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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第十四章 決別

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第40話 溶けていく約束



 灼熱の炎天下。アスファルトから立ち上る熱気を感じながら、小晴は最寄駅近くのカフェまで足を運んでいた。店内に入った途端、スゥーっと冷えた空気が全身を包む。カウンター内にいる店員さんの「いらっしゃいませ」という声を聞きながら、小晴はじんわりとにじんだ汗をハンカチで拭った。


「Mサイズのアイスココア、テイクアウトで」


 にこやかな店員さんに緊張しつつ、お目当ての飲み物を注文する。

 小晴は、ここのココアがお気に入りで、よく自分のご褒美に買っている。特にアイスが最高だ。濃厚なカカオのコクと、ふんわり乗った程よい甘さの生クリームが、小晴にとっては至福だった。


「580円です」


 会計を済ませ、受け取り番号が印字されたレシートを受け取った小晴は、レジ前から受け取り口に流されるように移動する。


(涼しい)


 順番を待っている間の時間は、火照った体を休ませるちょうどいい時間だ。暇つぶしに眺めていたスマホに、ピコンとLIMEの通知が表示された。誰だろう、とアプリを開く。


〈おはよ〉


 何でもないメッセージにドキッと心臓が鳴った。


(…、悠真さん)


 どう連絡しようか悩んでいたから、尚更だった。悠真のトーク画面を開いて既読をつける。


〈おはようございます〉

〈いま起きたんですか?〉


 そう返すと、すぐに既読がついた。小晴が送ったメッセージの下に、悠真から新しいメッセージが追加される。


〈いまおきた〉


 悠真らしくて、少し笑ってしまった。


〈小晴は、なにしてんの?〉


 ピコンとまた新しいメッセージが続けて届く。


〈いまカフェいます〉


 そのまま送ると、すぐに送られてきた悠真からの返信。〈誰かといんの?〉と、まるで嫉妬でもしているような言葉に一瞬ドキリとする。


〈ひとりですよ〉

〈甘いもの欲しくて〉


 ずっとトーク画面を開いている小晴も同じだが、やっぱり送った瞬間に既読がついた。悠真も別の場所で似たような状況だと思うと、なんだか変な気分だ。


〈どうせココアだろ〉


 まるで小晴のことをどこかで見ているかのような言葉だった。ちょっと驚いて手が止まったあと、思わずそのまま打ち返す。


〈なんでわかったんですか?〉

〈小晴のことはわかんの。おれ〉


 返ってきたメッセージを見て、一瞬心がふわっと上昇する。なのに、すぐチクリと胸が痛くなった。


「アイスココアでお待ちのお客様~」


 店員さんの声に、スマホから目線が上がった。スマホをカウンターに置いて、小晴はココアを受け取った。

 店外に出れば、またあの強い日差しが小晴を照らした。見上げた空は一面真っ青で、どこまでも綺麗な色が続いている。小晴は眩しそうに瞳を細めた。暑い外とは対称的な冷たい温度が指先から伝わる。小晴は、ココアを一口飲んだ。重たい甘味が口の中に広がった。スマホを取り出して暗くなっていた画面に明かりを点ける。待ち受けのロックを外すと、すぐについさっきまでやり取りしていた悠真とのトーク画面に切り替わる。


〈悠真さんは、今日暇なんですか?〉


 小晴は、一つ前の悠真の言葉に返さずに話題を変えた。


〈うん。ひま〉

〈そっちは?〉


 少しして返ってきた悠真からのメッセージにも特に掘り返すような言葉はなくて、少しホッとする。


〈今お店出たところで、帰り道です〉


 駅と反対の道沿いを歩きながら、悠真とのLIMEを続けた。


〈熱中症気をつけろよ〉


 今度は、間もあかずに返ってきたメッセージはぶっきらぼうなのに優しくて、悠真らしくて。やっぱり、ツキンと胸が痛んだ。


〈わかってますよ〉


 横断歩道の手前、赤信号で足が止まる。目の前を車が通り過ぎていく。じりじりとした陽の光は、まるで小晴を焦げ付かせようとしているようだ。


〈ほんとかよ〉

〈ほんとです!〉


 揶揄うような言葉に乗せられて、強気な言葉を返した。


〈ならいいけど〉


 信号が青に変わる。一旦止まる他愛ないやりとり。ココアを持っている手は、結露で濡れている。小晴は近くの公園にふらりと寄って、木陰のベンチに腰をおろした。風がそよいで、木々を揺らす。暑すぎる気温のせいか、公園内で休む人はほぼいない。ちらほらといる人は、小晴と同じく暑さしのぎに木陰に身を寄せている。


 ふう、と小晴も息を吐いて、ココアを飲んだ。氷が少し溶けて、さっきよりも味が若干薄まっている。けれどホッとする甘さは健在で、暑さで弱った体を脱力させた。

 小晴はベンチにココアを置いて、スマホに視線を落とした。数秒、画面を凝視してから指を滑らせた。いつもよりゆっくり、一文字一文字に念を込めるように、打ち込んだ。


〈いま電話してもいいですか?〉


 送信ボタンを押す指先が、わずかに震えた。シュポッ、と更新されたトーク画面を息を詰めて見つめる。

 既読。それだけで、心臓がバクバクと脈打つ。

 ポコン。

 画面が動く。


〈えー。なんか怖いんだけど〉


 返ってきたのは、そんな言葉だった。


〈予定とかあったら全然〉

〈無理にとかじゃないので〉


 すぐに送り返すと、返信の代わりにスマホが震えた。着信だ。ごくりとつばを飲み込み、通話ボタンを押す。


『もしもし、なに?』


 スマホを耳に当てると聞こえた、ズルくて甘くて優しくて、とっても怖いと思った声。久しぶりに聞いた悠真の声は、少しぶっきらぼうでどこか緊張しているように感じた。


『どうかした?』


 なんて返したらいいか分からなくて、言葉が喉でつかえる。


『…、小晴が俺に電話したいってめずらしいじゃん』


 少し間が空いて、悠真が言葉をつづけた。


「悠真さん」


 やっと出た声は、震えていた。


『ん?』

「わたし…、」


 口が酷く重たかった。ズシン、と優しい相槌が小晴によけいに胸の乗りかかる重みを実感させる。


『うん』

「夏休み、一緒にどこか行く約束出来そうにないです」


 言った。言ってしまった。

 心臓をぎゅうっと鷲掴みにされているような苦しさが込み上げる。無言の時間が怖くて、悠真の言葉を待たずに小晴は口を開く。


「ずっと、曖昧なままにしてて、ごめんなさい」


 この胸の苦しさは、いったい何なのだろうか。思わせぶりだった自分への懺悔か。傷つけてしまったことへの後悔か。それとも、まだ胸の奥で、消えきれずに残る淡い未練か。あるいは、理想とはかけ離れた自分への失望か。 


『俺とは付き合えない?』

「はい」


 悠真の問いに小晴は静かに、けれどはっきりと返事をした。短い沈黙が電話越しに流れる。


『あいつに決めたの?』


 答えられなかった。でも、それがきっと答えになっていた。『そっか』と、電話の向こうで悠真が言った。


『悔しいけど。あいつ、めっちゃいい男だから仕方ないか』


 今まで聞いてきた中で、一番さっぱりとした軽やかな声だった。何も言えないでいる小晴を察してなのか、悠真は言葉をつづけた。


『こっちこそ、今までずっと振り回してごめんな』


 トーンが落ちて、柔らかな音がスマホを通して聞こえてくる。小晴は、首を横に振った。


「謝らないでください」


 どうにか絞りだした言葉が向こうに届くと、ふっと空気が微かに揺れた音がした。


『うん。ありがとう』


 笑って、いるのだろうか。電話の向こうにいる悠真が想像できなくて、また苦しくなる。


『ちゃんと、幸せになれよ』


 じゃあ、またなでプツリと途切れた電話。小晴は通話が切れたスマホを両手でぎゅっと握りしめた。じりじりと焼く日差しは、容赦なくアスファルトを焦がしている。隣に置いたアイスココアの氷は、もうほとんどが溶けてしまっていた。



 *



 通話が切れた。一瞬、スマホを見つめたまま、何も考えられなかった。悠真は、スマホをベッドに投げ出すように放って、そのまま仰向けに寝ころんだ。何もない真っ白な天井を眺める。


 少しは俺のこと、好きだっただろ。


 喉まで出かかったその言葉を、飲み込んだ。部屋の中には。エアコンの低いゴォという音が響いている。いつもなら気に留めない音が、今はやけに耳障りだった。


(付き合えない、ね)


 はあ、と口から溜息が零れる。なんとなくそんな気はしていた。でもほんとは、ほんの少しだけ期待していた。カーテンの隙間から差し込む陽に光が、薄暗い部屋の一角だけを白く照らしている。そこだけが、まるで別の世界のように、眩しかった。


 ああ、ほんとバカみたいだ。

 たかが女のことで、ここまで落ち込むなんて。


 嗤ってみたけど、口角は歪にしか動かなかった。

 こんなに落ち込む理由も笑えない理由も、自分が一番分かっている。最後まで皮肉な野郎だと、悠真は心の中で自分を嘲笑った。




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