第22話 狩猟者に追い詰められて
一人残された小晴は、重たい溜息を吐いた。
「やっぱ、私が変なのかなぁ…」
机に突っ伏して、ぽつりと呟く。そこにブブっとスマホが揺れた。スマホの画面を見るとLIMEの通知だった。開いて確認すると、送り主はさっきまで話題になっていた悠真だ。
〈昨日さ、夢に小晴出てきたんだけど〉
〈超かわいかった〉
内容は、いつもの軽口だった。悠真は、いつもこうやって、くだらない事を揶揄い口調で送ってくる。本気じゃないと分かっていても、顔は赤くなるから厄介だ。
〈またそういうこと言って〉
液晶の上に指を滑らせて、小晴は悠真にLIMEを返した。でも、今までの全部が軽口でも、冗談でも、揶揄いでもないとしたら…?
さっきまでしていた朱音たちとの会話を思い出して、小晴は悠真とのLIME画面をじっと見てしまう。
〈はい、照れてる〉
〈絶対今顔真っ赤じゃん〉
すぐに既読が付いて、返ってきたメッセージ。脳内で悠真の声で完璧に再生されたそれは、小晴の危険アラームを作動させる。仄かに赤かった頬が、さらに色濃く染まった。
〈真っ赤じゃないです!〉
頬の赤みは、別に悠真のせいじゃないと内心で言い聞かせながら、小晴は悠真の揶揄いを否定した。
〈やば。ムキになってんのかわいすぎ〉
〈ムリだわ〉
〈小晴ぎゅってしてえ〉
シュポッ、シュポッ、シュポッと間髪入れずに続いた音。トーク画面を開いたままにしてしまったことを小晴は大いに後悔した。
〈あ、ガチ照れですか?笑〉
悠真とのトーク画面を開いたまま返信できずに固まっていると、また追い討ちのLIMEが届く。
〈違います! 悠真さんのばか!〉
これ以上間を開けたら悠真のペースにただ飲み込まれるだけだ。瞬時に働いた防衛反応で、小晴は反射的にそう返した。即返してしまった自分に自分で驚く。
〈は〉
〈かわいい〉
短い言葉で送られてきた言葉を目にした途端、また顔がカッと熱くなる。
〈つか、いまからダーツ行くんだけど、小晴も来る?〉
その後に、違う会話が届く。
たぶんだけど、悠真さんのズルいところはこういうところだ。会話の緩急に翻弄されっぱなしだ。
〈楽しそうですね〉
〈私まだ学校なので、行かないです〉
今度は、小晴も身構えることなく返信できた。同時に、こういう雑談だけだったらどんなに気が楽だろうと思う。
〈ざんねん〉
〈どうせ、また怜央たちといんだろ〉
本当に残念だと思っているのかどうか怪しいLIMEが届く。しかし、疑うよりも当たり前のように今の小晴の状況を言い当てられたことに驚き、悠真の吐露はスルーする形になった。
なんで分かったのかと聞くと、〈だと思った〉というメッセージが返された。その後に、〈小晴のことなら、俺なんでもわかるから〉なんてなんとも甘い言葉を送られてくる。
〈そういうの良くないです〉
ほんとに悠真のこういうズルさが良くない。
〈なにが良くないの〉
考える隙を与えないようにしてるのかと思うほど、LIMEがテンポよくスピーディーに小晴のスマホに届く。
〈き、機密事項で…〉
苦し紛れに小晴は、そう送った。悠真がずるいからだ、なんて言いたくなかった。言ってしまったら、すべてが相手のペースになって、小晴は飲み込まれて終わってしまうような気がするのだ。
〈俺らの間にそんなんないから〉
〈で、なにが良くないって〉
ど、どうしよう。
意地悪な質問に、これ以上逃れる手段を小晴は持ち合わせていない。
〈????〉
既読になってから1分は優に超えているのに書けた答えがこれだった。もはや知らず知らずのうちに小晴は、悠真のペースに飲み込まれている。だが、まだ小晴自身はそれに気がついていない。
〈かわいすぎて引いた〉
あっちも画面を開いた状態にしているのか、既読が一瞬で付く。まさか自分が無意識に相手の狩猟本能を刺激している自覚は、小晴にはまるでなかった。
〈で、俺のことちょっと好き?〉
好き、という文字に心臓がドキンと跳ねる。
〈…知りません〉
自分の中で最初に出てきた言葉を、深く考えずに送る。いまの小晴は、LIMEでメッセージのやり取りをしているというより、目の前に悠真が立っているような感覚だった。
〈それって、好かれてるってことで合ってる?〉
〈小晴のこと好きになってもいい?〉
なんだか、良くない方向に進み出したLIME。気がつけば後ろは断崖絶壁の崖で、あと数メートル進めば転落してしまうような、そんな予感をさせた。
〈だめです〉
動悸がする。手が震えてきた。呼吸をするのが難しい。
〈なんで〉
〈小晴は俺のこと好きになっていいんだよ〉
昨日の会話が脳内を駆け巡る。
〈そういうのズルです〉
自分は好きかどうか言わないで、小晴に好きって言わせようとしてくる。そんなのズルだ。まだ、悠真のことが好きかどうかわかってないのに。
〈じゃあ、ずるい俺に付き合ってみるのはどう〉
表示されたメッセージに動揺して身体が跳ねた。持っていたスマホを落としかける。
(つ、付き合う?)
悠真によって落とされた爆弾が、小晴の心を混乱に陥れる。付き合うって言葉は、どういう意味を持っていただろうか。文字の意味が直接頭に届かないくらい、小晴は狼狽えた。
(付き合うってことは、つまり男女の交際? 彼氏彼女っていう、意味での「付き合う」?)
思いもよらない言葉に、動揺が隠せない。小晴はまだ悠真に「好き」なんて言ってはいない。悠真からも「好き」って言われたことはない。なのに、付き合う…!?
返信できないまま、1分、2分と時間が経つ。小晴の恋愛観とは、かなり大きく外れる価値観だったせいで脳内処理が遅れてバグが発生している状態だった。
そんな時に、「ただいま〜」とコンビニに行っていた3人が戻ってきた。最悪のタイミングだ。いや、これは不幸中の幸い的なタイミングだったのかもしれない。
「小晴? なにスマホ見て固まってんの?」
最初に違和感を覚えたのは、玲央だった。
「さっきそこでたっくんに会って、こっちくるって…。はるちゃん?」
陽介がワンテンポ遅れて、小晴の名前を呼んだ。
「なんかあった?」
朱音の心配そうな顔と声。
「あ、や、あの…な、なんでもないの。ちょっと返しちゃうから、ちょっと待って」
小晴は慌てて、LIMEの画面を見返した。と言ってはみたものの、これどう返信したらいいのだろうか。なにが正解の逃げ道なのか、小晴は悩んだ。
〈そんな急に言われてもわかんないです〉
〈ちょっとだけ、時間ほしいです〉
たくさん考えた結果、送れたのはこんな文章だった。ふう、と息を吐く。小晴がLIMEの画面を閉じるよりもひと足先に、悠真からメッセージが届いた。
〈ちょっと、って何日?〉
既読。
(え、わ、うそ。
もうLIME続けたくなかったのに)
「はるちゃん?」
きっと小晴は今にも泣きそうな顔をしていたんだろう。陽介が声をかけたタイミングで、ブブッーと電話がかかってきた。スマホの画面に「悠真」の名前―――。
「ど、どうしよう」
小晴は途方に暮れて、震えるスマホを手に3人の顔を見回す。
「え? 待って悠真さん!? 私らいない間になにあったの?」
画面の文字を見た朱音の目が丸くなる。
「ゆ、悠真さんが俺と付き合う? って」
もう半分くらいは泣いてる小晴の声。
「は? まじ?」
「一大事じゃん」
玲央も陽介も、ショックを受けた顔をする。
「とりあえず、その電話出な。出ない方があとで怖いって」
朱音に後押しされて、小晴は恐る恐る通話ボタンを押した。
「……も、もしもし?」
『既読はやかったのに電話出んの遅すぎだって。スマホ見て固まってたんでしょ?』
いつも通り、軽快な雰囲気の声がスマホを通して聞こえた。低くて柔らかい悠真の声だ。
『で、どれくらい待てば小晴の気持ち聞けるの? 俺』
返信できなかった答えを聞かれる。
答えられない。わからない。でも心は、いま悠真に掴まれている。
なんて言うのが正解?
私、きっと悠真さんのこと嫌いじゃない。でも、好きなの? それが好きなの? わからない。
『なあ、教えて?』
甘ったるくて、ちょっと怖くて、ずるい声。
『付き合ったらさ、絶対俺のこと好きになるよ』
自信に満ち溢れた言葉を信じてみたくなってしまう自分がいる。
『てか、半分もうなってるでしょ?』
微かに含んだ笑い声が、小晴の心をかき乱す。まるで、小晴の気持ちなど全てお見通しだと言われてるようで、恐ろしくなった。
「わ、私は」
喉の奥から絞り出した声は震えていた。
「小晴ちゃん、誰と電話してんの?」
後ろから誰かの体温を感じた。スマホを持っている手に、大きな手が重なる。耳元に落ちたのは、低くて穏やかで、思わず頼りたくなるような声だった。
「一旦、切ろっか」
振り払おうと思えばできた。でもそうしなかった。
拓也の手は確かな強さがありながら、優しく小晴を包んでくれていて、拒否を許さない雰囲気を纏っていた。耳元からスマホを離されて、拓也に悠真との通話を切られる。悠真への後ろめたさと答えを出さずに済んだ安堵感。怖さと安心の二つがぐちゃぐちゃに混ぜた絵の具のように入り混じる。どちらが自分の中で大きかったのか、よくわからなかった。
「あ…、」
ホッとしたのも束の間、小晴はすぐに今の状況を思い出した。
「え、…あ、あの、その…」
拓也に後ろから抱きしめられているような形になってしまっていることを自覚した小晴は、顔を真っ赤に染める。
「んー?」
小晴の焦りを無視しているのか、そもそも分かっていないのか、のんびりとしたマイペースな声が聞こえた。ふわっと鼻をかすめるような爽やかな香りが、より拓也との距離の近さを物語っていて眩暈を覚える。
「きょ、距離がっ…、えっと…その、ち、近いです」
「ああ、ごめんごめん」
精一杯の勇気で小晴が言葉を絞りだすと、拓也が軽い謝罪と一緒に離れてくれる。今度こそ、心からホッと息が吐けた。
「ん? てかこれなに?」
小晴から距離をとった拓也が、テーブルに置いてあるルーズリーフを目に留める。
「「「あ」」」
今まで空気に徹していた陽介、怜央、朱音が短い言葉を発した。
「たっくんそれは見ない方が~…、ああ…」
陽介の言葉は途中で消えた。彼の顔は完全にまずった顔をしている。拓也は、陽介の表情も全て視界にいれつつ、手にとったルーズリーフに視線を落とす。
「へ〜」
無機質な第一声に、背筋がぞくりと震えた。拓也の目からほんの少し、温度が消える。
「あー、なるほど? だから」
一人でなにかに納得している様子の拓也は、今自分がここにいる全員をビビらせている自覚を持ってやっているのだろうか。あったら恐ろしすぎて直視したくない。
「た、拓也さん?」
小晴は恐る恐る拓也に声を掛けた。ルーズリーフをテーブルに戻した拓也は、小晴の方を振り返る。
「うん。ちょっと話せる?」
小晴に主導権があるように見えて、強制力のある聞き方だった。一瞬だけ、陽介たちを見てしまう。
「ちょっと借りる」
「「「はーい」」」
小晴が返事をする前に拓也に手首を掴まれる。反射みたいな返事をした三人に見送られる形で、小晴はその場から拓也に連れ出された。




