してしまって、いつもより少しだけ呼吸が浅い。反して、拓也は常に自然体だ。なにも変わらない距離感でいてくれているように思える。
(…、拓也さん、どう思ってるんだろ)
周りは、可愛い子でいっぱいだ。自分よりもお洒落で美人で、スタイル抜群の女の子たちなんかサークル内に沢山いるし、もっと範囲を広げれば数え切れないほどだ。そんな魅力溢れる子たちと正面切って立ち向かうほど、小晴はまだ自信も勇気も持ち合わせていない。
そして拓也の変わらぬ態度に嬉しいと思う反面、怖さと警戒心が際立ってぎこちない態度になっている。
まるで合宿前に逆戻りしたような心地だった。そして、拓也のモテっぷりを再び思い知らされている。夏休み期間が嘘のように自分と拓也の違いに打ちのめされて、余計怖気づいてしまった。
(拓也さん、ほんとモテすぎ)
小晴は、無意識に唇を小さく尖らせた。
(どうしたら、好きで居続けてもらえるかな)
小晴がひとり悶々と頭を悩ませている間に、テキパキと全員に飲み物が配られ終わる。幹事の3年生が飲み物を片手に立ち上がった。
「それでは、夏休みが明けたということで、後期も頑張っていきましょう! 乾杯!」
掲げられたグラス。軽快な音とシュワシュワと弾けるアルコールの泡が煌めく。カチンとグラス同士がぶつかり、中の氷や液体を踊らせた。「かんぱーい」そんな声が各テーブルで聞こえグラスを煽っていく。賑やかなざわめきが合図と共に波紋のように広がって、居酒屋の一角で新しい学期の始まりが愉快に告げられた。
「てかさあ」
アルコールが回り始めたガヤガヤした陽気な空間の中で、やや不満を抱えた声が放たれた。
「え、なんて?」
正面に座っていた朱音が、首だけを動かして涼矢を見る。
「だから、俺からのLIMEすぐ既読スルーするのどうなのって話」
朱音は、口に運ぶ途中で止めていたグラスを傾けてからわざとらしく目を丸くした。
「そんな奴がこの世にいるの?」
「うわあ」と、涼矢の顔が盛大に歪んだ。
「4回に1回くらいは返してるでしょ」
非難めいた視線を受け、朱音は呆れた表情を浮かべた。なぜ責められているのかわからない、とでも言いたげに頭がやや横に傾く。
「それを既読スルーって言ってんですけど!?」
涼矢の体が勢いよくテーブルの上に乗り出す。そんな涼矢を朱音は虫けらでも見るような目で見てから「だる」と言い捨てた。
「なになに、涼矢くん。朱音にアタック中なの?」
テーブルの一番端の二人のやり取りに目を光らせたのは、涼矢から一つ飛んだ場所に座る美沙だった。
「そうなんすよ。全然レスしてくんないの。美沙さんからも言ってやって」
隼を挟んで、涼矢が美沙に告げ口のごとく朱音への不満を吐き出す。
「ちょ、美沙さんやめてくださいよ。こいつは、女子と遊びたいだけなんです!」
それとほぼ同時に朱音は目の前の涼矢を力強く指さして、乗っかってきた美沙に弁明する。
「えー、いいじゃん。遊ぶくらい。朱音は最近彼氏と別れたばっかなんだし」
涼矢から朱音に視線の先を変えて、美沙がにまにまと楽し気に笑った。しかも美沙の口から出た言葉は変化球にも程がある。朱音の顔がピシリと固まる。半テンポ遅れてフリーズから解けた朱音が美沙の言葉を取り消すように「うわあー!!」と大きな声を出した。しかし取り消せるはずもない。
「まじ!?」
美沙の発言にテンションを上げたのは勿論涼矢だ。
「なんでバラすんですか〜!」
「ごめんごめん」
朱音に軽く非難され、美沙が笑いながら謝る。あくまで場を壊さない程度のやりとりと言った感じだ。
「つか朱音、彼氏いたんだ」
若干不貞腐れた朱音に、今まで黙って静観していた隼が口を開く。その声は、少々の驚きを含んでいた。
「まあ、…1週間前までね」
話を広げた隼を恨みがましそうな顔で見ながら、朱音は渋々といった様子で認めた。
「お、なに? 傷心中?」
「その顔ウザいんだけど」
「悪い悪い」
茶化す隼を一睨みしたが、全く悪気のない顔だけが返ってくる。
「でもさあ。いいと思うんだけどなあ、二人。ねえ、拓也どう思う? 朱音と涼矢くん、結構良くない?」
どうやらこのテーブルは、みんなで朱音を茶化すフェーズに突入したらしい。さっき朱音に謝ったはずの美沙も茶化しに加担して、ニヤニヤと目の前の拓也に話を振る。
「うーん、まあ?」
どっちともとれる曖昧な言葉に濁して、拓也は微笑を浮かべた。立場によって、否定にも茶化しにも見える。
「拓也さん、それどっちッスかー!!」
「悪ノリしないでくださいよ!」
流石に普段拓也に遠慮がちな朱音も、今回ばかりはツッコんでいる。
「でも、割とお似合いだったりすんじゃね?」
「隆哉さんまで!! 寄ってたかって後輩弄るのほんとに良くないですからね!」
オーバーに怒っている顔を作って朱音が、拓也の隣に座る隆哉を睨む。しかし誰もが笑っているのは、朱音の作ったような大袈裟なリアクションに場の空気が軽くなっているおかげだ。そこに一番端に座っている圭太がグラスをテーブルに置いて、口を開いた。
「俺、今フリーだけど。今度デートでもする?」
まるで「明日の天気ってなんだっけ?」くらいの涼しい顔で、朱音をデートに誘うもんだから、涼矢が慌てた様子でガタっと半分腰を上げる。
「ちょっ、ちょ、圭太さん。それはダメっすよ!」
「えー、なんで? フリーなんだから別に良くない?」
圭太は、完全に涼矢を揶揄いにきているんだと、朱音は呆れたような疲れたような顔をした。
「はいはい、圭太さんは一旦黙っててください」
端と端で圭太と目が合ったが、朱音はその場のノリでしかない誘いを本気にするはずもなく、ヒラヒラと横に手を振った。




