第24話 罪のないフリは、もうできない
突如乱入した声は、あまりにも唐突で、あまりにも心臓に悪かった。悠真の姿を確認した小晴は目を白黒させ、呼吸を詰まらせた。
なぜここに彼がいるのか、小晴には全く理由が分からない。
「なんでお前がここにいんだよ」
急に現れて小晴との時間を邪魔した悠真に、拓也は珍しく怒りを露わにしていた。
「遊び行くんじゃなかったっけ?」
そう言って振り返る拓也の声は、不機嫌そのものだ。
「あ? あんな電話の切り方されたら、フツーに無理だろ。つか俺とのGPS共有忘れましたー?」
ニコニコと笑いながら、悠真は拓也に見せつけるように自身のスマホを振った。
悠真と拓也とその他数名で、それぞれの現在位置を把握できる設定にしていたことを思い出し、あからさまに拓也が舌打ちをする。拓也の機嫌などどうでもいいのか、悠真は気にした素振りも見せず、一瞬だけ貼り付けた笑みを消した。
教室の扉から離れ、ズカズカと中に入ってきた悠真が小晴の前に立った。目線を合わせるように膝を折って、長机越しに小晴の目をじっと見つめた。何を言われるのか、小晴の内心はビクビクと小動物のように怯えている。
「ねえ。小晴」
さっきとは打って変わって優しい声音だったが、それが何より恐ろしく感じた。
「正直に言えよ。俺のこと“遊び”だった?」
小晴の予感を的中させるように、悠真の放つ温度がすぐに切り替わる。それが、彼の怒りが奥底に溜め込まれていることを悠々と語っていた。
小晴は、ビクッと体を震わせた。何か言わないと。遊びではない。そんなつもりはない。でも、言い訳だと言われてしまえばきっと何も言えない自分も想像できた。遊びと捉えられても仕方ない行動を取っている自覚は、小晴の中にずっとあったから。
それを指摘されるのが怖くて、被害者面した自分を露わにされたくなかった。はやく答えを出さないといけないのに、ずっと曖昧で、ずっと優柔不断で、気持ちが揺れてばかりで。自分だけが可愛くて自分だけを守りたい弱くてズルい自分を小晴は最初から痛いほど分かっていたから。
「遊びなら、悠真が一番慣れてんじゃん」
小晴が何も言えずにいたところ、沈黙を破るように拓也が先に口を開く。
「今は、小晴と話してんの。たっくんは入ってこないでくれない?」
わざと呼んだとわかる拓也の愛称、悠真らしい笑みが復活した口元。しかし拓也を見る瞳だけは、ブリザードが吹雪いているように冷たい色を内包している。
「小晴は、俺が連れ出してきたから、俺が連れて戻る」
「へえ? 宣戦布告ってやつ?」
「もうとっくに始まってると思ってたけど?」
拓也の言葉に、悠真は一瞬だけ口を噤んだ。そして今度こそ、ぞわりと総毛立ちそうな笑みを浮かべる。
「いいね。面白くなってきたじゃん」
悠真は、最後に小晴を見て、ぐいっと距離詰めた。
「拓也じゃなくて、俺のこと見てろよ」
いつもより数トーン低い声が、耳元にそっと落ちた。硬直した小晴を一瞥して、悠真は「じゃあな」と去って行く。小晴は、ただその背中が見えなくなるのをただ見つめ続けることしかできない。
悠真が去った後も、しばらくの間呆然と、小晴は廊下の奥を見つめた。まるで心臓を鷲掴みされたように脳みそも身体も硬直してしまって、小晴は手足の先が氷のように冷たくなっていることにも気が付けなかった。
世界から遠ざかるような、一人取り残されてしまう感覚。
―もう、罪のないフリなんて、出来るはずがなかった。
*
どうやって帰ってきたのか、あまり覚えていない。一日の中で色んな事がありすぎて、頭がパンクしている。
何も考えたくない。
でも、考えないと。
逃げ出したい。
逃げるなんて卑怯、逃げちゃダメ。
相反する感情が何度も何度も浮き上がっては消えて浮き上がる。ボフっと、小晴は自分のベッドに身を投げた。柔らかなシーツと枕が小晴の全身を受け止めてくれる。
「わかんないよ…」
口から漏れたのは本音であり、弱音でもある言葉だった。気持ちを弄んだわけじゃない。好きって気持ちを知らないふりし続けたのは、わざとじゃない。ただ自信がなくて、傷つくのが嫌で、好きってなにかを知りたかった。ただそれだけだった。
でも、その曖昧さが、悠真と拓也を傷つけている。朱音や怜央、陽介にまで迷惑をかけている。小晴は、枕に頬を埋めながら、スマホの画面を覗いた。今日は、いつも来ている拓也からのLIMEは来ていない。少しだけホッとして、少しだけがっかりした。
ああ、本当。私のそういうところ、昔からだ。嫌なところ。私が嫌いな私の、優柔不断で、曖昧で、でも人に愛されたくて、信じられなくて拒絶する。そういうところ。余計に落ち込んで、スマホを見るのもやめようと画面を伏せようとした。
ポンっ、と届いた一件のLIMEの通知。ビックリして、待ち受け画面でしばし固まった。それから、恐る恐るLIMEを開く。期待と不安が入り混じって、寝る間際なのに頭が冴えていく感覚があった。
「え」
拓也じゃなかった。LIMEのトーク画面に、悠真の文字。
〈いま、なにしてんの〉
それだけのシンプルなメッセージ。少しの間、メッセージを開くかどうか悩んで、結局小晴は通知を開いた。
悠真とのチャット画面。今送られてきたメッセージの上は、不在着信の履歴で止まっている。
〈寝ようかなって思ってました〉
小晴がメッセージを送ると、すぐに既読の文字が表示される。
〈寝れそう?〉
〈わかんないです〉
昼間のことが嘘みたいに、ポンポンとリズムよく交わされるLIMEのやり取り。
〈電話していい?〉
悠真から届いた文字に、小晴は画面を見て固まった。まるで、最初のやり取りは様子見だったかのような、爆弾投下だった。既読を付けてから、1分から2分ほど経って、やっと断ろうと文字を打ち始めたところで、悠真からの着信がかかってくる。
「え、え、わ、うそ」
拒否ボタンを押そうとした手がすべって、応答を間違えて押す。押し間違えた画面は、通話中の表示に切り替わって、秒数を刻み始める。真ん中の点線が、ぐにゃりと上下に揺れた。
(あ…、やば)
小晴は慌てて、スマホを耳にあてる。
「もしもし…?」
『出ないかと思った』
間違えてボタンを押したなんて、とてもじゃないが言えない。
『あ、その感じ、ボタンでも間違えた?』
「そ、そんなわけ」
バレていることに、小晴は慌てた。
『そっか。ならいいけど』
微かに笑う声が、スマホを介して鼓膜を揺らす。遠いのに、近くて、胸がドギマギしてしまう。
『遅くにごめんな。なんか小晴の声、聞きたくなって』
ズルい。甘い言葉と甘い声に、胸がキュンと切なくなる。
『昼間は、悪かった。怖かったろ』
なんて返事をしたらいいか分からず黙り込む。
『ほんと、小晴ってわっかりやすいよな』
クツクツと喉で笑う声がした。
『小晴のことになると、余裕なくなるんだよな。なんでだろーな』
だから言い方がいちいちズルい。
『なあ、なんでだと思う?』
なんて答えるのが正解なのか。そもそもなんで答えをこちらに聞いてくるのか。ただ、もう知らないふりなんかできないことは明白だった。けれど、答えられる答えが小晴の中にはまだない。
「私に聞くの…、ズルいです」
分からないとも、知らないとも、もう言えなかった。でも、答えを明確にするのはもっと怖かった。答え合わせなんかいらない。小晴が悠真の問いに答えると、電話の向こうで息を呑む音がした。
『じゃあ、今の小晴はどっちが好きなの?』
「え?」
主旨の変わった質問にたじろぐ。
『俺と拓也で揺れてんだろ。知ってるよ。小晴のことはなんでもわかるって言ったろ?』
「ちがっ」
突然核心を突かれ、小晴は反射的に否定の言葉を口にしていた。
『じゃあ、俺のことどう思ってる?』
静かな問いかけに、ぴたりと動きが止まる。波紋のように静かに、小晴のなかに動揺が広がっていく。
「…、わかんないです。いまは、…まだ」
一瞬の沈黙。
『まじでやばいわ。お前』
甘かった声が、少し低くなる。
『小晴って、どうしてそんな言い方すんの? そっちの方がずるすぎねえ?』
悠真の静かな怒りが、ヒシヒシと伝わってくる。
『俺がどんな風に小晴のこと見てるか、分かってて言ってる?』
どう?
どう見てるか。
「そんなの、わかるわけ」
わかるわけない。これは、小晴の本心だった。
『……、だよな』
束の間の静寂のあと、悠真の納得したような声が落ちる。
『俺が悪いわ。全部』
まるで、なにかの覚悟ができたみたいな、すべてが腹に落ちたかのような言い方だった。小晴は嫌な予感がした。
『お前の気持ちが知りたくて突っ走りすぎた』
今、悠真は何を言おうとしているのだろうか。聞きたくない。聞いたら、また気持ちがぐちゃぐちゃにされてしまう。
『俺は、お前のことさ』
そこで、小晴は聞いていられなくなって、衝動的に通話を切っていた。ブツっと、何かが途切れた音。
(え、…あ。やば)
手元にあるスマホの画面が悠真とのトーク画面を映している。自分の思わぬ行動に、小晴は自分が一番驚いて、目を見開いた。しかし、再びかかってきた電話に小晴は出られなかった。
スマホを枕の下に隠して、震えるそれを無視して、小晴はぎゅっと瞳をつむった。
ブチっと途切れた音。
「は?」
言葉の途中で、突然拒絶された。間違ったのかと再度かけたが、繋がらない。
「……まじか。切るか、フツー。この俺が好きだって言いかけたところで」
はあ、と盛大な溜息を吐いて、しゃがみこむ。両ひざに乗った腕と、項垂れた頭。悠真の頬を髪の毛がさらりと落ちて横顔を覆った。
「やっべえ女。ほんとおもしれえ」
しばし地面と睨めっこをしていた悠真は天井を仰いだ。ハッと乾いた笑いが飛び出る。それから悠真は、「よし」と立ち上がった。
「落とす。まじで」
瞳の色がぎらりと光る。
「容赦しねえ、覚悟しとけよ」
ここにいない小晴に宣言した悠真の瞳は、爛々と輝いていた。




