第50話 境界線に触れられる
拓也と話している間に朱音たちは大広間から出ていたらしく、仲良しのメンバーは誰ひとりその場に残っていなかった。自意識過剰と思いつつみんなの視線を避けるように、いそいそと大広間を出る。
次の予定の為の準備をササっと終わらせ、玄関フロアに向かった。すでにみんな集まっている。
合宿一日目のメインがラフティングだとするなら、二日目のメインは各4グループに分かれた撮影だ。短い時間の中で撮影から編集を行い、1〜3分ほどの動画仕上げる。それを今日の夜に上映して、一番良かったグループを投票で決めるのである。当然優勝したグループには優勝賞品が贈られるから、各グループの気合いは十分だ。
小晴が割り振られたグループには、リーダーに悠真がいて、陽介、隼、遥生と、見知った顔がちらほらいた。目的地までの送迎バスに乗り込んで、大きな湖の辺りまでやってくる。見晴らしのいいところに、ブルーシートを敷いて荷物を置いた。リーダーの悠真をはじめとした3年生が中心になって、改めて撮影の段取りが説明された。ここからは如何に効率よく動くかが肝だ。とにかくいい作品を作り上げるには、チームワークがものを言う。小晴も気合いを入れた。
外での撮影は、とにかく暑い。頭上に輝く太陽の光は、撮影中の小晴たちに容赦なく降り注ぐ。じわじわと溢れた汗が額から落ちた。苦悶の表情の小晴たちとは裏腹に、目の前に広がる水面は陽光を浴びてキラキラと輝いている。カットの声がかかり、映像確認のためしばしの休憩時間が取られた。アシスタントに徹していた小晴の隣には、同じくアシスタントに回っている隼が立っていて、自然の流れで会話をしている。映像の確認を終えた監督組たちから、そのまま一度長めの休憩を挟むというアナウンスがかかった。
「今んとこ順調に進んでんな」
「うん、この調子なら夜までに間に合いそうだよね」
トラブルがあればそのぶん編集時間が削れるため、トラブルなしはチームにとって良い流れだった。他愛ない話をしていると、少し遠くから名前を呼ばれた。隼との会話を止めて振り返ると、腕に何本もペットボトルを抱えた悠真が立っていた。
「ほら、ちゃんと水分とれよ」
「え、あ、ありがとうございます」
声を掛けられたこと自体に驚き固まっていたら、ペットボトルを差し出される。慌てて受け取ると悠真が笑顔を向けてきた。あまりに優しい表情を浮かべるものだから、さっきとは違う意味で固まってしまう。もう拓也に決めたはずなのに、ドキッと心臓が跳ねた。どんな顔を向けたらいいか分からず、悠真から視線をさりげなく外して手元のペットボトルを見る。隣にいる隼に一瞬見られたような気配を感じたが、小晴は知らないフリをした。無意識にペットボトルを持つ手に力がこもった。そんな小晴の様子に気がついているだろうに、悠真は特に気にしたそぶりを見せず隼に視線を移す。
「お前も」
俯く小晴を気にかけていた隼は、悠真の掛け声に前を向いた。悠真が隼に抱えたペットボトルの一本を渡した。
「あざす」
「おう。熱中症にだけはなんなよ」
何事もなかったように悠真は二人に声を掛けて、他のメンバーたちにもペットボトルを配るために踵を返した。たったそれだけの些細な時間だったのに、小晴の胸中は些か波立っていた。太陽から伸びた自分の影が、足元を黒く染めている。自分が悠真を振ったはずなのに、昨日は助けられて、今日は優しすぎる笑顔を向けてもらえて、どんな風に振る舞ったらいいのか分からなくなった。
もう関われないと思っていた。
もう視界に入れてもらえないと思っていた。
でも、現実は違った。なんで、そんなに風に私を見るんだろう。私、ちゃんと断ったはずなのに。あの日、終わらせたはずなのに。ケジメだったのに。悠真じゃなくて、拓也を選んだのに。
(やっぱり、悠真さんはズルい)
小晴は不貞腐れた。誰にも聞かれない心の中で一言つぶやく。でも、その狡さはどこまでも優しくてあったかくて、嬉しいと思ってしまった。拓也のことが好きなのに、悠真の優しさはやっぱり小晴にとって心地よいものだった。そう感じてしまう自分に、ほんの少しだけ後ろ暗い気持ちが湧いて、拓也を裏切っているような気持ちになって、なんだか悪い女になった気分だった。
「なんか、小晴ちゃんって拓也さんとも悠真さんとも仲良いよな」
「え、そう、かな」
ドキン、と心臓が嫌な音を立てる。引き攣った笑顔で隼を見上げる。
「うん。朝、拓也さんと二人で話してた時、なんか俺拓也さんに超睨まれたっていうか、めっちゃ見られたもん」
「え…」
新たな事実を知り、勝手に顔が赤く染まる。
「そ、そうなんだ…」
火照った頬を誤魔化すように顔を逸らす。
「まあ。気のせいだったかもしれないけど」
隼は、少し目を細めて小晴を見た後、それ以上追求することはせずに湖の反対側の岸辺へ視線を投げた。水面は相変わらず太陽の光を反射させキラキラと輝いていた。
小休憩が終わり、中断していた撮影が再開した。いよいよ後半戦と言ったところだろうか。隼は他のアシスタントとして呼ばれて、別のサポートに行ってしまった。陽介は相変わらずカメラマンとして、かなり重要なポジションで頑張っている。撮影場所が荷物を置いた場所から少し離れるため、小晴は荷物番でその場に残ることになった。
「小晴さん!」
撮影部隊がゾロゾロと移動していく中、小晴ひとりちょこんと日陰もないブルーシートの上に腰を下ろしていると、誰かが駆け寄ってきた。輪の中から外れて小晴の目の前まで来た遥生に、慌てて小晴も立ち上がった。
「遥生くん、どうしたの?」
忘れ物でもしたのだろうかと、小晴の目が少しだけ丸くなる。
「女の人が一人で何かあったら良くないので、俺も一緒に待ってようと思って」
「なにそれ、大丈夫なのに」
予想していなかった理由に驚き、大げさな言葉に軽く笑う。
「心配してくれてありがとね」
お礼を伝えると、遥生は照れたように首を掻いた。それから二人は、太陽光に熱されたブルーシートの上に横並びになるように座った。手持ち型の携帯用ファンの風を浴びながら、もうだいぶ離れた撮影部隊を眺める。水に反射した光が視界を白けさせ、湖をバックにした景色は余計に眩しかった。
「これって、あとで編集するんですよね?」
無言になりかけた空間に遥生の声が広がる。ファンの羽根が回る静かな音を聞きながら、小晴は「うん。そうだよ」と答えた。
「他のチームってどんなの撮るんですかね」
もしかしたら1年生の遥生には、撮影から上映会までの完成図がまだ見えていないのかもしれない、とふと思った。確かに去年、今の遥生のように1年生だった小晴もよくわからないまま撮影のサポートをしていた。
「喜怒哀楽のテーマ別だもんね。どんなの出来るのかな〜」
なんだか懐かしい気分になって、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「去年も似たようなことしたんですか?」
「うん、したよ。完成した動画をみんなで見たけど、どれも良かったな」
そう告げながら、小晴は去年の合宿のことを思い出していた。去年も、サークルの合宿は8月の上旬で暑かったのを覚えている。小晴は相変わらず朱音、陽介、玲央の3人と一緒にいた。合宿時期は、入学して数ヶ月しか経っていなかったから、それぞれまだ初々しさが残っていたような気がする。
「へー、そうなんだ。楽しみだな」
遥生の砕けた相槌は、本心からこぼれ落ちたような温度感で独り言のようだった。小晴は特に気にすることもなく「私も」と柔らかく笑って頷いた。
その後も合宿一日目の時の、誰もいない停車中のバスの中のように、二人の間に淀みのない会話が流れた。
「それにしても暑いね」
話の切れ間に、小晴が力を失った声で呟いた。ファンだけでは補い切れない暑さが、先ほどから容赦なく頭上から降り注いでいる。ただ座っているだけなのに、じわじわと少しずつ、しかし着実に体力を削りとっていくような厳しさがあった。小晴が眩しそうに太陽を見上げると突然、遥生が「あ!」と大きな声を張った。何事かと首を傾げる。その間に遥生は、ブルーシートの上に置いた自身の鞄をガサゴソと漁る。ほどなくして、中から長めのフェイスタオルを取り出した。
「よかったら、これ使ってください。頭に乗せたら日除けになるんで」
差し出されたフェイスタオルには、大きなロゴが描かれていた。カラフルなフェイスタオルはインパクトがあって、たぶんどこかのバンドのグッズなのだろうと予想づく。
(私じゃなくて、遥生くんが使った方がいいんじゃないかな)
彼もきっと、同じくらい暑さにやられているはずだ。小晴が差し出されたフェイスタオルを受け取るかどうか悩んでいると、遥生は急に何かに気がついたかのような顔をする。
「あ、これ俺は使ってないんで! 汚くはないです!」
遥生が何を心配しているのか、慌てて否定する様子に思わず笑ってしまった。
「ありがとう、じゃあちょっと借ります」
ここまで一生懸命な後輩の好意を断るのも失礼かと思って、申し訳なく思いつつ有り難く受け取る。表面にプリントされたタオル生地は分厚く、遙生の言う通りまだ一度も使われていない新品の手触りだった。
「是非!」
遥生の声が妙に嬉しそうに跳ねる。浮かんだ笑顔は、夏風のような爽やかさだった。




