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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第十四章 決別

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第39話 決める前に、決まっていた



 春の風に誘われて、梅雨の匂いに恋をした。夏の温度に溶かされる前に、陽炎へと手を伸ばす。


 あの時、あの瞬間、私は確かに貴方に恋をしていた。惹かれていたのは、嘘じゃない。でも、選べなかった。選ばなかった。私は、違う人との未来を望んだから。きっとずっと覚えてる。好きになったことも、間で揺れてしまったことも、選ぶ痛みも全部――。







 水面に滴が落ちて、チャポンっと波打つ音が浴室に響く。掬ったお湯が手から零れて、肌を滑っていく。ゆっくり湯船につかりながら、小晴は「ふう」と息を吐いた。期末テストが終わって、どこかホッとした。常にパンク状態だった頭がやっと落ちつけた、そんな気分だ。


(LIME、届いてるかな…)


 小晴は浴室の外に置いてきたスマホの方をちらりと見た。陽介に背中を押されて、テスト終わりに届いていた返せなかったLIMEに返事はできた。


 でも、陽介に言われた『どっちが他の人の取られたくないって思う? どっちが、一緒にいる想像がつく?』という言葉が頭の中を反芻している。


 自分の中にずっとあった疑念。私なんかが選んでいいのか、そもそも選ぶって烏滸がましくて嫌な気持ちだなとか。誰かを明確に傷つけそうで怖いとか、未知の世界に飛び込んでいく単純な恐怖とか。いろんな気持ちがごちゃごちゃに絡み合って、何も見ようとしていなかったことに気付かされた。


 この二週間、二人のことを考えているつもりで、私は自分の気持ちばかり見ていた。だから、テスト終わりに二人からのLIMEを喜べなくて、重たくて、逃げ出したくなってた。もう二人にごめんなさいって言えば全てが丸く収まるんじゃないかって、そう思ってたんだ。


(私、弱いなあ…)


 ぶくぶくぶく、と湯船へ沈んでいく。顔の半分くらいまで沈んで、天井を見上げた。理想とかけ離れた人間らしい一面を自覚して、湯船に浸たりながら小晴は肩を落とした。



 *



 お風呂から上がって、小晴はベッドに転がっていた。乾かしたばかりのサラサラとした柔らかな髪が、シーツの上を波打っている。小晴はひとり小難しい顔で天井を睨むように仰ぐ。手の中には真っ暗な画面のスマートフォン。思い返してみても、急スピードに縮まっているとしか思えない距離に、どこか追いつけていない感情が残る。


 だけど、きっかけははっきり分かっていた。自分が拓也と悠真を意識してしまったタイミングは、忘れもしないあの日だ。


 あの日からもう2ヶ月なのか、まだ2ヶ月なのか。目まぐるしい時間だった。拓也とのデートも、悠真とのデートも楽しかった。それまではただ気持ちが高揚していただけで、浮かれていた気がする。


 選ばないといけないと突きつけられた日から、ずしんと重みが乗っかった。


(私、浮かれてたなあ…)


 初めの頃を思い出して、ちょっと笑ってしまった。人生で初めてデートした日。何を着て行ったらいいか分からなくて、朱音や陽介、玲央が、相談に乗ってくれた。憧れてた人とのデートにドキドキしすぎて眠れなくて、目の下にものすごいクマなんか作っちゃって。待ち合わせ場所までの時間、緊張しすぎて心臓止まるかと思った。


(待ち合わせ場所にいた拓也さん、格好よかったな)


 自分なんかとデートしてくれてる状況が夢みたいだった。全部が特別で、何もかも輝いて見えて、手を繋がれて舞い上がってた。悠真さんは、いつも余裕綽々で人のことを揶揄ってばかりなのに、ふとした時の声とか仕草とか、表情に目を奪われてしまう。どことなく脆くて、触れたら柔らかい繊細さを隠してるようで、そんな危うさに、どうしようもなく惹かれてしまった。


 きっと、自分の弱さをあの人に重ねてるんだ。同じかもしれないって、そう勝手に思ってる。

 いつからだろう。憧れが、別の感情に完全にすり替わったのは。手が届かない人たちに、手を掴まれたと思ったのは。


(あれ…、わたし…)


 小晴は、ぱちぱちと目を瞬いた。自分の中に浮かび上がった違和感を拾い上げる。


(もっと、前じゃなかった?)


 あの人に目を奪われたの。

 もっと前、初めて会った日、かっこいいなって思わなかったっけ。


(あれ?)


 ドキッとしたのは、確かに飲み会の次の日だった。

 でも、あれ。おかしいな。私、もしかして――。


(最初から惹かれてた?)


 どうせ手が届かないからって、憧れで留めてただけで本当は――。

 ガバリ、と体勢を起こす。


「え、うそ、本当に?」


 突然、ドッドッドッと心臓が早鐘を打ち始める。手足が熱くなって、全身に血が巡った。

 気がついた。

 気がついてしまった。

 もう、後戻りなんか出来ないと思った。だって私、最初から貴方に恋をしていた。



 *



「小晴、夏休みだからって、ボーッとしてないの。なんかやることないわけ?」


 朝から口うるさく部屋にやってきた母親に叩き起こされた。


「わかったってば。起きる、起きるよ!」


 もう、高校生じゃないんだから。起きる時間くらい好きにさせて欲しい。


「ほんとにあんたって子は」


 腰に手を当ててため息を吐いてから、母親が部屋を出ていく。


「あ! そうだ。シーツの洗うから、洗濯かごのところに出しといてね」


 閉まったはずの扉がガチャリと開いて、顔だけ覗かせた。捨て台詞のように言いたいことだけ言った母親の姿は、すでに扉前にはない。トントントンと、階下に降りていく足音が聞こえる。


「はあ、も〜」


 もう一度ベッドの中に丸まろうとしていたが、仕方がない。


(別に今日予定あるし。起きるつもりだったし)


 ぶつぶつ文句を言いながら、小晴はベッドから体を起こした。ベッドのシーツを引っ剥がし、部屋を出て洗面所へ。洗濯かごの中に、どかッとシーツを丸め入れた。それから顔を洗って、歯を磨いて、朝の支度を終えると鏡の中にさっきよりもシャッキリした顔の自分がいた。


「ふわあ、ねむ」


 大きな欠伸をひとつして、リビングの扉へ向かった。「おはよ〜」と、ダイニングテーブルの椅子を引いて座る。


「おはよう、お寝坊さん」


 キッチンに立っていた母親が振り返る。少し呆れた顔だ。


「そんなに遅くないよ」

「何言ってるの。もう9時すぎよ」

「だから、遅くないじゃん」


 少しムッとして、眉根がやや中央に寄って下唇が尖る。


「夏休みだからって、規則正しい生活は崩さないの」

「お母さんってば、生真面目すぎるよ」

「なら、自分で掃除洗濯お料理全部する?」

「うっ…、ごめんなさい」

「よろしい」


 いくつになっても、母親に勝てそうもない。少し遅めの朝食をだらだらと取り終えて、自分の部屋に戻る。


「今日どこか行くの〜?」


 下から母親の声が聞こえた。


「朱音ちゃんと遊んでくる〜!」

「はーい」


 母親の返事を聞きながら、小晴はスマホを開いた。朱音から「おはよー」とLIMEが届いている。〈おはよう〉と、返してからクローゼットを開けて、洋服を取り出す。ぱぱっと着替えて、メイクをして、髪の毛をセットして、完成。鏡に映った自分に、よしと気合を入れる。手元のスマホで時間を確認すると、あと少しで家を出る時間になっていた。


 夏休み入って最初の予定。楽しみでないわけがない。小晴は、少しばかり口角を上げながら、返ってきた朱音からのLIMEをポチポチと打ち返した。



 *



「あっついね」

「ほんとに」


 駅で待ち合わせをして、お目当てだったかき氷屋へ。長い行列に並んだ末、やっと順番が回ってきて店内に入れる。こじんまりとした店内は、お客さんでいっぱいだ。店員さんに案内されて、2人がけのテーブルに腰を下ろす。テーブルにメニュー表を開いて、2人で覗き込むように見た。


「わ、これ美味しそう」

「こっちも、すごいよ」


 メニューに載った大きなかき氷の絵。華やかで可愛らしい見た目と、従来のかき氷とは一線を画した贅沢さは、れっきとしたスイーツとして成り立っている。すでに選ぶ段階から、わくわくと胸が踊る。


「ほんとだ。え、どうしよう。悩むなあ」

「私はこっちとこっちで悩んじゃう。ええ、どれにしよう」


 メニュー表に穴が開きそうなほど見つめたあと、小晴と朱音はやっとどのかき氷を頼むか決めた。注文し終えた小晴は、テーブルに置かれた水を一口飲む。グラスを置いた時コトン、と涼やかな音がした。


「ついに、てかやっと夏休みだね」


 真向いに座る朱音に話しかけられて、自然と視線が上がる。


「なんかさ、前期いろんなことありすぎて感情忙しかった気がする」


 この数か月を思い出しているのか、朱音がどこか苦笑交じりの笑みを浮かべた。「ま。こはの方が忙しかったと思うけどさ」と、付け加える。


「うん…。ほんとね」


 小晴も、少しだけ苦々しい笑みを湛えた。


「でも、前期の私らよくやったと思わない? あの前期のレポート量エゲつなかったもん。ほんと訂正箇所だらけのレポート返却されたときの絶望感はないわ」

「あれはねえ。心折れるよね」


 思い出しただけで、頬が引き攣る。


「ほんとほんと。だからさあ、休み期間入ってもうほんっと最高。8月入ったらすぐ合宿だし楽しみしかない」


 全てのストレスを解放しようとでも言わんばかりに、朱音の顔がウキウキと輝く。


「前期頑張った分、今年の夏は絶対遊ぶって決めてんの。私」


 どうやら間違いではなさそうだ。去年の夏も思い切り遊ぶと宣言していたことを思い出して、小晴は笑みを漏らした。それから、少しだけ逡巡した後、意を決して口を開く。


「あのさ、朱音ちゃん」


 まだ本題も言っていないのに、それだけで心臓が動き始めたのが分かった。少し喉が張り付く感覚。


「ん? どしたの?」


 表情がどことなく堅い小晴に気が付いた朱音が、目を少し見開いた。


「私…、」


 溜まった唾を飲み込んで、朱音を見る。


「――ちゃんと、返事しようと思うんだ」


 言葉にした途端、喉の奥が少し震えた。ずっと頭の中で繰り返していたこの一言を、やっと外に出せた気がした。


「え。ついに?」


 朱音も予想していなかったのか、驚きで目をまん丸くした。若干、体も前のめりになる。


「うん」


 ドキドキしながら頷く。


「決まったの?」

「うん」


 もう一度頷いた。なんだか、胸がいつもより早鐘を打っている。


「そっか。偉いじゃん」


 一呼吸の間の後、朱音は呟くように相槌を打ってカラリと笑った。軽くもなく重くもない、ちょうどいいさっぱりした返しに、無意識にホッと息を吐く。


「最初にさ。相談したの、朱音ちゃんだったでしょ」

「うん。めちゃくちゃ前って感じだけど」

「だから、言っておきたいなって…、思ったんだ」


 少し照れくさくて、視線を手元のグラスに落とした。


「は? なに、その反応。恋する乙女じゃん」

「ちょっと、朱音ちゃんまで揶揄わないでってば」


 朱音のツッコミに、頬が赤を帯びる。


「え~全然揶揄ってないけど。てか、そっかあ。こはも決めたんだ」


 なんだか感慨深げに朱音の目が小晴を見た。


「うん。でも、まだね。全部スッキリしたわけじゃないんだけど」


 ちょっと困った顔で微笑んで、両手でグラスを握る。


「それでも進むって決めたんでしょ?」

「うん」


 朱音の分かってる顔に、小晴も素直に頷いた。


「頑張ってね。応援してるから」

「ありがとう」


 朱音の言葉に、背中を押された気持ちになった。味方がいるって、なんだか心地よくて力強い。


「失礼しま~す。ご注文の~」


 ちょうどいいタイミングでかき氷が運ばれてきた。視線はお盆の上に乗ってやってきた大きくて豪華なかき氷に集まる。二つの鮮やかな小山を目にして、二人の瞳がまんまるく見開いて輝いた。同時に「うわあ」と感嘆の声が漏れた。

 最高の夏休みの始まりが、自分の目前に間違いなく置かれた。







 スプーンを口に運ぶたびに、氷が口の中にふわりと解け、喉の奥の方をひんやりと涼ませる。軽い口どけと爽やかな甘さが夏にぴったりで、はじめこそ大きいと思ったかき氷も、今は余裕で食べれそうだ。


 目の前のかき氷に夢中で、黙々と食べ進めていたところ「あ、そうだ」と、半分ほどになったかき氷の奥で朱音が言った。小晴も口に運んでいたスプーンを一旦止める。


「うまく行ったら報告してよ。待ってるから」


 朱音は、さっき言い忘れていたみたいな顔をしている。


「うん、一番に報告するね」


 少し照れつつ、小晴は笑って頷いた。朱音も嬉しそうに笑う。絶品のかき氷を堪能しながら、小晴はようやくこの夏を始められる気がした。



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