第36話 正直、どっち?
テスト期間は第二週目に突入した。
朱音と陽介と小晴は、丸テーブルを囲んでいた。各々好きに過ごしてはいるものの、一応全員の前には講義で配布されたレジュメが置かれている。怜央は不在。法学部の彼は、テスト期間中はほとんど顔を出さないのが通例で、試験勉強で多忙だ。
「はるちゃん、顔死んでるけど大丈夫?」
陽介の言葉に、思わず我に返った。
「あ、ごめん。大丈夫」
へらっと笑うが、小晴の顔には疲労が滲んでいる。「そう?」と、それ以上の追求はなく、陽介は再び自分の勉強に戻る。
(また、ぼーっとしてた)
先週の出来事があってから、小晴は余計勉学に身が入らなくなっていた。気がついたら、違うことを考えてしまっている。
(ダメダメ。いまはテスト期間なんだってば)
勉強に集中しようと決めたはずなのに、目の前の文字は一向に頭に入らない。1行目から始めて、文字を追っているはずなのに、するりするりと追った先から抜けていく。一体自分がいまなにを読んでいるのかわからない。そんな状態だ。
何度も何度も同じことの繰り返し。きっと、拓也さんも悠真さんも、私と違って要領よくこなしているんだろう。そもそも、あそこで拓也さんと偶然会ったりしなかったら。悠真さんに気がつかなかったら。こんなに心がどこかへ飛んでいくこともなかったのに――。
どうして、私はこんなに2人に揺れてしまうのだろうか。どちらか片方じゃなくて、なんで、どっちにも。
小晴の視線は、開きっぱなしのレジュメとルーズリーフの上で止まったままだった。朱音は、カリカリと紙の上を走らせていたペンを止め、顔を上げた。
「ねえ。正直、どっち?」
さっきから一ページも進んでいない小晴を視界にとらえ、単刀直入に切り出す。
「ど、ど、どっちってなにが!?」
うわの空だったところから急に話しかけられた驚きと、それ以外の要素がぐちゃぐちゃに混ざりあい、言葉がどもった。小晴のあまりの動揺っぷりに、テスト対策をしていた陽介も朱音と一緒に吹き出した。
「どうせ、悠真さんが拓也さんのこと考えてたんでしょー?」
ニヤニヤと笑いながら朱音が、小晴を揶揄うモードに突入する。
「はるちゃん、ずっとそのページから進んでないよね」
陽介も朱音同様、にやついている。
「な、ちが。これは、偶々。そう偶々だよ!」
「へ~~。偶々なんだ」
含みたっぷりの陽介の意地悪な顔。
「それは流石に無理があるって。ついにうわの空超えて時空飛んでたじゃん」
爆笑する朱音。
「っ、う、うるさい! 勉強するの!」
小晴の耳は、限界まで真っ赤に染まっている。
「え~。でもさあ。どっちかしか選べないんだよ」
勉強に戻るつもりがない朱音は、頬杖をついて勉強するフリをした小晴に言葉を投げた。ぴしりと、見事に小晴の動きが停止する。
「さすがにどっちも振る選択肢はないでしょ?」
「もうさ、いっそどっちかに押し倒されて、キスでもされたらいいんじゃない?」
「はあ?!」
陽介の口から飛び出たとんでもない発言に思わず小晴は、手元の教科書をぶん投げた。
「うわー、はるちゃん暴力はだめだって」
なんなくキャッチされて、余裕しゃくしゃくに笑られた。
「陽くんが煽るからじゃん」
朱音が呆れつつ、笑っている。この二人は既に、小晴の現状を揶揄う気でいると、鈍い小晴も気が付いたところだった。
「てか、すでに押し倒される設定はあるんだ?」
ニヤニヤを加速させて、朱音がさっきの陽介の発言に乗っかる。上手く返事ができずに口をパクパクさせていると、「こはが押し倒す側はないわけ?」とさらに調子を上げてけしかけてくる。
「あ、あるわけないでしょ!!」
「じゃあ、され待ちか〜」
やっと言い返せて息も絶え絶えのところに、陽介の追い打ち。
「最低!!!」
二度目の教科書が宙を舞った。
ほんとに陽ちゃんも朱音ちゃんも、好き放題言って――。
お手洗いに逃げ込んで、一人になった小晴は、ぶつぶつと独り言を呟く。
(そもそも、押し倒すとか押し倒されるとか、そんなことしないしされないし!)
そうだ。そんなこと起きたりなんか――。
否定しようとして逆にそれがドツボだった。ぶわあ、と脳内に広がった妄想が一人歩きして、なぜか自分が二人を押し倒す映像が流れ始める。顔が交互にちらついて、もはやどっちを相手にしているのか定かではない。ただ、どちらも余裕そうな顔で小晴に手を伸ばし、すぐに形勢逆転、小晴が押し倒される側に回っていた。
(だ、か、ら〜、違うってば〜〜)
小晴は、勝手に妄想を繰り出す脳内に悶絶する。二人が変なことを言い出すから、変な想像をしてしまった。
最悪だ。その日の小晴は、トリップして1人赤面からの大慌てと、非常に忙しい一日だった。
*
今日がテスト最終日。これが終われば夏休みがやってくる。周りもきっと、似たようなものなのだろう。どこか全体的に浮き足だった空気が漂っている。しかしそんな空気の中、小晴だけ死んだ魚のような目をしていた。
(これでテスト終わるんだ…)
長かった。正直、長すぎた。なんとか、ギリギリのラインで自分自身に打ち勝ちながらここまでやってきたが、これまでの期末試験でここまでの疲労感を感じたことは一度だってない。全ては、あの第一週のテスト期間が原因なのは明白だ。また二人の亡霊に取り憑かれそうになった小晴だったが、すぐに考えを振り払う。
(今はテストのことを考えなきゃ)
ぎゅっと手にしたレジュメを握った。少しだけひしゃげた紙の束に気を遣っている余裕はなかった。
テスト開始から時間が進み、退室可能時間を過ぎると、ひとりひとり解答を終えた学生から席を立っていく。小晴も何度目かの確認を終えて、荷物と解答用紙を持って立ち上がった。すでに半分ほどが離席している。数人の列に並んで提出し終えた小晴は、そのまま教室を出た。
教室の外は、まだテストに挑んでいる友人たちを待つ学生たちが散らばっている。やっとテストから解放されたワクワク感が晴れた表情や声色から伺えた。小晴は、そんな学生たちの輪を抜け出し、近くのベンチに座った。電源を落としていたスマホを点ける。Wi-Fiが繋がると、ポポンっと表示されたLIMEの通知が目に入った。
期待しなかったわけじゃない。でも、拓也、悠真、それぞれの名前が表示されたトーク画面を見て小晴は動揺した。
(どうしよう…、結局答えがないまま今日になっちゃった…)
暗い表情で、スマホの画面を凝視する。すぐに返信するほどの余裕とLIMEが届いたことを嬉しく思う気持ちは、この悶え苦しんだテスト期間中にだいぶ削れていた。手に馴染んだはずのスマホが、ずっしりと重たかった。
「はるちゃん」
ふいに名前を呼ばれた。
「お疲れ」
顔を上げると、テストを終え教室から出てきた陽介が目の前に立っていた。
「陽ちゃん、…お疲れ様」
陽介に微かに微笑む。
「…、先に2人だけでお疲れ様会やっちゃおっか」
「え?」
「はるちゃん今回、相当しんどかったでしょ」
揶揄いなのか、慰めなのか、どちらとも取れるトーンで陽介は笑う。
「ほら、コンビニ行ってアイスでも買ってこよ。あ、前に約束したやつ」
いま思い出したような顔で、以前した約束を口にした。
「ジュースじゃないけどアイス、はるちゃんの奢りね」
陽介の軽さに、小晴の気持ちも一緒に浮上する。手の中にあるスマホも、少し軽くなっていた。




