第53話 消えかけた火
「優勝は、…『神々の争い』怒りをテーマにしたDチームです!」
美沙が、マイクを通して優勝チームを発表した。それと共に、優勝チームから「わあ」という歓声が上がる。最も票を集めたのは、お寺周辺を撮影地に選んだ隆哉・圭太が中心になって引っ張ったDチームだった。
どの作品も良かったけれど特にDチームは、神様たちの縄張り争いをMV風のコミカルな作品に仕上げていて、怒りというテーマを上手に笑いに昇華していた。曲に合わせて笑い声や手拍子が起こったり、神様役のメンバーのヘンテコなダンスに大爆笑が巻き起こったり、その場を完全に掌握していた。投票する前から、きっと見えていた納得の結果だったのだろう。Dチームの作品が名前に上がってすぐに、あちこちから賞賛の拍手が上がっていた。
―KAME-MUSHIの『全力疾走』使うのはズルイわ
―今年は完全にセンスに負けた
半ば呆れたような、けれど悔しさの滲んだ声もところどころで聞こえてくる。優勝チームが表彰され、ひと盛り上がりを終えたところで、会場の空気が変わった。再び照明が落とされて、先ほどまで作品を写していたスクリーンに光が灯る。シンバルの音と共に、合宿の合間に撮り合った写真が映し出された。どこからともなく感動のさざめきが起こる。それと同時に食べ終わっていた先輩たちが次々と席を立ち、スクリーンの近くに集まり出した。
それを見た下級生たちもつられるように移動し、会場のあちこちで賑やかな声が上がり始める。まだ食事が残っている人たちはテーブルに残ったまま、箸を動かしながら画面に目を向けていた。みんなのそれぞれの写真や動画が入り混じって、BGMと相まってなんとも言えない感情が込み上げる。小晴は、食事を終えていたけれど座ったままスライドショーを見ていた。
「こは」
後ろから声をかけられて肩が少し跳ねた。振り返ると、朱音と玲央がいる。
「やっぱりみんなで見たいじゃん?」
朱音の言葉を聞いて、自然と斜め向かいの席に視線が向かった。陽介がにこりと笑う。
「前の方行こうよ。そっちの方がよく見えるよ」
二人につられて立ち上がる。陽介も一緒だ。久しぶりに4人だけのいつものメンバーで座った。話すでもなく、ただみんなで映像を見た。たまに笑ったり、顔を見合わせたりして、たぶん合宿中で一番心地よい時間だった。そんな中スライドショーの途中で、ふいに差し込まれた写真に目が奪われる。
「え、まって!」
隣の朱音が驚いた声を上げた。
「今のあれ、こはじゃん。めっちゃいい写真なんだけど!」
スクリーンを指差して本人を差し置いて朱音がキャーと色めき立つ。小晴自身も、自分が出てくるとは思っていなかったから素直に驚いた。しかも誰かの写真に写り込んだようなものじゃなくて、ちゃんと撮られたと分かる写真だった。自分でもドキッとするくらい、綺麗に撮られていた。
なんだか、胸がドキドキして頬が少し赤く染まった。いつ撮られていたのかわからなかったけれど、誰かが撮ってくれた自分は、少しだけ拓也の隣に立っていても変じゃないと背中を押してくれたような気がして嬉しかった。
スライドショーが終わり、いよいよ合宿のイベントも最後になった。みんなでゾロゾロと旅館の外に出た。もうすっかり日も暮れていた。蝉や鈴虫の声が遠くから聞こえてくる。あらゆるものが夜の闇に溶け込んでいて、昼間と打って変わって気温は涼しく夜風が心地良かった。
カチッカチッとチャッカマンで火をつける音が響く。スマホの光を頼りに、ガサゴソと大量の手持ち花火が取りやすいように、袋から出されていく。蝋燭に火が灯ると、煌々と光っていた場所が温かな光でぼんやりと照らされた。
次々と花火に火がつき、カラフルな火花が先端から弾けた。白い煙の間を赤、緑、青、黄色が透けて見える。みんなの笑い声と嬉しげな悲鳴が、軽やかに夏の夜に響き渡り風に乗って駆けて行く。
小晴も仲間たちと一緒に花火に火をつける。さりげなく拓也の姿を探したが、この暗闇ですぐに見つけるのは難しかった。
(また美沙さんと一緒なのかな)
関係がバレるのが怖いのに、自分以外の女の人と一緒にいる拓也を想像すると心がザワザワしてしまう。こんな自分がいるなんて、拓也と付き合うまで知らなかった。
(拓也さんがモテるなんて、最初からわかってた話なのになあ)
綺麗な色をした花火を見ながら、小晴は小さく息を吐いた。火の勢いも落ちて、たちまち消える。
「あ…、消えちゃった。新しいの取ってくる!」
一緒に花火を楽しんでいる仲間に告げて、その場を離れた。新しい花火を選んでいると、楽しげな声が聞こえた。
「やだ、なにやってんの」
3年生同士でふざけ合っているみたいで、スマホのカメラを向けている。その中に拓也の姿も悠真の姿もあった。美沙だけじゃなくて、他の女の子たちもチラホラ混ざっていて、小晴は無意識に口を結んだ。それから手元の花火に視線を落とす。どれを取っても同じような気がして、小晴はたくさんある花火の中から適当に一本を取った。立ち上がって、一瞬だけ拓也たちを見てから視線を逸らす。
(やっぱり、私が拓也さんの彼女ってみんなに知られるの怖いや)
小晴が花火に火をつけようとしたら、急に風が強く吹いた。強風に煽られて、蝋燭の火が今にも消えそうに頼りなく揺らめいている。小晴は火が消えてしまわないように手をかざしながら、息を詰めた。
(私が彼女で、ほんとにいいのかな…)
さっき背中を押されたような気がしたのに、小晴の中に灯った小さな火は風に吹かれて消えてしまっていた。
ガシャン、と誰かの足が水の入ったバケツに当たった。「うわっ」という情けない声と一緒にバシャッと倒れる。中に入っていた花火の残骸も一緒に地面に散らばった。
「わ、ごめん」
近くにいた小晴の足に水飛沫がかかる。
「全然、大丈夫だよ」
横倒れたバケツを立て、散乱した花火のゴミを拾って中に戻した。水のかさは、だいぶ減ってしまっている。
「私、手洗うついでに水入れてくるよ」
小晴は「よいしょ」と、取っ手を掴んで立ち上がった。みんなの輪から抜けて、旅館の裏手に回った。少し離れただけで辺りは真っ暗で、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに風のざわめきと虫の音で満ちていた。
ほんの少しの畏怖を抱きながら水場を探す。すぐに蛇口は見つかった。ホッと胸を撫で下ろしてバケツを置いた。蛇口を捻るとジャーっと水が流れる音が響く。汚れた手を水で流して、そのまま水位が低くなってしまったバケツの中に水を貯めた。すぐにバケツは満ちて、小晴は濡れた手で蛇口の栓を閉める。キュッキュッという音が鳴った。相変わらず、小晴の周りは風と虫の音ばかりで、笑い声や喧騒の音はどこか遠かった。
みんなの元へ戻ろうとバケツの取手に手を伸ばした時、後ろで砂利を踏む足音が聞こえ振り返る。
「お疲れ」
落ち着いた調子で歩いてきた拓也は、小晴と顔を合わせると当然のように柔らかく笑った。
「拓也さん…。おつかれ様、です」
驚きから醒めた小晴は、返事をしながらさっきの情景が頭に思い浮べていた。楽しそうだった様子がチラついて、返事がややぎこちなくなる。合っていた目を斜め下に逸らしてしまった。
「なんで緊張してんの?」
目の前まで来た拓也が小晴の頬に触れた。柔らかな力が小晴の視線を上げさせる。拓也の口元に、ほんのり笑みが浮かんでいた。
「だ、だって…」
「みんなにバレるかもって?」
もう一度視線を外し言い淀んだ小晴に、拓也は瞳を細めた。
「俺、彼氏なのになあ」
後ろの壁に手をつくと、小晴に一歩近づいた。
「か、彼氏とか、簡単に言うのは、その…」
急に詰まった距離に小晴は、テンパった。小晴の足が後ろに一歩下がる。砂利を踏む音と一緒に、トンっと背中が壁にぶつかった。
「なんで? 小晴は俺の彼女でしょ?」
「そ、そうですけど…っ!」
さらに一歩近づいた拓也から小晴は、それ以上距離を取ることができずに下を向いた。
「また赤くなってる」
拓也が顔を覗き込むように身を屈めた。心臓がバックンバックンと音を立てて今にも破裂してしまいそうだ。さっきまで聞こえていたはずの風が靡く音も虫の音も耳に入ってこなかった。
「そ、そろそろ戻らないと」
蛇口の真下に置かれたままのバケツに目を落とした。
「なんで?」
(な、なんで?)
小晴は、拓也の口から出た率直な疑問に目を白黒させた。
「だ、だって、バレちゃうし…、水なかったらみんな困るだろうから…」
「誰も俺たちに気づいてないよ。バケツも他にあるから平気。みんな、そこまで気にしてないって」
さらに距離は近づいて、もう拓也の吐息が聞こえるほどの近さだった。
「そんなことより、いつ拓也さんから呼び方変わんの?」
「へ!?」
急に話題が変わった。以前小晴が保留にしていたものを切り出される。
「敬語もそろそろやめてほしいんだけど?」
「こ、心の準備が」
瞳を右往左往させて、小晴はどうにか言葉を紡いだ。自分の声よりも心臓の音の方が大きく鳴っている。沈黙の後、拓也が「はあ」をため息を吐いた。
「仕方ないな。じゃあもうちょっとだけ待ってあげる」
目も合わせられず呼吸も止まっている小晴を不憫に思ったのか、拓也は詰めていた距離を離してくれた。
「小晴だけだよ? 俺のことこんなに焦らすの」
そんなこと言われても、きっと小晴の心臓の方が先に破裂してしまう。それに、拓也は女の子に慣れてるから。また、落ち込みそうになって、小晴は気持ちを切り替えるように頭をフル回転させた。「…あ!」と、良い話題が見つかって、顔を上げる。
「そ、そうだ。あの最後のスライドショー、あれ良かったですよね。拓也さんたちの案なんですか?」
チーム対抗の作品コンテストの後に流れた思い出スライドショーを思い出す。みんなの自然体な姿と楽しげな顔が音楽と融合して、青春真っ只中といった動画になっていた。まさにエモいを体現していたと思う。
「うん。小晴も映ってたね」
「撮られてるなんて知らなかったからびっくりしました」
拓也も気づいていたんだと知って照れた。それを隠すように、はにかむ。
「きれいだなって、思った」
「へ」
思っても見なかった言葉を向けられ、肩がぴくっと跳ねる。何かの聞き間違いかと拓也の顔を見た。
「他の奴らに見つかりそうで、ちょっとムカついた」
どことなく不満そうなムッとした顔があった。細まった瞳は、苛立ちを隠しているような色をしている。
「な、なにいって。私なんかが、そんな、ないない、絶対ないですよ」
小晴は慌てて否定した。むしろ拓也の方が女の子たちにモテモテだ。きっとこの合宿で、また拓也のファンが増えたことだろう。
「はあ、これだから小晴は放っておけないんだよ」
「た、拓也さん!?」
急に抱きしめられて、息が止まった。拓也の逞しい腕が背中に回って、また心臓が破裂しそうなほどのドキドキが再来した。
「そう思ってんならそれでいいけど。小晴は、俺の彼女になったんだから他の奴らに気許しちゃだめだよ」
肩と首の間に拓也の顔が埋まる。頬に当たる髪の毛が地肌をくすぐった。腰を引き寄せられて、さらに密着感が増して体にさらに力が入る。
「まじで、俺だけ見ててね」
ふと体の隙間が出来て、視線が絡む。見たこともないくらい真剣な瞳に小晴の瞳も揺れた。心臓は、もう持ちそうにない。
(拓也さんこそ、他の女の子のこと見たら嫌です)
言葉には出来なくて、小晴はそっと拓也の洋服に手を回した。指先がチリチリと線香花火のように燃えている。体からじんわり力を抜いて拓也に半分ほど身を預けると、拓也が少し息を止めたように感じた。
まるで小晴に応えるように、体を抱く腕に力がこもったのが伝わる。小晴は、その力強さを意識しないわけにはいかなかった。これがたぶん、彼女の特権。そんなことを思いながら、小晴は拓也の胸に顔を埋めた。
合宿最後の夜は、昼間の暑さよりも熱くて溶けてしまいそうだった。
*
二泊三日お世話になった旅館に挨拶を済ませ、迎えにきたバスに乗り込む。行きのバスで座った席とは反対の窓側のシートに体を預けた。柔らかな背もたれが疲れた体を包み込む。ブロロロ、とバスのエンジン音が車体を揺らした。気持ちのいい倦怠感を感じながら、車窓から外の景色を眺める。ゆっくりと景色が動き始めた。だんだんと大きかった旅館が小さくなっていく。
「楽しかったね、合宿」
隣に座る朱音の言葉に「うん」と頷いた。バスの中は、みんながフワフワしていて、短い旅の終わりを告げている。
「来年は、私たちが3年か〜。今年みたいに楽しいといいね」
「そうだね。先輩たちみたいに頑張らなきゃね」
夏は始まったばかりだ。けれど終わっていく寂しさも同時に感じた。エアコンの効いた涼しい車内から見た外は、陽光をキラキラと反射し夏らしい爽快な空気に満ちている。あの茹だるような暑苦しさは、欠片もなかった。




