第20話 火種は、もう転がっている
「陽ちゃん」
小晴は隣の席で講義を受けるための準備をしている陽介に声をかけた。今は、仲良しメンバーは陽介と小晴の二人だけだ。学籍番号で少人数に分けられた学科の講義受講のため、朱音は別グループで違う教室にいる。
「ん? なに?」
鞄から筆記用具などを出していた手を止めて、陽介は小晴を見た。
「変なこと、聞いてもいい?」
「えー。その入りなんか不穏でヤダ」
「不穏じゃないってば!」
陽介の眉が少し下がり、小晴は慌てて否定する。
「うん。じゃあなに?」
聞きたくなさそうな顔を引っ込めた陽介が、改めて聞き直してくれる。
「あの、男の人がさ」
「うん?」
不穏じゃないと否定した割に、小晴の質問は、冒頭からすでに不穏な気配を漂わせる。陽介は、若干その気配を察知して、訝し気な表情を浮かべた。しかし、小晴は自分のことで精一杯で陽介の表情まで気が回らない
「お男の人が、カラオケで、その恋愛ソング歌う意味って…、その。な、なんで?」
小晴は恥ずかしさをどうにか飲み込んで、勢いに任せて聞いた。
「………、一応聞くけど。まさか悠真くんとカラオケ行ったの?」
昨日の今日でその質問は、誰を指したものか誰にだってわかっただろう。
「あ、や…、あの。えっと…………、はい…その、成り行きで」
最初はどうにか誤魔化そうとしてみた小晴だったが、陽介のジト目に耐えきれずに、目を泳がせたあとに降参とばかりに白状した。
「…、朱音ちゃんと怜央集合させます」
一呼吸置いたあと、陽介は小晴の質問には答えず、いつメンを集合させることを宣言する。
「え、わ、ちょ。陽ちゃんそれだめ。ダメな奴~~」
焦ったのは小晴だ。だって、朱音にも怜央にも相談できないから陽介を選んだのだ。これでは元も子もない。
「ダメなことって分かってる時点でアウトね。拒否権ナシです」
しかし今日の陽介は容赦がなかった。ぴしゃりと小晴の要求を拒否した言葉に、小晴はあっさり撃沈した。
*
講義が終わった。
「ごめん、先に出といてくれる?」
どうも陽介は教授に用事があるらしい。慌ただしく席を立つ。
「うん。わかった。外で待ってるね」
「ありがとう」
小晴は二つ返事で頷いて、自分の荷物をバックに詰めて席を立った。教室を出て、廊下の壁にもたれかかる。時間潰しに、小晴はポケットからスマホを取り出していじっていた。
「あれ? 小晴ちゃん?」
名前を呼ばれ、スマホの画面を見ていた小晴は顔を上げた。
「あ、拓也さん」
お手洗いがある方から歩いてきた拓也と目が合う。
「おはよ」
「おはようございます。こっちにいるの珍しいですね」
「うん。講義の教室、朝変更されててさ」
普段通りのやりとり。
「そうだったんですね。大変でしたね」
「うん」
小晴が笑うと、拓也も笑う。でも、ちょっとだけ目が笑っていないような気もしなくもない。
(どうしたんだろう)
少しの違和感が、小晴に不安という波紋を起こす。
「昨日のさ」
何を言い出すのかわからず首を傾げた。
「悠真とのデート楽しかった?」
一瞬、小晴の動きが固まった。それからすぐ、なぜ私は後ろめたい気持ちになったのだろうと疑問が浮かんだ。悠真と出かけたことは、昨日のLIMEのやりとりで拓也は知っている。その時は気にしてる素振りもなくて問題ないと思っていたのに、改めて話題にされたからだろうか。頷くのもなんだか憚られて、目が泳ぐ。
今私は、絶対に気まずい顔をしている。
「あー、えっと。はい。映画、面白かったです」
ちょっとだけ拓也の質問から答えをずらして、やっと返事ができた。正確には、悠真との時間が楽しかったが正解だが、そんなこと口が裂けても言えない。
「そっか。良かったね」
普通、なのに。
小晴の中で引っかかる言い方だった。妙によそよそしくて、小晴の心をざらつかせる。なぜか、悠真に対する気持ちにやましさを、拓也の言葉に罪悪感を覚えた。
「お待たせーって、あれたっくん? なんでここにいんの?」
小晴が言葉に詰まってしまったまさにその時、用事を終えた陽介が教室から出てくる。それだけで、ふっと場の空気が緩んだ気がした。
「お、陽じゃん。俺も授業」
拓也の視線が、自然と陽介に向けられた。視線が外れたことで、小晴はちょっとだけホッとしてしまう。息が詰まっていたんだと、その時気が付いた。
「そうなんだ。…、はるちゃん?」
陽介が教室内にいたときと様子が違う小晴の異変に気がつく。
「おーい、拓也いくぞー?」
その時、遠くから拓也の友人が名前を呼ぶ声がした。
「俺、もう行くわ。2人ともこのあとも頑張って」
「あ、うん。たっくんも頑張ってね」
「さんきゅ」
拓也は異変を感じ取っている二人を取り残して、何事もなかったように踵を返して行ってしまった。
*
友人と合流した拓也は、次の講義へ向かう。教室に入ると拓也と友人以外のいつものメンバーはすでに揃っていた。ということは、悠真もその中にいるわけで。
「おっはよ~」
拓也よりも一歩先に教室に入っていった友人は、午前中から元気の良い声で挨拶をする。「あ、やっと来た」なんて言葉と共に友人の一人の顔がこちらに向いた。「おはよう」と声をかけられ拓也も同じように挨拶を返した。他の友人たちとも言葉を交わす中、まだ距離がある時ふと悠真の視線が動く。拓也を視界にいれた悠真の笑顔が、一瞬凍りついたように固まり消えた。ひと欠け剥がれ落ちた仮面の下には、鋭い光を湛えているみたいだった。
しかしすぐに違和感は立ち消えて、何事もなかったかのようにくだけた表情が戻る。拓也も荷物を下ろして、改めて悠真を視界にいれたが、もう彼の視線は友人たちへ向けられ、談笑の輪に戻っていた。
「昨日は、デート楽しかった?」
世間話のひとつ。そんな体で、拓也は自分に背を向けている悠真に言葉を落とした。すると、あからさまに悠真の体が小さく動くのが見えた。それから、悠真は話を中断してゆっくりと拓也を振り返った。
「…、知ってるんだ?」
拓也をじっと見つめた黒い瞳。声のトーンも表情も普段と何も変わらない。けれど、悠真から発せられるそれらは、どれも底知れぬ深さを滲ませていて、何を考えているのか拓也に読み取らせない意思が伝わってくる。
「まあ、聞いたし」
二人の間だけに流れたヒリついた空気を濁すように、拓也は答えた。
「ふーん。拓也ってさ、人のデートにいちいち反応するタイプ?」
悠真から探るような視線を送られる。
「え、普通に会話としてだけど?」
拓也もまた悠真に思考を読み取らせないよう、冷たい空気に気づいていないふりを続けた。
「へ~…。ま、楽しかったよ」
場の空気を読んでか、悠真が発した言葉は――納得はしていない含みだらけではあったが――割とさっぱりした答えだった。
「え、ちょ。お前らなんでそんなに空気悪いの」
不穏な空気が二人の間を走る。そこにネットスラングのWの文字でも入りそうな揶揄に近い言葉が落とされた。空気を読んでいないのか、読んだ上であえて言っているのか。どっちにしろ、その無邪気さが場の緊張を容赦なく吹き飛ばす。
「てか、悠真デートしたの!? 聞いてないんだけど!」
「なんでお前に言わなきゃなんねえんだよ」
デートという言葉に反応した友人に悠真が一笑した。
「だれだれ? どんな子? 私知ってる?」
「あー。うぜえうぜえ。知らねえよ。深堀りすんなって。だりいから」
それでも食いつく様子に、悠真の顔が心底煩わし気に歪んだ。
「えー、悠真冷たい。拓也ぁ~、悠真が最低」
「まあまあ、昨日のデート上手くいかなくて拗ねてんじゃない?」
拓也が軽く笑いながら、友人ではなく悠真を横目で見る。
「あ? 俺が上手くいかないわけねえだろ。舐めてんのか」
苛立ちが隠しきれていない態度は、明らかに今の言葉を食らった感じに見えた。へえ、っと一瞬、拓也の視線が細まる。
「うっわ。自意識過剰。悠真くそうぜえ。つか俺も気になんだけど、どんな子だよ。どうせアイドル級のかわいい子だろ。うわ、なんかムカついてきたんだけど」
「そうそう。昨日ハシカンとデートしてた。公言すんなよ。まじプライベートだから」
少し息を吹き返したのか、いつも通りの悠真の軽口が飛んだ。
「え、KANNAちゃん!? やっば、私が会いたかった。悠真ずるい」
絶対に思ってないだろと思ったがツッコんだりはしなかった。
「つうか、俺より拓也だろ。俺聞いちゃったもん。本命にはカラオケで“愛とか恋とか”歌っちゃうらしいじゃん? まじ王子様すぎだって、お前」
今度ダメージを食らったのは拓也だった。先制攻撃をしかけたのだから、反撃がくるのは当たり前に予想していたがカウンターもカウンターで、予想を遥かに超える打撃を食らった。特に鼻で笑うような馬鹿にした言い方が、余計に腹立たしい。
(こいつ。ほんと昔から人の嫌がることよくわかってんな)
にこやかな仮面の下で、静かに怒りを燃やす。
「え、待って。拓也、本命いんの!? え、やだ~」
「なんで、お前が嫌なんだよ」
拓也も同意のツッコミを友人が代わりにした。
「だって、もしその子と付き合っちゃったりしたらさ。私とか絶対睨まれんじゃん? フツーに友だちなのに! そんなん最悪すぎない?」
いや、最悪なのはお前だ。そもそも小晴が、そんな性格なわけがない。絶対に気後れして、申し訳なさそうに笑うだけだろう。
簡単に想像がついてしまった自分にやや驚きながら、あながち間違いでもないと思う。サークル活動中に自分より周りを優先させる場面は何度も目にしたし、小晴は仲の良い面子でいる時もわりと静かに聞き側に徹している事が多い。彼女は、誰かを押し退けてまで前に出るような人間ではないだろう。
「いやいや、俺本命とかいないから。その話どこ情報、つか誰から聞いたわけ?」
拓也はまったく笑っていない目で形だけの笑みを浮かべた。彼女が出来たら最悪発言をした友人を一旦無視して、悠真に視線を向ける。
「ん? 後輩?」
「へ~…、あとでその後輩の名前教えてよ。あとで絞めとこう」
拓也の笑みが濃く深まった。
「え、なにその感じ、怖〜。でもちょっとわかる。噂流すやつってほんと無理だよね」
「てか、その歌ほんとに歌ったの? 誰に? どの子? 俺知ってる?」
拓也への同調から一気に淀んだ空気に傾きかけたところで、拓也を茶化す明るい声が響いた。
「いやだから、歌ってねえって」
拓也は、ツッコみの要領ですかさず否定した。
「えー。でもカラオケ一緒に行くならそれ歌うって聞いたけど~?」
先ほどの拓也の攻撃がだいぶムカついているのか、悠真の追撃が容赦ない。ふざけた感じを装っているのが余計攻撃性の高さを表している。黙った拓也の代わりに、友人のひとりが目を丸くさせた。
「え、ちょ。え、そんなの実質告白じゃん! まって、拓也ほんとに本命いるの?」
「つーかさ、その子、噂とかじゃなくて悠真が知ってんじゃね?」
一瞬、音が消えた。静まり返った中、悠真は全員の視線を浴びながら軽く笑う。
「えー。俺は知らねえけど。本人に聞いてみたらいいんじゃね?」
自分に集まった視線を全て丸投げするように悠真は拓也を見た。挑発的な視線が絡みつく。ご丁寧な視線の誘導から注目の的になった拓也は、ふぅっと息を吐いて笑った。鼻で笑うように、嘲るような顔をして、たった一人、悠真にだけ視線を向ける。
「……さっきから、やけに俺に噛みつくじゃん」
一拍おいて、ゆっくりと口角が上げる。
「――なんかあった?」
綺麗に作られた笑顔は、恐ろしいのに静かな色気を漂わせている。
「別に。てかお前こそ、なんでそんなにピリついてんの? 朝から怖いんだけど?」
悠真も嘲るように口角を上げて笑った。綺麗に完璧に笑顔を形取ってはいたが、やはり目の奥は何一つ笑ってはいなかった。
「そう? 別にフツーだけどな」
拓也が悠真の視線をいなしたタイミングで、ガラリと教室の前の扉が開く。どうやら教授がやってきたらしい。いつの間にか、もう講義が始まる直前の時間なっていた。
「なんか、今日まじ二人とも機嫌悪くない?」
「そーか? フツーじゃね?」
「やっぱあんた、まじ馬鹿だわ」
二人の友人たちの小さなコソコソ話で、午前中のささやかな探り試合はドローで結末となった。




