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恋人未満、スキャンダル以上——これは恋じゃない。ホラーです。  作者: さくらしゅう
第九章 その青は、熱を孕んで

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第17話 甘い毒



「ご馳走様でした。映画もなのに、ごはんまで奢ってもらっちゃって」


 お店を出たところで、小晴は少し申し訳なさそうな顔で悠真を見た。


「今日は小晴の誕生日祝いってさっき言ったろ。そこは『ありがとうございます!』くらいでいいの」


 女子の声真似をした悠真に思わず小晴も笑ってしまう。


「ありがとうございます」


 今度は素直にお礼が言えた。


「素直でよし」


 悠真は、そんな小晴の頭にぽんっと手を置く。自然なボディータッチに、動揺したのはきっと小晴だけだ。


(悠真さんって、本当に距離感がずるい)


 また頬が勝手に熱くなった。


「てか、酔ってない? 大丈夫?」


 頭の上の手はそのまま悠真が小晴に聞いた。


「たぶん、平気です。2杯しか飲んでないから」


 そこに意識を向けていないフリをしながら、へらりと小晴は笑う。


「弱いと1杯でも酔うもんよ」

「そうなんですか? お酒苦手って思ってたけど、悠真さんがおすすめしてくれた奴、お酒っぽくなくて美味しかったです」


 そう。味が苦手だと遠回しに伝えた小晴に、さりげなく「ちょっと飲んでみて」と自分が頼んだお酒を小晴に飲ませてくれたのだ。


 ドキドキしながら飲んだけれど、ジュースみたいで飲みやすくて美味しかった。美味しかったなら飲んでいいとそのままグラスごと小晴に譲ってくれたから、たぶん最初から小晴が飲めそうなものを頼んでくれていたんだと思う。こういうところが、悠真のモテる所以なんだろうと思わされた出来事だった。


「いいねいいね~。せっかく酒解禁したんだから、また今度一緒に飲もうぜ」


 何の気負いもないラフな誘いにちょっとだけドキっとしてしまったが、これはただの社交辞令だ。悠真のことだから、特別な意味はなく数多いる後輩のひとりを誘ってくれているだけに他ならない。


「もちろん二人で」


 小晴の思考を読んだみたいに、絶妙なタイミングで降ってきた悠真の言葉に動きが止まる。


「っ、また揶揄った!」


 ぱっと勢いよく顔を上げて、小晴は悠真を睨んだ。


「揶揄ってねえって」

「嘘です!」


 冗談とか、揶揄いとか、そんな理由じゃなかったら、悠真の行動は全部理解不能だ。いつも大勢に囲まれて、輪の中心に自然となってしまう悠真が、端っこにいる小晴に構う理由がひとつも見つからないんだから。


「嘘じゃねえし。小晴ってば疑い深すぎ」

「なにも聞こえませーん」


 これ以上困ったり、戸惑ったりしたくなくて、耳を両手で塞いだ。


「仕方ねえなあ。ほら、いくぞ」

「どこに行くんですか?」

「まだ21時じゃん。誕生日って分かって飯だけはさすがにないだろ。せっかくだから、カラオケいこ」

「え!? わたし歌えないですよ!」


 小晴は驚いて、いつもより大きな声が出た。


「それでもいいよ。俺が小晴のためだけに歌ってやるよ」


 いつになく優しい顔。

 まただ。あの目。

 甘すぎて蕩けそうな目。でも、やっぱりちょっとだけ意地悪で、いつもの悠真と見たことがない悠真が混じり合っていて、小晴はまた混乱する。


「嬉しいだろ。先輩が後輩のために一肌脱ぐって言ってるんだから」

「なにそれ。…、悠真さんのばか~」


 半分泣き言、半分八つ当たり。

 どうしよう。なんか、全部わからなくなってきた。少しずつ混ぜなくて良かったものが、勝手に混ざり合い始めている。とても変な感覚だ。拓也も悠真もただの気まぐれで、ただの軽口と冗談と、揶揄いで、ただそれだけだと思っていた。自分さえ本気にならなければ、一過性のもので、ただ過ぎ去っていくだけだと思っていたのに。


(もしも、そうではないとしたら…―――?)


 もし小晴が間違っていたら、そしたらこれはなんだと言うのだろうか。それだけではない、とでも言うのだろうか。

 じゃあ、この時間は一体なんなのだろう。


「なんだそれ。ちょっと緊張解れてんじゃん。成長してて偉いな~」


 ちょっとだけいつもより口調が崩れたのは、きっとお酒のせい。ケラケラと笑う悠真の顔は、ネオンに照らされやけにキラキラして見えた。



 *



 お酒に誘われて、大胆にも初めて男の人と2人だけでカラオケに来た。扉はすぐそこにあるけれど、密室空間に異性と2人という状況はなかなか心臓に悪い。


 悠真のノリの勢いに乗せられて来てしまったけれど、なぜか悪いことをしているような気分だ。ドッドッドッと心臓が嫌にさっきから音を立てている。


(ど、どうしよう。緊張で手が震える)


 悠真の後姿をちらりと盗み見る。


(お、男の人だ)


 自分でもどんな感想だ、と脳内でツッコミが入った。


(いや、男の人なんだけど。そうじゃなくて…)


 なんか、違う。


(ていうか悠真さんって男の人なんだって、なに? 変だってわたし)


 さっきから、この部屋に入ってからなにかおかしい。


(うっ…、だめだめだめ。わたし、しっかりして!)


 ぎゅっと瞳と瞑って、拳を握る。拓也と悠真。どっちかに恋をしているって、確かに思った。思ったけど、これはなんか違う。ちゃんと確信を持てる前に、気持ちをうやむやにされそうな、そんな漠然とした不安が蟠を巻いている。


「緊張してんの?」


 小晴の隣に気楽に座った悠真に、また緊張が一段階あがった。


(ち、ちかい。隣って、なんかやばいかも)


 悠真が纏う香りが小晴の脳内をさらに混乱させる。


「っ、う、だって。カラオケ初めて」


 小晴は、もう隠せない、と観念して素直に言葉を吐き出した。恥ずかしさから、顔を両手で覆う。


「え、カラオケが!?」


 大げさに驚く悠真を両手の隙間から覗く。小晴は、羞恥から表情を歪めてわざとらしいリアクションの悠真を睨んだ。


「だから、その、男の人と二人だけで来るの…、初めてって意味です!」


 男の人、という単語がもうなんか恥ずかしい。悠真をすごく意識しちゃってることを告白してると同義だ。大げさだった表情を引っ込めて、悠真は「…、ふーん」と微かに笑った。


「じゃあ、一曲目は“はじめて”の小晴に捧げちゃおうかな~」


 それからにやりと悪戯な笑みを小晴に向ける。冗談なのか本気なのか、わからなくなる軽口。本気にして痛い目に遭うのは絶対に自分なのに、理性に反して心は勝手にドキドキさせられている。


「ちゃんと聞いとけよ。俺からの特大ラブソング」


 細まった瞳は、まるで猫みたい。悪戯な顔が目に毒だ。絶対に揺れちゃいけないのに、二人きりの悠真は甘い毒のようにじわじわと小晴を蝕む。慣れた手つきで曲を入れる悠真を横目に見ながら、小晴はただただバクバクと跳ねる心臓を落ち着かせることに集中していた。


 ラブソングとか、またふざけたことを言う悠真に内心で悪態を吐く。それより自分の顔は赤すぎてないだろうか。暗いから見えていないだろうか。大丈夫かな。ぐるぐるぐるぐる思考が回る。


 そういえば、ラブソングなんて言って悠真は一曲目なにを入れるのだろう。気になってしまっている時点で負けている気もする。


(うっ、…私のばか。負けてるってなにによ)


 ♫~

 一人葛藤時間終了の合図のようにイントロが流れ出した。


(あ、これって…)


「俺の『ILOVE』聞いて惚れんなよ?」

「っ~~」

「うそ。惚れてもいいよ」


 口を開けば軽口。軽口しか言わない悠真の口。冗談めかしの「惚れてもいいよ」のすぐあとに、始まった歌いだし。ひゅっ、と小晴は息を吸いこんだ。


(うっま…――)


 これ、絶対カラオケ行って女の子がメロメロになっちゃうやつ。分かってるやつ。この人、なんで私のこと誘ったんだろう。


(誕生日、…そう。誕生日って言ってたじゃん)


 緊張している小晴に茶々をいれて、ほぐそうとしてくれてるだけ。そう、それだけ…――。


 ドキドキと高鳴る胸の音が、悠真にまで聞こえてしまうんじゃないかと思いながら、ただ甘い歌声に酔いしれてしまう。


 そんな時、突然扉を叩く音が響く。小晴の肩がびくっとちょっと震えた。だって、それはまるで自分の思考を暴いたように感じて、咎められたようなやましさを覚えたからだ。


「失礼しまーす。アイスココアとジンジャーエールです。失礼しました~」

「ありがとうございます…」


 カラオケの店員が、ちょうど飲み物を持ってきてくれたようだった。さっと置いて、さっと去っていく。まるで黒子のような無駄のない動きだった。テーブルに置かれた二つのグラスは対照的で、まるで小晴と悠真そのままを表しているかのよう。


 小晴はそっと、グラスに手を伸ばした。グラスについた水滴と中の氷が光を吸収して輝いている。特に透き通るような琥珀色のジンジャーエールは、より一層輝いて見えた。対してココアのこっくりとした濃い茶色は、輝きを拒んでいる。

 ジンジャーエールを悠真が座っている場所近くに移動させてから、自分のアイスココアを手にとる。一口飲んだ。喉にコクリと流れた甘い液体は、少しどろっとしていて奥の方で絡みつく。舌の上にもココアの余韻が残る。少しだけ、騒がしかった心が落ち着いた。


 緊張のあまり店員が来ることも忘れていた小晴だったが、なかなかいいタイミングで来てくれた。ある意味、あの瞬間、小晴の救世主は他でもない接点もないカラオケ店員だった。


 そしてこのアイスココア。忙しなく出口もなかった感情の休息場として、この場に居てくれている。

 惚れてもいいよはいつもの冗談と一緒。未来の旦那って言ってたのと同じテンション。


(悠真さんにとって深い意味はないんだから、勘違いしないの。うん。気づけて良かった)


 普段とは違う場所にいるせいで、ちょっと混乱しただけだ。

 まだ、大丈夫。

 小晴が自分と対話し終わったタイミングで、ちょうど一曲目が終わる。


「小晴って、ココア好きなの?」


 歌い終わった悠真がマイクを片手に聞く。やっぱり隣に並んでいる今の距離は普段よりも近くて緊張はした。だけど、さっきみたいなドキドキはだいぶ薄れている。

 それにどこかホッとする自分がいた。


「はい。好きで、わりと飲むかも」


 どうだったかな、と少し考えながら小晴は悠真に返事を返した。


「前もココア選んでたもんな」


 たぶん自販機でのときの話だとすぐに気がつく。


「うまい?」


 コクンと頷く。


「一口ちょうだい」

「へ?」


 突拍子もないお願いに小晴の目が丸くなる。けれど悠真は普段通りで、変化と言えば少し目を細めて笑っているくらいだ。


「だめ?」


 その目と声はずるい。


「ど、どうぞ…」


 おずおずと小晴はグラスを差し出した。ちょっと指先が触れる。どきん、と跳ねたのはきっと小晴だけ。なんなく受け取った悠真が小晴のアイスココアを一口飲んだ。


「甘い。小晴みたい」


 最初にでた感想がそれ。

 一瞬、小晴の中の空気が止まった。それから動き出す。でも、さっきやっと落ち着いた心臓がまた早鐘を打ち始めている。


(え、待って?)


 甘いってどういうこと? わたしみたい? なにが?

 ていうかこれって普通に間接キス?

 え、なんで悠真さん。そんなに普通なの?

 悠真さんの周りはこれが普通なの?

 色んなことが一気に押し寄せてきて、感情の濁流に呑まれる。


「ええ…? わたしみたいって、どういう意味ですか?」


 受け止めきれないくらいのドキドキを感じながら、小晴はちょっとだけ口角を上げて笑う。たぶん今は上手に笑えた。


「どういう意味だと思う?」


 また意地悪な顔。


「え、…っと。あ! 甘ちゃんってことですか?」


 ここで聞き返すのはなんだか良くない気がして、小晴は咄嗟に頭をフル回転させどうにか言葉絞りだした。笑っているけど、笑えているかわからない。小晴の回答を聞いた悠真は、全部見透していそうな瞳で笑った。ただそれだけなのに心臓がうるさい。


「まだ、緊張してそうだし。落ち着くまで一旦ゆっくりしてたら? それとも歌う?」

「…まだ、聞いてます」


 溢れるように悠真が笑う。「ありがとう」とアイスココアも一緒に返された。


「うん。聞いてていいよ。俺、結構うまいっしょ? ちょっと自信あるんだよね〜」


 そう言いながら、次の曲を選び始める悠真の視線はすでに小晴からデンモクへ移動している。悠真が纏うものの中に。緊張のきの字どころかその片鱗さえ見つからない。


 絶対、弄ばれてるんだよなあ。この状況。ココアの件も、この余裕な感じも。そもそも私が悠真さんに誘ってもらって、カラオケに来てしまっている時点で、全てが思惑通りな気がする。


 自分の反応も、揺れも、全部悠真には計算通り、といったところだろう。そうじゃなかったら、彼がしれっと出来てしまうことで翻弄されるような恋愛初心者を相手する理由がわからない。


 もはや、悠真は普段の釣りにちょっと飽きてきていて、金魚すくいのような物珍しい感覚で小晴に興味を持っているのだろうか。


(うわ、リアル)


 それで、なんでちょっと傷ついてるんだろう。わたし。

 ツキン、と痛んだ胸に色んな理由でちょっと凹む。


(三曲目はさすがに入れないとなあ…)


 なに歌おうかな。

 考えすぎて凹むのは今ではないのは確かで、小晴は一旦悠真の気まぐれに関して考えるのをやめた。


 曲を選び終わった悠真がデンモクを小晴に渡してくれる。コツ、コツと指先で画面を操作しながら、小晴は自分が歌えそうな曲を探した。


 ♫~

 あ、この曲私好きな奴。

 悠真が入れた曲が流れ始め、聞き覚えのあるイントロに顔が上がった。一瞬だけ、悠真と目が合ったが、すぐにふいっと逸らされた。小晴もまた、デンモクへと視線を落とした。だけど、耳も心も、完全に悠真のほうを向いていて、画面に映し出された文字が頭に入ってこない。結局デンモクを弄る手はいつまでもうわの空で、心地いい悠真の声が小晴の意識を離してくれなかった。




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