第43話 近くて、遠い
時間は22時半を回った頃、夏休みに入ってからすっかり生活リズムが狂った拓也は、夜も更けているというのに眠気のかけらも感じていなかった。適当にSNSを眺めたり、ゲームに手を伸ばしたりしていると、ふいにスマホが震えた。なんだと確認すれば、新着メッセージを知らせる振動だった。少しの期待を込めて画面を開くと、待ち望んでいた名前がそこにある。
〈たしかに〉
〈会えるの楽しみにしてます!〉
〈拓也さんもちゃんと寝てくださいね笑 おやすみなさい〉
自然と口角が上がった。けれど――なぜか、胸の奥に引っかかりが残る。告白して付き合って、今が一番いい時期なはずなのに、小晴の妙な距離感、LIMEのテンポ、温度感、あげたらいくつか出てくる気になる点だ。
付き合う前の方が近くにいた気がしたなんて、おかしいだろうか。でも今、たしかに彼女が以前より遠くへ行ったみたいに思える。拓也は、ほんの少しだけ返信する手を止めて画面を眺めた。
それから〈おやすみ〉と一言だけ打って、LIMEを閉じた。
*
本日の天気は晴天。まだ朝の時間帯だというのに小晴の頭上には、ギラギラ輝く太陽と真っ白な雲、青い空が広がっている。立っているだけで汗が噴き出てくる、そんな暑さだ。
2泊3日ぶんの荷物を持ってやってきた一週間ぶりの大学は、すでに校門前だけ夏休みにも関わらず賑やかだった。いわずもがな、小晴たちが所属する映像系メディアサークルのメンバーたちだ。
「朱音ちゃん、怜央くん、陽ちゃん! みんなおはよ」
小晴はたくさんのサークルメンバーたちの中から朱音たちを見つけた。朝の挨拶をしながらそばに駆け寄る。
「あ、おはよ〜」
「あっついね。今日」
朱音の隣に並んで、小晴はふう、と一息ついた。しかし、朱音から返答がなく不思議に思って隣を見た。目が合う。どうもずっと朱音は小晴を見ていたようだったが、様子がおかしい。朱音の口元がにまにまと緩んで、含みをもった目で小晴を見つめている。玲央と陽介も似たような表情だ。
「な、なに」
小晴はぎょっとして、目を丸くした。
「え~、わかってるくせに~」
「よ! 幸せ者」
「新婚さんいらっしゃーい」
3人が何を言いたいのか察しがついて、自然と頬に熱が溜まった。昨日でその話題は終わったとばかり思っていたのは、どうやら小晴だけだったらしい。
「そ、そういうんじゃないから!」
冷やかされる恥ずかしさと、この会話を拓也自身に聞かれないか、サークルで付き合ってることがバレるんじゃないかという不安と心配で内心、気が気じゃない。それでもいつも通り、仲良く4人でわちゃわちゃとふざけていると、周囲が若干色めき立った気配がした。話を一旦止めて周りを見回すと、サークルの代表組に視線が注がれているのが分かった。どうやら、拓也が到着したらしい。
―私の推し、今日も輝いてる~
―やっぱり一番カッコイイ。むり
―拓也さんバスどっちかなあ
コソコソと拓也を話題する周囲の声が小晴の耳に入ってくる。
(やっぱりすごい人気だな。拓也さん)
つい最近告白されて付き合うことにはなったが、なぜ私と付き合うことになったんだろうと疑問さえ生じる。
本当に自分で良いのだろうか。もっと拓也に相応しい女の子はたくさんいて、この場でさえ小晴は埋もれている。
――彼女って、どうしてたらいいんだろう。
小晴は、女子の注目を集めている拓也をぼーっと眺めながらそんなことを思っていた。そんな折、ふと拓也の顔がこちらを向く。視線が誰かを探しているような、そんな気がして、なんとなく目が合いそうで、小晴は反射的に視線を足下に落とした。
なにやってんだろ、と心の中で呟く。
自意識過剰すぎる。でも意識しすぎとは分かっていても、もうどれが普通で何が変じゃないのか思い出せなかった。
片倉拓也の彼女。まだ実感も現実感もないのに、バレたときの想像だけはやけにリアルで足が竦んだ。容赦なく降り注ぐ夏の日差しを受けながら、小晴は溜息を吐き出した。額ににじむ汗が妙に鬱陶しい。
「こは何してんの? 拓也さんこっち見てたのに」
「は、反射的に…」
「なにそれ。意識しまくってんじゃん」
朱音に呆れた顔をされ、小晴は誤魔化すように「あはは」と笑う。気まずさから視線を別の場所に飛ばした。小晴の苦悩を嘲笑うかのように今も頭上で太陽が煌々と輝いている。小晴は恨めし気に灼熱の空が睨み上げた。
合宿参加者が全員揃ったところで、待機していた二台のバスに乗り込んだ。車内はすでにクーラーが効いていて、乗り込んだその瞬間に体がホッと緩む。小晴たちが乗ったバスは、全体的に1、2年生が多かった。
一番後ろの一列に並んだ席を怜央、陽介含む2年生の男子たちが座って、一つ前の二人並んだ席に朱音と小晴が座った。ちょうど小晴の真後ろが陽介で、朱音の真後ろが怜央だ。ほとんどの人が着席したところで、バスの前の乗り口から3年生が階段を登ってきた。サークルの代表たちだ。
特に感想を抱くことなく、本当になんとなく彼らを眺めていた小晴は、一番最後に乗ってきた人物を目にしてひゅっと呼吸を止めた。
(拓也さん、こっち担当なんだ…)
微かな衝撃と、確かに浮ついた心。けれど、拓也の前にバスに乗り込んできた女子の先輩と親しげに会話をしている姿を見て、モヤモヤとした感情を抱く。無意識に唇が窄んだ。
先に乗った先輩たちが左側の2席を埋めたせいで、小晴と反対列の右側の席に拓也とその先輩が並んで座る。ちょうど通路側に座っている小晴には、嫌でもその姿がばっちりと見えた。
「うわ。こっちのバス拓也さんたちなんだ。代表4人ってことは、あっちが3人なんだね」
「向こう上級生メインで固めてたっぽいもんね。納得」
「悠真さん含めてあっちノリいい人の集まりって感じだからバスの中やばそうじゃない?」
「ガチでうるさそう」
「絶対飲み会ノリだよね。コールとか始まってたらどうするよ?」
「怖すぎだって。私こっちでよかった〜」
「わかる。平和メンすぎて助かるわ」
前の席に座る朱音と親しい同級生のふたりが後ろを振り返って隣に座る朱音とわいわいと楽しげに話している。
「てかてか、私ずっと小晴ちゃんと話してみたかったんだけど」
ふいに話を振られて、小晴はびっくりした。
「なにそれ、こはナンパされてるじゃん」
隣で朱音が笑う。
「それ言うなら、いつも朱音が独占してるんでしょ? 小晴ちゃんも朱音に束縛激しいって言っといたほうがいいよ。朱音調子乗るタイプだから」
「そんなことないよ。朱音ちゃんいつも優しいし」
「私がいつ独占してんのよ。こはとは両思いなの。嫉妬はやめてください」
「ほらね、調子乗ってる」
「どこがよ!」
いつもと違う新鮮なやりとりに、小晴はちょっとだけ顔を綻ばせた。でも視界の端に拓也がチラつく。バレたくないと思っているはずなのに自然と視線が吸い寄せられ、小晴は誰にも気づかれないように拓也の横顔を盗み見た。
「ねえ。あれいいの? 彼女的に」
なんのタイミングなのか、ちょうどいいタイミングで、朱音がこそっと耳打ちしてきた。ドキッと胸が跳ねる。さっきまで前の席の子達と盛り上がっていたのに、どうやら拓也の様子は目にしていたらしい。相変わらず目敏くて、小晴は苦笑を溢した。
「…、でもほら。みんなサークルの代表だし」
「とか言っちゃって。ちょっと嫉妬してる顔してますよ?」
小晴の顔を覗き込んだ朱音の瞳が、くるりと光を帯びて回る。
「っ、いいの。茶化すのやめてください」
「別に茶化してないけど」
朱音は仕方なさそうに肩をすくめて、自分の席のシートに背中を戻した。
「全員乗ったか?」
拓也が立ち上がって後ろを振り返る。
「はーい!」
ところどころで元気の良い返事が聞こえた。
「酔ったりしたら遠慮なく言えよ。じゃ、みんなでお世話になるから挨拶はしっかりしてください」
全体に伝え終わった拓也がくるりと前を向く。
「今日は運転よろしくお願いします」
「お願いします!」
拓也の言葉に続いて、全員が短く復唱するとバスの中の空気が揺れた。ブロロロロ、とエンジンのかかる音が合宿の始まりを知らせた。2台のバスが大学を出発した。




