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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
終章 好きが噂になる前に

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第41話 現実感のない現実



 電車を降りて、ホームから階段を下る。左右の壁に電子版広告がズラリと並んだひらけた場所に出て、人の波が改札口の方へ流れていく。改札を出るとすぐ目の前はバスのロータリー。駅前はたくさんの人で溢れかえっていて、多くの人が待ち合わせをしているみたいだった。


「小晴ちゃん」


 名前を呼ばれて、キョロキョロと見回していた視線が一箇所に定まる。最後に会ったのは、テスト期間中の偶然一緒だったエレベーターだからおよそ3週間ぶりの拓也だ。今日も爽やかな笑顔と、センスのいい私服に身を包んでいる。チラチラと今も周囲に気にされてる気がするが、本人はいたって普通だ。


「おはよう、ございます」


 少し照れくさくて視線を外した。小晴の元へ近寄ってくれた拓也は、にっこりと笑った。


「かわいいね」


 ドキッと否応なしに心臓が跳ねる。


「…、えっと。ありがとう、ございます」


 カアアと、耳が赤く染まる。久しぶりだからか、どう接していたのか忘れてしまった。なんだかぎこちなくて、ソワソワする。


「いこっか」


 拓也の言葉に顔が上がる。「はい」と、頷いて拓也の後ろをついて歩こうとしたとき、さりげなく伸ばされた拓也の手に手を取られた。びっくりと緊張。握られた手を見た後、拓也の横顔を見る。今までもそうしていたかのような当たり前みたいな距離感に、心臓がギュッと掴まれたような感覚を覚えた。


「ん? いやだった?」

「え、いや。そうじゃ、なくて」


 凝視してしまったせいか、拓也が振り返った。スマートすぎる態度に、こちらが変なのかと萎縮する。曖昧な態度のまま、視線が左右に揺れる。


「そっか。よかった」


 拓也は、ふわりと笑った。その笑顔に、小晴の言葉は喉の奥に引っ込んだ。ドキドキと心臓がうるさいくらいに鳴っている。繋がれた手の熱さは、夏の暑さだけのせいじゃない。


(どうしよう)


 なんか、なんか。私。

 初めてのデートのときよりも、拓也との距離感が最初から近くて、ドギマギする。自分の感情に名前をつけられないまま、拓也とのデートが始まった。








 観光スポットにもなっている有名な神社の手前まで続く商店街。大きな鳥居をくぐり、人がひしめく一本道を拓也に手を繋がれたまま進む。美味しそうなお店や、可愛らしい小物のお店が立ち並ぶ道を歩いているのに、小晴の意識はどこか上の空だ。それもこれも、隣を歩く余裕たっぷりな人のせいに他ならない。


(ど、どうしよう)


 小晴はぐるぐると回る思考に翻弄されている最中だ。周りの景色なんか一つも視界に入ってこない。


(いや。どうしようも何もないんだけど)


 一人で焦って、一人でツッコむ。


(そうじゃなくて)


 デートは楽しみだった。拓也に会えるのもウキウキしていたし、少しでも可愛く見られたくてお洒落だって頑張った。

 だけど、なんでだろう。なんか、妙に心が落ち着いているというか、ブレーキが掛かっているというか…。


「緊張してる?」


 突然思考の渦の中にいた小晴に拓也の声が届いた。


「へ!?」


 驚きと一緒に変な声が出る。


「口数少ないから」


 目が合った拓也がちょっと意地悪な顔で笑った。でもどこか浮かれている。それが空気で伝わってくる。


「そ、そんなこと、ないです」

「そ?」


 否定しておいて、無言。それも嫌な無言だ。絶対に今、気まずいって思われてる。

 でも、言葉が見つからない。打開策がない。それから絶対にいま、手汗がやばい。


(引かれてない? 大丈夫?)


 内心で目を白黒させる。離して手を拭きたいけれど、拓也を拒絶するような空気になりそうで言い出すのも怖かった。緊張と、以前よりしっくりこない居心地の悪さが相まって、繋いでいる手の汗も、無言の時間も、妙な心の落ち着きも、全てが気になってしまう。拓也に久しぶりに会えて嬉しいはずなのに、デートしていて楽しいはずなのに、なんだか全部がちょっとだけ息苦しい。


「もう夏休み満喫してる?」


 ふいに拓也が話題を振ってくれた。


「そんなに」


 答えやすい質問にちょっとホッとして、そのまま答える。


「じゃあ、俺が最初?」

「そうかも。あ、でも朱音ちゃんとテスト終わった次の日にかき氷食べに行きました」


 朱音との時間を思い出して、心がフッと上昇する。少しだけ声のトーンが上がった。


「えー、いいな。夏休み中、俺とも行ってよ」


 拓也の視線と向けられた言葉に何故かドキリとする。心の機敏を見透かされたような気持ちになったせいだろうか。


「むしろいいんですか?」

「むしろダメなん?」


 拓也との距離感が掴めないまま選んだ言葉に、気安いもので返されて、小晴は一瞬呆けた顔をした。


「ダメじゃ、ないです」


 それから少しだけ緊張の糸が緩んでフッと笑みをこぼした。






「かわいい」


 ふらりと寄った小物屋。店内に並べられた雑貨を見て回っていたら、壁にぶら下がっているガラス細工の赤べこと目が合った。小さくて、親指の爪ほどの大きさ。


「ほんとだ。かわいいね」


 思わず漏らした呟きに対する返しが、思いのほか間近で聞こえて、小晴は驚いて振り返った。ひゅっ、と息を飲む。小晴が気になったキーホルダーを拓也も見ているせいか、少し身を屈めていた。想像よりも近い距離に拓也の顔があって、サッと頬が染まった。


「いろんな色あるんだね」


 小晴の動揺に気がついていないのか、拓也はそのまま会話を続ける。でも、小晴側は冷静に会話を続けられる精神状態ではない。


「お揃いにする?」

「え!?」


 また驚いた。


「あ、…えっと」


 それから、戸惑ってしまう。目が泳いで、なんて返すのが正解なのか、考えれば考えるほど、変な間が生まれた。


「…、今日はいっか」


 空気を察したのか、拓也が柔らかな笑みを浮かべた。


「また今度来たらにしよ。別に今日最後なわけじゃないし」

「そう、ですね」


 小晴は、へらりと当たり障りないように笑い返した。未来の話をされると、なぜか気持ちが数歩後ろに下がるような、置いてけぼりのような、取り残された感覚に陥る。

 楽しいのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。


「あ、これも。可愛いですね」


 小晴は、誤魔化すように他の商品に意識をうつした。


「うん」

「わ。このキャラクターなんて名前でしたっけ?」


 話題を変えて気持ちを切り替えたつもりだったのに、どこか後ろ髪を引かれるような感覚がずっと胸に残っていた。








 神社に参拝して、少し歩いて、お昼。せっかくだからと海鮮丼が食べられるお店に入った。席に着いた途端、拓也がフッと息を吐いて、首筋の汗を手の甲で拭った。


「外やばいな。汗、止まんない」


 小晴は、2人分の水をテーブルに並べながら「ほんとに。溶けちゃいそうですね」と笑う。拓也は冷たい水を一口飲んだ。


「うっま」


 呟いたと思ったら、グビグビと一気に飲み干して息を吹き返したような顔をする。


「はあ、生き返る…」


 少年のように呟いた拓也に、少し驚いた。いつも大人びていた拓也の新たな一面を見た気がした。


「あ、ごめん。引いた?」


 我に返った顔で拓也が小晴を見る。自分の中にあった拓也との少しのズレに、引いたわけじゃなかった。だけど、リアルという小晴にとって未知の世界に触れている気がして、どこか戸惑ってしまっている自分もいる。


「全然」


 だからかワンテンポ遅れて、小晴は首を振った。


「ほんとに?」


 目の前の拓也は、どこか不安げな、心配そうな顔をしている。


「ほんとです、」

「はあ〜、ならよかった。失敗したかと思った」


 安堵しながらも、まだ不安が残った顔。少しだけ申し訳ない気持ちになった。


(そっか。拓也さんも人間なんだ)


 そんな感想が頭に浮かんだ。注文を終えて、ご飯が運ばれてくるのを待っていると、「さっき願い事なんて書いたの?」神社で書いた絵馬の話になった。


「え、な、内緒です」


 お互い、どんな内容のお願い事を書いたのかは知らない。


「えー。気になる」

「面白くないですよ」


 小晴が伺うように言うと、拓也はにこにこした顔で相槌を打った。その言って欲しそうな顔に、言わない理由がなくなってしまった。


「その、家族が健康で、みんなが笑顔で過ごせますようにって」


 なんの捻りもない真面目一直線のような内容に、口がまごつく。


「そっか。小晴ちゃんっぽいね」


 茶化すことも小馬鹿にすることもない拓也の返答に、小晴の柔らかくて傷つきやすい奥の方がふわりと緩む。


「拓也さんはなんで書いたんですか?」


 すこし恥ずかしくなって、視線を拓也からずらして聞いた。


「俺は、全部うまくいきますようにって」

「全部?」


 聞き返すと、ちょっとだけ拓也から悪戯な顔がのぞいた。


「うん。今日のデートもね」


 猫のように細まった瞳に見つめられ、小晴は動揺して顔を赤らめた。


「大事なんだよ。俺にとっては」


 念を押すように言う拓也の顔は真面目で、さらに動揺が広がる。


「か、叶うといいですね」


 居た堪れなくて、視線を逸らした。


「うん。小晴ちゃんも」


 拓也の目がまるで小さい子どもを見るような柔らかさを帯びていて、小晴は余計にどういう反応をしたらいいか混乱して、正面を見られなくなった。







 頼んだ海鮮丼がふたつ運ばれてきて、テーブルに並ぶ。美しく並んだ刺身が大きな器の中でキラキラと輝いている。


「美味しそう」


 すでにお腹はぺこぺこだ。食欲を最大限までそそられ、口の中に唾液が広がった。


「あのさ」


 小晴が目の前のご飯に釘付けになっていたところに、拓也の声がかかる。なんだろう、と小晴は不思議に思って顔を上げた。少し緊張したような空気に、キョトンとした顔で拓也を見た。


「これって…、俺だけ?」

「え?」


 あと少しで震えてしまいそうな気配を纏わせながら発した声に、小晴の目がまん丸くなる。


「…あー…、悠真とは、してないの?」


 小晴が意味を理解していないと思ったのか、言いにくそうに歯切れ悪く、拓也が言った。小晴は見事にカチンと硬直した。


「や、ごめん。変なこと聞いた。忘れて。今のナシ」


 珍しく拓也が焦った顔をする。ちょっと気まずそうで、まさに失敗したという表情をしていた。硬直から解けた小晴は首を横に振った。


「……拓也さん、だけです」


 絞り出したような消え入りそうで、か細い声。顔は真っ赤。耳も真っ赤。なんなら首まで真っ赤。プルプルと生まれたての子鹿のように、小晴は羞恥に打ち震えた。そんな小晴を目の当たりにした拓也は、気まずさも忘れて目を丸くする。それから、へにゃりと全てが溶けたような笑顔を見せた。


「そっか…。なんか、…にやけるわ」


 ニヤけた口元を片手で隠して、視線を横にずらす。でも、全身から溢れた嬉しそうな空気は隠せずにいる。初めて見る拓也の姿に、小晴は呆気にとられた。

 なんで、この人こんな顔するんだろう。恋愛に疎い小晴にだってわかる、好きが溢れた態度に戸惑ってしまった。



 *



 すでに空は茜色へと姿を変えようとしている。デートの終わり、最後に寄ったカフェを出た。あとはもう帰るだけ。


「ちょっとだけ海沿い歩かない? 空めちゃくちゃ綺麗だよ」


 少しだけ寂しく思っていた小晴を見透かしたみたいに、拓也がタイミングの良い言葉をかけてくれる。


「いいですね」


 少し浮き足立って、小晴は拓也の提案に頷いた。ゆっくりとした足取りで、海沿いの道を二人で歩く。心地よい潮風が、小晴の髪の毛を優しく撫でる。陽が落ちてきて、昼間よりだいぶ過ごしやすくなった外は、歩いているだけで小晴を贅沢な気分にさせた。


「なんか、あっという間だったな」


 海を眺めながら、拓也がぽつりと呟いた。


「ほんとですね」


 小晴は、小さく笑みをこぼして拓也に同意する。多すぎない言葉のやり取りは、辛いどころか心地よさすらあって、この時間が永遠に続けば良いと、小晴は思った。


「ちゃんと楽しめた?」


 少し不安そうに、拓也は小晴を見下ろした。


「はい」


 一瞬だけ視線が絡んで、すぐに瞳を伏せる。小晴は控えめに頷いた。


「そっか。なら良かった」


 拓也が安心したように、ホッと息を吐いた。


「なんか…、初めてかも」


 まるで独り言みたいに拓也が言葉を紡ぐ。


「デートが終わるの、寂しく思うの」


 ドキッと鼓動が跳ねて、小晴は反射的に拓也を見た。当たり前のように目が合った。まるで、それは拓也がずっと小晴を見ていたとでも言いたいみたいに思えて、瞳孔を丸くさせたまま固まった。小晴に見つめられて、拓也が照れたように笑う。まるで現実感のない出来事だと、小晴は言葉を失ってぼんやりと拓也を眺めた。


「あっちの方、真っ赤だね」


 小晴から視線を外した拓也は、海に沈む太陽を指差した。まるで空が燃えているような鮮やかな色が一面に広がっている。朱色のグラデーションは、まさに空に描かれた絵画そのもので、見事な芸術作品だった。


「きれい…」


 言葉が勝手に口から溢れる。見事な景色は、すべてを吸い込んでしまいそうで、ただただ魅入られた。瞬きの無言。


「小晴ちゃん」


 拓也は、空に見惚れる小晴の名前を呼んだ。なんだろう、と振り返る。


「ちょっと聞いてくれる?」


 柔らかな笑みを浮かべた拓也。何も変わらないのに、小晴はなぜか緊張で身を強張らせた。


「俺ね」


 何を言い出すのか、なんとなくわかってしまったからだろうか。単純なドキドキとした胸の高鳴りと、足から這い上がってくるような底知れぬ怖さが同時に小晴を襲う。じわじわと侵食されるような感覚を覚えながら、小晴は拓也から目を逸すことができない。


「今日一日、ずっと浮き足立ってて、なんかダサいなって思ってた」


 いつも大人びてる拓也の告白に、小晴はびっくりする。確かにテンションは高い気がしたけれど、拓也は終始優しかった。


(ダサいなんて…)


 否定しようとして、待ったが掛かる。拓也の言うように、確かにダサいところもあったかもしれないと思った。

 今日の拓也は、完璧じゃない、王子様じゃない、リアルな人だったから――。


「でも、小晴ちゃんが隣にいてくれるならそれでもいいかなって」


 自分でも自分の感情を持て余しているみたいに、拓也が困った顔で笑う。


「俺さ、小晴ちゃんみたいな子、初めてだから。うまく伝えられてないかもしれないけど」


 拓也に真剣な目で見つめられ、小晴は受け止めきれない感情の渦に飲み込まれるような怖さを覚えた。ゴクリと、静かに唾を飲み込む。


「こんな風に思ったの小晴ちゃんが初めてで。ちゃんと好きって伝えたいって思ったのも、誰にも譲りたくないって思ったのも、初めてなんだ」


 拓也の告白は、真剣で、真っ直ぐで、どこまでも誠実だった。でも、わからなかった。今まで読んできた数々の少女漫画のような、キラキラとドキドキだけで埋め尽くされたそれらと、現実はだいぶ乖離したものだった。キラキラとドキドキ以外の、わけのわからない怖さとモヤモヤ。自分の気持ちが拓也が伝えてくれた気持ちと見合ったものなのかどうか、確かめる時間も術も小晴にはない。どうしたら良いのかもわからない。


 でも、もう引けない。だって、拓也に向き合いたい気持ちは嘘じゃないから。突っぱねるのも、保留にする勇気も、小晴になかった。悠真を傷つけて、拓也を選んで、ここにきて。拓也の真剣な顔を見たら、傷つけたくないと思ってしまって。


「俺、ほんとに小晴ちゃんのこと大事にしたいって思ってる。だから、俺と付き合ってください。お願いします」


 だから、小晴は湧き上がる怖さとモヤモヤに蓋をして鍵をかけた。一歩踏み出す勇気とか、やらない後悔よりやった後悔とか、そんな綺麗な決意なんかじゃなかった。

 だけど――。


「…、よろしく、お願いします」


 返した答えは、何かを覚悟するような気持ちだった。誰かの彼女になる瞬間。きっと浮き足立って、ふわふわした夢見心地で、幸せいっぱいなんだと思ってた。


 今日から、拓也さんの彼女。嬉しいはずなのにどこか怖くて、不確かな肩書きを背負ってしまったような、背中に重石を乗せたような、そんな気分。胸の奥がざわざわする。

 初めての彼氏、現実感のない現実。


「抱きしめても、いい?」

「え、」


 驚いて、目を瞬かせて、ぎこちなく頷く。ふわりと体を包み込んだ拓也の熱と匂い。ドキドキより、腕の中の慣れなさが勝っていた。


 力の入った体は、まるで居心地が悪いと言っているみたいで。抱きしめ返す勇気もなくて、小晴の両手は拓也の服を控えめに握った。


「今日から、よろしくね」


 拓也の言葉に、小晴はコクンと小さく頷いた。



以上で、前編はここまでとなります。

ここまで物語にお付き合いくださり、本当にありがとうございます。


次回から物語は、後編へ突入いたします。

ぜひ楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです。


ここまでのご感想などありましたら、ぜひお聞かせください。

本当に「恋人未満、スキャンダル以上――これは恋じゃない。ホラーです。〈前編 好きが噂になる前に〉」に、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました!

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