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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第十三章 紫陽花の罪

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第33話 溶けた境界線の向こう側



 構内の一角に構える学内カフェ。お昼時ではあるが、何店舗か併設されているカフェの中で一番こぢんまりとしたそこは、ところどころ空席が残っている。控えめな音楽と学生や教職員の静かな談笑が聞こえる落ち着いた店内は、居心地の良い空間だ。


 朱音たちに一言残して、しばし離席してきた小晴は、ギラギラとアスファルトを焼く灼熱の外から、エアコンが効いた涼やかな店内へ足を踏み入れたところだった。額にじんわりと滲んだ汗を冷たい空気が冷やしてくれる。小晴は、キョロキョロとあたりを見回した。すぐに目当ての人物を見つけて、「おはようございます」と声をかけた。


「おはよう。急に呼び出してごめんね、来てくれてありがとう」

「いえ、全然」

「何飲む?」

「え、あ。えーっと。じゃあ、アイスカフェラテで」

「了解。暑かったでしょ? 座って待ってて」


 いつも通り、大人の余裕たっぷりな笑みを浮かべて、拓也が席を立つ。小晴は少し迷ったが、言われた通り大人しく拓也が座っていた向かいの席に着席した。しばらくして、拓也がアイスカフェラテを持って戻ってきた。


「はい。どうぞ」


 目の前に、美味しそうな茶色い液体が注がれたグラスが置かれた。


「ありがとうございます。あの、お金」

「俺が呼んだんだから、それくらい奢らせて」

「…、すみません。ありがとございます」


 小晴は、恐縮しつつ拓也の好意を素直に受け取った。白と茶の二層に分かれたカフェラテ。視覚的にも美しいそれに、ストローをさす。

 一口飲むと、キンキンに冷えたカフェラテが、喉を通して体に冷たさが行き渡るようだった。


「昨日は、ごめんね」


 拓也の静かな声が、小晴の鼓膜を揺らした。


「俺、焦ってた」


 目線を上げた先で、視線が絡む。目尻が垂れて力なく笑う拓也の顔は、初めて見た。


「悠真に取られるかもって思ったら、情けないけど小晴ちゃんの気持ち考える余裕なくなっちゃって」

「え?」

「カッコ悪いよね、怖い思いさせてごめん」


 カラン、と拓也の飲みかけのグラスの氷が音を立てた。意外な言葉だった。拓也が焦ることも、余裕がなくなることも、情けないなんて言うことも。

 それでも、拓也からは一切嘘の匂いはしなかった。小晴は、手元にあったグラスに視線を落として、両手できゅっと抱えた。


「昨日、俺にLIMEで謝ってくれたでしょ。小晴ちゃん」


 少しの沈黙の後、また拓也が口を開いた。


「それ見てほんと後悔した。なんで謝らせてるんだろって思ったし、直接会って謝らないとって思ったよ」


 やっと拓也に視線を戻して、小晴は少し後悔した。柔らかい笑顔だけれど、悲しそうな色が乗っていて、ズキリと胸が痛んだ。


「私、…」


 何か言わなければいけないという謎の使命感にかられ、何を言うか思いつく前に口を開いていた。


「うん」


 怖気づきそうになった小晴の背中を、拓也の声がそっと押す。


「正直…、昨日ほんとはちょっと、怖くなったんです」


 素直な気持ちがするりと口から出た。


「うん」


 拓也からは静かな相槌が返ってくる。


「でも、嫌いになったわけじゃ…、ないです」


 少し、声が震えた。


「……、そっか」


 一呼吸の沈黙。


「よかった」


 心からホッとしたような声だった。

 ドキっ…、と小晴の心臓が震えた。慌てて、視線をグラスへ落とす。不審に思われない様に、ストローに口をつけた。気まずい無言でもできるかと思ったが、ちょうど拓也も同じタイミングで一口カフェラテを飲んだ。小晴は、ストローを咥えながら、そっと拓也の様子を伺った。まるで、ついさっき緊張が和らいだみたいに見えるのは見間違いなのだろうか。

 拓也がテーブルにグラスを戻す時、トンッと小さな音が鳴った。


「ありがとう。嫌わないでくれて」


 拓也の視線が真っすぐ小晴を見た。ゆるりと上がった口角と真摯な眼差しに囚われた瞬間、息を飲んだ。自分の瞳孔が開くのを感じながら、唇を結ぶ。


(――ずるい人)


 小晴は、心の中でぽつりと呟いた。

 悠真もズルくて怖いけど、拓也もズルくて怖い。他人から受ける好意に慣れた人のズルさ。


(でも、私もズルい――)


 透明なグラスの中で、白と茶が入り混じり、その境界線をあいまいにしていた。



 *



 小晴の迷いも、拓也や悠真の焦燥を置き去りにしたまま、大学は本格的にテスト期間に突入した。






 チッチッチッチッ――。静寂だった部屋に、時計の針が時間を刻む音が聞こえた。


「はあ〜、集中切れたー…」


 小晴は、手にしていたシャーペンを机に置いた。おもむろに、伏せて置いていたスマホに手が伸びる。パッと明るくなった画面は、なんの知らせもない見慣れた待ち受け画面だった。


(来てるわけないじゃん)


 液晶の光を落として、スマホを机に伏せて戻す。別に気にしてるわけじゃない。


―――嘘だ。ずっと気にしてる。


 勉強に身が入らないくらい、ずっと頭の中に悠真がいる。一日の中でのラリーは減ったものの、拓也とは未だにやり取りが続いている。


しかし、悠真とLIMEを交換した日から今まで、くだらない内容のLIMEがほぼ毎日送られてきていたのに、この数日ぱったりと通知がこなくなった。あの日、悠真が電話をくれた着信履歴でトーク画面は止まっている。


 きっとテスト期間に入って、気を遣ってくれているから。悠真自身も課題とか試験勉強に追われて忙しいから。


(本当に?) 


 忙しくても少しくらい送ることも出来るはずだ。頭の中で、それらしい理由は思いつくのに、すぐに自分自身が否定してくる。


 仲直りって言っていたのに、もう飽きられた?

 もう好きじゃない?

 ズルい私は嫌い?

 振り向かせるって言ったくせに――。


(っ! ちがうちがう。それは違う)


 心の中でぼそっと呟いた自分を、小晴は慌てて否定する。まだ自分の気持ちも分かってないくせに、そんなことを思うのは間違っている。傲慢だ。


 でも、ちょっとくらい連絡くれたって――。


(そう思うなら、自分から連絡すればいいでしょ!)


 誰に向かって言っているのか、小晴は必死に反論した。

 そんなことしたら、私が悠真さんのことを好きみたいに思われちゃうじゃん。まだどっちが本当に好きなのか分からないのに――。


 小晴は、「はあ」と盛大なため息を吐いた。そして、机の上に広げたノートやプリント、論文の上に突っ伏す。


「私、なんでこんなに悠真さんのLIME気にしてるんだろ…」


 好きなのだろうか。

 悠真のことが。


(でも、…)


 拓也からのLIMEが途切れたら、同じように思うような気もする。


「…、わかんないよ」


 小晴は、伏せられ机のたスマホを睨むようにジッと見つめて、また溜息を吐き出したのだった。


――テスト勉強が捗るはずもない。



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