第31話 知らないままでいられた場所
2限目が終わって、いつものフリースペースに腰を落ち着かせていた小晴たちのところに一足遅く怜央がやってきて、やっといつも通りの4人が揃った。
「みんなおはよ。小晴、あのあと大丈夫だった?」
怜央の表情はいつも通りクールだが、かけてくれた言葉は優しい。どうやら彼も心配してくれていたみたいだ。
「怜央くん、おはよう。その節は大変ご心配おかけしました。助けてくれてありがとう」
小晴も挨拶を返しつつ、昨日のお礼を口にする。3人それぞれではあるものの、やっぱり昨日の出来事はかなり心配をかけたんだと改めて思わされる。
「いい、いい。そういうの。困ってたら助けるの当たり前でしょ」
小晴の返しに、怜央は面倒そうな顔をした。これは、たぶんちょっと照れてる。分かりづらいけど、怜央はそういう人だ。
「きゃ~、怜央がかっこいい!」
朱音も、怜央がただ照れ隠しをしているだけと分かっているからか、即座に茶化しにかかる。
「おい、朱音、茶化すなよ!」
きゅっと眉間に寄った皺。美形の不機嫌な顔は、結構迫力があるが、いつものことだからあまり気にならない。見事に二人は、今日も仲良く夫婦漫才を始める。昨日のことが嘘みたいに、いつも通りの小晴の日常だ。そんな時間があることが、いまの小晴にはとても大切で大事だった。
「あ、二人からちゃんと謝罪LIMEあったらしいよ」
「あ、ちょ、朱音ちゃん!」
夫婦漫才をしていた朱音が思い出したように、口を開く。小晴は、慌てて止めようとしたが、意味はなかった。
「いいのいいの、あいつらがまじで悪いんだから。むしろこはが寛大すぎるって」
「そんなことないよ。私が優柔不断だから」
本当に、私が寛大だからという話では一切ない。
「はい。それダメー! いい? 昨日に関しては、こはに落ち度はゼロ! あの場面は100あっちの過失。10:0で向こうに非がある。裁判したら圧勝よ」
けれど、朱音は言い切った。何でそんなに自信満々なのか、羨ましいほどの清々しさだ。
「いや~、流石に10:0はどうかな。過失割合としてはレアケースだよ」
しかし朱音の言い分に、横やりをいれたのは怜央だった。
「おい! そこリアル持ってくんな、リアル!」
キッと朱音が鋭く怜央を睨む。
「一応法学部なんで」
さら~っと朱音の視線を流した怜央は、涼しい顔で言った。
「真面目か!」
間髪入れぬツッコミが炸裂する。当の本人であるはずの小晴は、途中から二人の会話を外から眺めるだけの部外者になっていた。
「でも、はるちゃんが元気取り戻して良かったよ」
そんな二人を横目に、陽介がやんわりと、会話を戻した。ぽけーっと二人を見ていた小晴も、陽介に視線を向ける。目が合うと、にこっと陽介が笑う。少し空気が軽くなった。ホッと息を吐く。
「ちょっと陽くん。言っとくけど、昨日の私のLIMEエグかったんだからね。私、問い合わせ先だったっけって一瞬血迷ったから。流石に焦るからね、あれ」
「え、そうなの? え、ごめん…」
そんなことになっているなんてちっとも知らなかった。申し訳なくて、また反省することが増えて落ち込んだ。
「だからこは、謝るの禁止。あいつらが悪いの、あいつらが!」
「で、でもさ~」
朱音の敵は、どうも悠真と拓也らしい。自分が原因でそこまで朱音に言われてしまっている二人が不憫で、小晴の顔は引き続き困った顔をしている。
「あ、好きだからってかばってる」
朱音が胡乱気な気配を纏った。
「ち、違うよ!」
小晴は、慌てて否定した。
「ほんとかな~」
「ほんとだってば!」
疑わしいものを見る目つきに、小晴の瞳が左右に揺れる。
「へ~。でもさ、ちょっと気を付けたほうがいいよ。昨日のはまじでやりすぎなんだから。陽くんと小晴のことも噂になってるし」
小晴を不審がる雰囲気を一旦しまった朱音は、真面目な顔つきに変えて小晴をじっと見た。
「え!?」
今度は、純粋な驚きが小晴の口から発せられた。
(陽ちゃんと私が!? なんで?)
けれど、この場で驚いているのは、どうやら小晴だけのようだった。
「みんな噂するの好きだからな~」
陽介が仕方なさそうに笑う。
「ごめんね。朱音ちゃんにそんな面倒な役やらせちゃって」
小晴ではなく朱音に目を向けた陽介は、動揺することなくただ謝った。
「いいよ。わかってたし。それより、陽くんは? いいの?」
朱音も陽介の反応に驚いた様子はなく、確認するように聞き返す。
「うん、僕も予想はしてたから大丈夫。元々そういう勘違いされやすかったから」
呆れているような、若干うんざりしているようなトーンだった。
「そうなの!?」
驚いたのは、小晴だ。
「なんで、小晴は知らないんだよ。1年の頃からある話だぞ、これ」
怜央にジト目で見られたけど、知らないものは知らない。
「まあまあ。それでこそはるちゃんでしょ」
陽介が苦笑する。みんなの反応を見る限り、嘘ではないらしい。
(知らなかった…)
小晴は一人、愕然とした。自分が知らない世界が当たり前のように広がっていて、それを自分だけが知らなかった事実に、胸の奥がざわつく。
けれど、そうかと腑に落ちる部分もあった。陽介だって、サークル内で人気がないわけじゃない。悠真や拓也が異常なだけで、ここにいる怜央も陽介も密かにファンを抱えている。二人の噂に注目が集まるのは、特別変な話でもない。
(でも…、私と陽ちゃんが?)
まさか、そんな風に思われているなんて。
ちらりと、小晴は陽介を盗み見た。普段と変わらない横顔が、なぜか今は遠くに感じた。
「あのタイミングで動いたら、流石に勘違いさせちゃうというか、勘繰る人がいても不思議じゃないからさ。たっくんにも悠真くんにも、もしかしたら変な想像させちゃったかもだしね。まあ、落ち着くまでのちょっとした目眩しになればいいかな」
小晴は会話が続いていることに、少し遅れて気がついた。自分だけが、一つ前の情報で足を止めていた。
「はるちゃんは、面倒な嫉妬されるかな。動きづらくなったらごめんね」
陽介がこちらを向く気配がして見返すと、目が合った。すまなそうな顔をしている。
「やっぱ、陽くんって人間の皮をかぶった天使なんじゃない?」
朱音がびっくり人間でも見たような信じられないと言った様子で陽介を見た。
「えー、やめてよ。照れるじゃん。その天使ってやつ、あんまり気に入ってないし。友だち守りたいのは、みんなも一緒でしょ」
朱音と陽介の会話を他所に、小晴は陽介の言った言葉を考えていた。
(嫉妬…)
うーん、と小晴は一人内心で唸った。さっき会った悠真を思い出したが、そんな素振りは一切なかった気がする。別れ際に陽介の名前も出たが、いつも通りだったはずだ。やっぱり、みんなの勘違いなんじゃないかと思えたが、朱音が嘘をつくはずもないから本当のことなんだろう。信じられないが、そういう事実もあるのだと受け止めた。
「陽がいいならいいんじゃん? 朱音もヘイト買ってでも、あれは止めたかったわけでしょ」
今まで黙って聞いていた怜央が口を開いた。小晴も考えるのをやめて怜央を見る。それから朱音を見た。
「…、まあそうだけど。こはの前で言わなくていいじゃん」
ちょっとだけ朱音の顔が曇った。口を尖らせて、不服そうにしている。
「小晴だって、隠されて後から知るほうが嫌だろ」
玲央に悪びれる様子はなかった。
「うん。ほんとに、ごめん。ありがとう…。みんながいてくれて良かった」
みんなの視線を受け取った小晴は、眉を下げて控えめに笑った。




