第29話 静かに燃える、噂
―なんか今日、悠真さんテンション低かったよね。前期ラスト飲みだったからもっと絡めると思ってたのに最悪。
―拓也さんもさ、来るの遅くてまじ激萎えした。
―でも二次会は来てくれたじゃん。ウチなんか超悠真さんの歌楽しみにしてたのに、二次会にすら顔出さなかったんだよ!?
―…来たけどさあ。なんか連れてこられた感すごかったし、全然こっち来てくれなくて、ほとんど喋れてないから。だからほぼ来てないのと一緒でしょ。いつも拓也さんのこと三女が囲んでるから、全体飲みがチャンスだと思ってたのにさあ! 今日は拓也さんメンズのところからほぼ動かないし、絡みづらいオーラ出すし、まじ行って損した〜。
―それは、ご愁傷様。テスト明けとかに、またサークル飲みないかな。
―ないでしょ。さすがに。
―ええ~、ショックすぎ。何を目指して頑張ったらいいの、テスト。
―夏休み中の合宿でしょ。そこは。そこで頑張るしかなくない?
―先輩たちの目が怖いけど、まあウチらの方が若いし? 可能性あるよね。
―あるある。てか、サークルの時のあれ、やばくない?
―わかる。あれでしょ? 同時に名前呼ばれるとか、小晴ちゃん役得すぎない?
―ね。体調悪くて帰っちゃったみたいだけど。もし選んでたらどっち選んだんだろ。
―私だったら絶対悠真さん。
―あんたはそうだよね。うちは拓也さん一択。
―でもさあ、朱音のあれ。正直やばくない? 棚ぼたすぎてさ。
―わかる。まじで、陽くんと怜央くんと仲いいからだよね。あの場にいた女子、全員一回は朱音に「お前」って思ったよ。
―ほんとそれ。朱音は一旦場所代わってほしいまである。
―うわ~。絶対、あんた悠真さん狙いに行くじゃん。
―え~、どうかな~。
誰にも知られず静かに上がった火種は、次第に大きくその存在を見せ始める。
*
時計の針は、すでに天辺を超えた深夜0時過ぎを指し示していた。陽介の呼び出しから、一次会にだけ少し顔を出してフェードアウトした悠真は、やっと返ってきた小晴からの返信を見て珍しく沈んでいた。
〈私の方こそ空気悪くしちゃってごめんなさい〉
〈おやすみなさい〉
何度見ても変わらない文面は、己の未熟さを真っ向から突き刺し、痛感させてくる。
「…なんで、怒んねえんだよ」
スマホをベッドに投げ捨て息を詰めた。
(怒っていいだろ。怒れよ)
そう思っても、きっと小晴は自分が悪いからとでも思っているのだろう。容易に彼女の考えていることが想像できて、悠真の口から出ていくのは溜息ばかりだ。
(ほんと、お前の言う通りだよ)
陽介の言葉を思い出して、悠真はうんざりと目を閉じて頭を掻いた。
あいつに指摘されるまで、あの当時を思い出すことなんて一度たりともなかった。過去を気にしていたつもりは毛頭なかったし、小晴と性悪女を比較していた自覚もない。だけど、そんな自分がいたのかもしれないと疑ってしまったのは、小晴を初めて見た時、確かに一瞬誰かと見間違えたことを覚えていたからだ。
「調子狂うわ~…まじで」
目を開くと自室の見慣れた天井が見える。なんにもない、ただの天井。また溜息が勝手に出ていった。過去のどんなやつより誠実で不器用で、優しくて、自分に厳しい。
――そんな奴だよな、お前ってさ。
だから、こんなに惹かれてしまうのだろうか。恋焦がれてしまうのだろうか。
わからない。
ただ、気付いたら堕ちてただけだ。拓也にも陽介にも、他の誰にも渡したくないだけ。椿小晴という女の子の特別がほしいだけ。拓也に揺れてるところも、陽介を一番近くに置いているところも、見たくないだけ。そんな自分勝手でわがままな理由。
でもやめられない。
「つーか、恋愛なんて自分勝手だから良いんだろ」
自分勝手で我儘で――。
でも選んでくれたら絶対に幸せにする自信も、できる自信もある。これは本当。だけど、小晴はそうじゃない。自分勝手に選ばない。選べない。
「ほんと馬鹿な奴」
だから落とす。絶対落とす。でも、泣かせたりなんかしない。そういうのは、もうやめた。
「――今度こそ、逃がさねえ」
悠真は誰に言うでもなく、ぼそっと呟いた。
*
ところ変わって、拓也はというと――。
二次会のカラオケに付き合わされたあげく、好きな女の子からの最悪なLIMEを受け取り悠真同様、ひとり落ち込んでいた。
〈私の方こそ、気を遣わせちゃってすみません〉
〈拓也さんもゆっくり休んでください〉
LIMEの画面に並んだ文字を見て肩を落とす。
「謝られたら、何にもできないじゃん。こんなことで謝んなよ」
謝るべきは自分で、小晴が謝ることなんてひとつもない。小晴が戸惑って当たり前のことをこちらがしているんだから、ここで彼女が謝ったらダメだろう。
なんて、言いたいが彼女の性格上、そんな線引きをするはずがないのもなんとなく分かってはいた。だから全部、自分の戦略ミスだ。完全に見誤っていた。小晴の優しさも、不器用さも、誠実さも、全部。陽介のほうが、小晴を理解してた。それがなにより悔しい。
俺は、無意識に小晴と過去のどうでもいいクラスメイトを比べていたのだろうか。そんなことはないと否定したかったが、当時を知る陽介や玲央が言うのだから無意識に比べていたんだろう。そう思えるのは、小晴を初めて見つけた瞬間のことをなぜか鮮明に覚えているからだ。
「馬鹿だろ、俺」
ベッドに背中から落ちて天井を見上げた。あいつら全員の中で、小晴のことを自分が一番分かってるって思っていた。友だちの顔して隣に立ってる陽介に負けてるとか、最悪すぎる。
男としてどうなんだよ、それ。
自分を叱咤すると、また自動的に溜息が出る。こんなに思い悩んだ恋愛って今まであったっけ。
(ねえよ。そんなの)
全部はじめてで、戸惑っている自分に戸惑っている。
だけど、絶対負けない。
悠真でも、陽介でもなく、俺だって分からせる。
小晴の隣に立っていいのは俺だって、振り向かせるから。
(次はミスらない)
二度と、こんなしょうもないことで謝らせるかよ。
「くそが」
気分は最悪のまま、夜が更けていく。
*
「おはっよ~」
夏の日差しが強い午前、朱音の明るい声が小晴の元へ爽やかに響いた。小晴も明るく挨拶を返す。
「昨日ちゃんと寝れた?」
隣の席に腰を下ろした朱音は、ややトーンを落とした声で尋ねた。心配そうな顔に、小晴の眉がほんの少しだけ下がる。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
昨日の帰り道、ほとんど何も聞かずにいてくれた朱音は、きっとずっと心穏やかではなかったのだろう。たくさん心配をかけてしまったことが申し訳なくて、胸がチクリと痛んだ。
(心配ばっかりかけちゃってるな…)
伏せた瞳に影が落ちる。
「こは、その大丈夫ってやめなよ。逆に心配になるんだけど」
弾かれるように目線が上がる。視界に朱音の顔が飛び込んだ。朱音は、ややむっとした不満げな顔をしていた。小晴はちょっとだけ驚いて、すぐに表情を緩ませた。朱音がわざわざ見せてくれる素直な感情は、小晴の中のほんの微量な陰りを、じんわりと溶かしていく。
「ごめん、でもほんとだよ。ちゃんと寝たし」
朱音のこういうところに、いつも救われている。彼女の気遣いは、大胆なのに繊細で、バランス感覚の素晴らしさが詰め込まれている。小晴にはない才能だ。羨ましいを通り越して、少し嫉妬に近い感情さえ芽生える。
「なら、いいけど」
まだどこか小晴が無理をしているのではないかと疑うような様子を見せながらも、朱音はそれ以上踏み込もうとせず、代わりにぽつりと尋ねた。
「二人から…、なんか連絡あった?」
「…、うん。まあ。ごめんって」
小晴は胸の前で両手をきゅっと握った。昨日の夜、悠真からも拓也からも謝罪のLIMEが届いていた。けれどそれは、二人に謝らせてしまうような態度を取ってしまった自分への罪悪感を呼び起こすだけだった。
「そっか…」
朱音はそれだけ呟いた。何も言わずにいてくれる優しさに、小晴はどこかホッとする。
「なんか、わかんないね。恋って」
小晴は泣きそうな困ったような顔で笑った。二人から謝られたかったわけじゃなかった。でもあの時、逃げ出したくなったのは本当で、陽介の言葉で涙が溢れてしまったのも本当だった。
どこを見て良いと思ってくれたのかは分からないけど、二人から好かれていることは、嬉しかった。嫌われたくないと思ってしまった。
だけど、怖い。正直、困ってしまうし、逃げ出したくなる。ずっとこのままがいい――なんて、願ってしまう。
きっと好かれている居心地の良さを知ってしまったから。あとは、自分が人を傷つける立場に立っている自覚を、しないといけないから。
「うん、ほんとね」
朱音も、少しだけ困った顔をして笑った。
今までずっと、恋愛ってキラキラしているものだと思っていた。でもきっと、本当は綺麗なだけじゃいられないものなのかもしれない。小晴にとって昨日は、いろんなことに気付くきっかけの日だった。




