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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第十三章 紫陽花の罪

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第35話 隣の空席



 どれくらい集中していただろうか。無音だった世界に、音が少しずつ戻ってくる。空調、足音、ペンが紙をなぞる音。静寂の中の様々な音が、ふわりと耳に広がった。


 身体が少し固まっていた。両腕を天井に伸ばす。伸ばしても伸ばしても、絶対に届くことはない高い天井。伸びきった身体を戻し、周囲を見回した。


 どことなく空気が変わっている気がした。中央に開いた真四角の外空間。明るい日差しと植物の深い緑が燦々と輝いている。ガラス越しに見えた、大きな自習デスクが並ぶ向こう側。あんなにたくさんいた学生は、どこかへと消え、誰も座っていない席があちこちに点在していた。それでも、いつもより人口密度の高い図書館。


(私も、そろそろ帰ろうかな)


 あともう少しで完成するが、集中力が切れた今、仕上げるほどのやる気は戻ってこない。帰ってから自分の部屋の机で、改めて集中し直した方が効率は良さそうだ。机に散らばった資料や、参考図書、マーカーペン等を片付けて、バックの中にしまう。一番奥底に沈めたスマホを取り出して液晶を点けた。


(来てるわけ、ないか…)


 時間を見るついでのつもりだったのに、通知ゼロにやっぱり少し落ち込む。不相応な感情なのは、分かりきっている。だけど、勝手に期待して勝手に落ち込んでしまうんだから、この感情は制御できない。


 小晴は、バックを肩に担いで、席を立った。椅子を引く音が、館内に響く。少しだけドキッとして、椅子を戻す時はさっきよりも音に神経質に慎重に動かした。振り返り、何の気なしに周囲を見渡す。ガラス越しの向こう、大きなデスクの端っこに座る人物に視線が吸い寄せられた。


(――あれ?)


 見覚えのあるシルエット。けれど、図書館とはミスマッチなその人。薄型PC、広がる資料、積まれた参考図書。それらに囲まれて、真剣な面持ちで作業に没頭する姿。


(悠真…、さん?)


 人違いかと思った。けれど、何度も頭の中で反芻した姿を見間違えるはずもない。空席は目立ち始めたものの、まだまだ残っている学生たちの中に自然と溶けんでいる悠真を見つけ、小晴は歩もうとしていた動きを止めていた。







 小晴は、しばし悠真の横顔を見つめていた。ぼーっと意味もなく立ち尽くした時間はどれくらいだっただろうか。


(っ…なに見惚れてんの)


 悠真に心を奪われていたことに気がついた小晴は、サッと頬を赤らめた。


(はやく帰ろ)


 自身の動揺を打ち消すように、視線を逸らすのと同時に体の向きも変える。

 そんなタイミングで、ふいにPC画面を見ていた悠真の顔が上がった。キーボードを叩いていた手が止まり、一息でも着くようにガラス張りの外側へ視線を向けた。交わるはずのなかった視線が交錯した――。


 ひゅっ、と小晴は息を呑んだ。悠真は、少し驚いたように目を丸くする。しかし、すぐにいつもの表情に戻って、悠真はそばに置いていたスマホを手に取った。慣れた手つきで画面を操作して、数秒文字を打ち込むような動作をすると悠真は再びこちらを向いた。何やら指で画面を指している。


(見ろってこと?)


 首を傾げそうになったところで、ブブッと小晴のスマホが振動した。見ると、スマホに通知が1件届いている。慌ててLIMEを開いた。


〈隣、空席〉


 簡潔に書かれたメッセージ。久しぶりに更新されたトーク画面。スマホから視線を上げると、悠真と目が合った。「おいで」と言っているように、彼が手招く。


 さっきまで拓也のことで頭がいっぱいだったのに。まだ答えすら出せていないのに。曖昧でずるい私なんかが、悠真のそばへ駆け寄ってもいいのだろうか。


 色んな感情が一気に小晴の頭に傾れ込んできて、思考がめちゃくちゃになった。けれど、考えるよりも先に足が動いていた。まるで、魔力に魅入られたかのように――。








 久しぶりに見る悠真は、相変わらずのカッコよさだった。悠真の隣、空いている席に腰を下ろした小晴は、少しドギマギしながら視線を向けた。「久しぶり」と、悠真は笑って、耳につけていたイヤフォンを外す。


「課題やりにきたの?」


 小晴は、コクンと頷いた。


「そっか。俺も」


 にやっと無邪気に笑う顔が反則で、一瞬目を逸らす。


「あの…、悠真さんは課題、忙しくないんですか?」


 呼んでくれたのは嬉しいが、邪魔ではないのかと不安がよぎって尋ねる。


「いや? 余裕余裕。なんで?」

「え、あ。だって、LIME…。テスト期間入ってからなかったから…」


 悠真がしばし固まった。沈黙が落ちて、図書館の静寂な音がさっきよりも大きく聞こえる。


「それって、俺からのLIMEなくて寂しかったってこと?」


 悠真がずいっと小晴の方に詰め寄った。まるで、内緒話をするみたいな小さな声で話しかけられる。え、と小晴は息を呑んだ。目を丸くした先に、悠真の悪戯な顔があった。


「いや、ちがっ」


 一瞬、何を言われたのか理解できず固まった小晴は、悠真に気付かれたくなかった本心を指摘されたことに気がついて顔を真っ赤に染めた。


「えー、寂しかったんだ」


 口調はどうでも良さそうなのに、悠真の顔はいつになく嬉しそうに緩んでいる。ニマニマと真っ赤な小晴の顔を余すことなく見つめる。それだけで十分、心臓に悪い。


「邪魔したら悪いかと思ってしてなかったけど、すればよかったかな〜」


 穏やかなのに、言葉の節々から漂う揶揄いと本気の狭間。息が詰まる。目が逸らせない。愉しげな色に満ちた瞳が、小晴の心臓を揺らしている。


「…、なんてな」


 すとん、と落とされた言葉。悠真の色鮮やかだった瞳もすべて、普段の余裕ある表情に戻る。その落差に、さらに動揺させられた。


「テスト終わったら、またLIMEするよ」


 柔らかな陽の光が背後から伸びているからか、悠真の虹彩がキラキラと輝いて見えた。


「あ、でも小晴からLIMEしてくれてもいいんだよ?」

「なっ。し、しないです」


 思いもよらぬ言葉に、小晴は迷惑にならないくらいの小さな声で即座に否定した。今の今まで悠真に翻弄されているなんて、バレたくなかったから。

 頬杖をついた悠真は、そんな小晴に「えー」と不満げな声を上げた。


「してくんないの? 俺、結構待ってるけど。小晴のLIME」


 少し不機嫌そうで、でもどこか余裕そうな悠真に、小晴は翻弄される以外の術がなかった。




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