ビターisスイート
「おはよっ! いやぁ、今日はありがとね。」
へらっと笑いながら駆け寄ってきた彼女は、開始早々に礼を言って頭を下げる。今から解散するのだろうか? だとしたら僕の数時間を返して欲しい……いや、勝手に早く来たのは僕だが。
「そういうの、終わってから言うもんじゃない?」
「細かいねぇ〜、そこがなければもっとモテるんじゃない?」
「お生憎様、都合のいい奴と魅力的な人ってイコールじゃないの。ゼロが何を掛け算しても変わらないよ。」
「少なくとも嫌味言う人は魅力無いよね。もっと明るく行こうよ、人にも自分にも。」
「嫌いな人には態度悪くなるもんじゃない?」
「ひねくれてるなァ〜。」
君の方が余程ね、とは口に出さずに飲み込んでおく。言ったところで何も変わらないし、そこまで言ってしまえばただの八つ当たりだ。そんな事より今日の目的を果たさなければ。ノコノコと引き出された自分も自分だが、今日で終わらなかったのでまた手伝って、等は御免被る。
なにせ要件が要件だ。誰とも知れない男への贈り物など、なんで考える必要があるのだろう。僕じゃダメなのだろうかと思う傲慢さが、嫌になる。
「じゃ、早速いってみよう! デパートでお手本見て、材料買って、作る!」
「作るまで出来る? やる気とか体力的にさ。」
「私の事を何だと思ってるの? 頑張るよ、だって今日じゃ無いと意味ないじゃん……まぁ、難しかったら手伝って貰う。」
だろうと思った、という文句を呑み込んで。着いてくるのは分かっているので先に歩く、僕が先導しないといつまでも進まないし。誰よりも良く見てきた自負があるから、少しは分かっているつもりだ。それでも、彼女が今日を誰のために使っているのか、分からないんだけど。
「チョコ見に行くんでしょ、隣の駅に行く?」
「ん~、こっちのでいいよ。そんなに上手に出来ないし。」
「チャレンジしないんだ。」
「背伸びして失敗したくないもん。」
それだけ本気なんだろうか、安全策を取るなんて珍しい。まぁ、近場で済むなら今日で終わるはずだ、僕の願いは叶う筈。早速、チョコレートフェスをやっている近くのデパートに舵を切り、場所を調べてもないであろう彼女の道標になる。
この辺りの店舗やイベントは下調べしてきたので、場所を間違えることは無い。スムーズに目的を済ませれば、余裕も出来るだろう。
「それで、お手本をって言うけど材料とか型とか?」
「ん〜、味の好みとかも。」
「僕に聞いてもしょうがなくない?」
「まぁ、ほらさ。男の子の好み〜というか?」
「いい加減だなぁ……」
割と手当り次第というか、分からないなりに手を打つと言うか……快活な割に臆病な彼女には珍しい。
後ろを振り向けば彼女が何をしているかは分かるだろう。きっと、鼻を触るとか目を泳がせるとか、分かりやすい癖を見せている。でも、誤魔化しているものが何なのか分からないんじゃ、意味もないけど。
「そういえば、どこ行ってるの?」
「君、随分僕を信用するよね。」
「ん、まぁ。君ならイタズラしても、大丈夫なやつだけかなって。」
「はいはい。今向かってるのは、チョコレートフェスの会場。大きいとこじゃないけど、簡単に調べられるものだし、参考になるくらいには人も品も集まってると思うよ。」
「最高、任せて良かった〜。」
このままチョコまで作れと言われたら、塩辛いものでも作ってやろうか。そんな空想を挟みながらビルに入り、三階を目指す。エレベーターは、待っている人が老人とベビーカーと両親。多分満員になる、空間的に。
「階段使う?」
「それでいいよ。美術部より体力あるしね!」
「イーゲル持って歩くのは、結構な体力仕事だけどね。」
「また荷物持ちやってるの? 優しいね。」
「そういうんじゃないけどね。」
「そこは、ありがとって言うんだよ。分かってないなぁ。」
「はいはい、どーも。」
少し暗い階段を登ること三回。ロビーに戻れば、華やかなイベントの雰囲気に相応しい明るさが視界に戻り、一瞬だけ目が眩む。最近は締め切った部屋で油絵具を重ねる日々だったから、余計に。断じて目の前の彼女に目を細めた訳では無い。
「わぁ〜! 凄いよ、色んなチョコがいっぱい!」
「色だけでもカラフルだ……赤とか黄色は分かるけど、青ってどうなんだろ……」
「嫌い?」
「色としては好き。でも、寒色の食べ物って、おいしそうってならないなって。」
「ならほど……カンショク? はダメっと。」
「寒色、ね。冷たいイメージの色。」
「あ、そういうこと。」
分かってないのに頷くな、と言いたい。そんなことより、サッと会場内を眺めて、簡単そうなものを探す……探すのだが。
「見て見て! ゴリラ! すっごいリアル!」
「なんで第一声がゴリラなんだよ、もうちょっと可愛いのあったよ?」
「え? カッコよくない?」
「いや、それは……無駄にイケメンだな、このゴリラ。シャバーニだっけ?」
「あ〜、なんか聞いたことある。」
いや、まて。なんでチョコレートフェスで動物園に来たみたいな盛り上がり方してるんだ。本来の目的、もう絶対忘れてるだろ。
「ねぇ、何しに来たか覚えてる?」
「あっ! ……オボエテルヨ?」
「もう開き直ってんじゃねぇか、ネタにして逃げるな。」
「アタ! ひどぉ。」
デコピンがそんなに痛い訳ないだろうに、恨みがましく額を抑えて上目遣いに睨むもんだから、罪悪感の方が強くなってくる……分かってやってるんだろうけどね、この子は。
謝罪を聞くか聞かないかのうちに、次の展示を見に行く彼女はイベントを純粋に楽しんでいるらしい。楽しそうなのは僕も喜ばしいが、目的が目的だけに早く帰りたい。そして、出来れば金輪際、近寄りたくない。
「マーブルチョコって不思議だよねぇ、おもちゃみたいな色なのに、食べ物だってすぐわかるんだよ。」
「刷り込みってやつかもね。」
「印刷?」
「いや、経験や習慣みたいなもの。ほら、ずっとチョコとして見てきて、食べて来てるから、身体が覚えてるんだよ。」
「なんかヤラシーね、その言い方。」
「脳みそピンクに染めてきた?」
ムッとした顔で叩いてくるが、先に茶化したのはそっちだ。それに、毎週髪の色が変わるものだからこっちは目まぐるしい想いをしてる。少しは意趣返しという概念が伝わっていれば良いけれど。
次々と色んなチョコを見て回る彼女が、クルクルと表情を変えている。子供っぽいと本人は気にするが、そういう素直な面は愛らしい。
一通り見て回って、楽しかったぁとベンチに座る彼女に、ホットチョコレートを渡しながら横の壁に寄りかかる。
「で、気に入ったのあった?」
「え? 私が選ぶの?」
「だって君が作るんだろ? 他に誰が選ぶの。」
「いや、それは……ほら。」
僕に向けて立てられた指を、行儀悪いよと摘み返す。たたまれた手を下げることなく、そのまま合わせてくる彼女の、なんと他力本願なことか。
こういう時は、相手の友人とか誘うものなんじゃないだろうか。僕の少ない交友関係で、何をどう力になれと言うのか……
「上手くいくなら何貰っても嬉しいだろうし、嫌ならそれまでの関係だったって事じゃない? それに素人が菓子作っても、そんなに差は出ないって。」
「そういう事言う〜? ほら少しでも好みに近づきたいじゃん? あぁこの人は自分のこと分かってくれるって、嬉しくない?」
「それは……まぁ、そうかもね。しょうがないなぁ……」
とはいえ、何処の馬の骨ともしれない男の好みなんて知らない。どうせなら失敗すればいいのにとも思うが、僕のせいで彼女が泣くのは頂けない。
甘いものは好きだし、ここにあるのも半分くらいは食べたことがある。その中から男性ウケしそうで、かつ見栄えがして作りやすく、持っていくのに壊れにくく溶けにくいもの……少し食べごたえのある焼き菓子系か?
「そうだなぁ……ガトーショコラとか?」
「絶対、難しいやつじゃん?」
「そんなしっかりとしたケーキにしなくても、崩れたり溶けたりしないチョコだと考えたらいいんだよ。卵と砂糖とバターを、チョコと混ぜて焼くだけでも、それらしくなるよ。オーブンあったよね?」
「あるよ、お母さんの使ってるやつ。」
「なら大丈夫だと思う……作った事ないけど。」
市販品が優秀な現代で、自作するのは趣味としか言えない。生憎と僕の趣味は絵に集中しているので、他の事に割く気は無いのだ。
それで良く偉そうに、と言われたのなら反論はしたいが。彼女は目玉焼きを作ろうとして黒い板を作り出したのだから。忘れろと言われても、あの強烈な味は忘れられない。
「ねぇ、何か変なこと考えてる?」
「いや、べつに?」
「ふぅん? まぁ、良いけど。それより、ほら。気に入った型とか、色とか。味とかさ、なんか無い?」
「作りやすさ優先でいいと思うけど……まぁ、あんまり甘さが強いと、慣れない人は多いかもね。」
「君は? 飴とかチョコとか、けっこう持ち歩いてるよね。」
「僕は好きだけど。」
「そかそか。」
満足そうに頷いているが、そもそも。
「アレンジの前にレシピ通り作ることからじゃない?」
「酷くない?」
「いや、だって……炭作るじゃん。」
「いつの話!? あれから少しは料理とかしてるし……食べ物にはなるよ、多分。」
自信の程は、などと聞くまでも無さそうで。でも、これ以上は僕に出来ることもない。上手くいくといいね、思っても無いことを述べて、彼女の最寄り駅まで帰る。ブツブツとスマホを眺め、何度か轢かれかけていたこの子が、僕に出会うまでどう生きていたのか、少し気になった程度であった。
「それじゃ、また夜に!」
「うん? うん……さよなら。」
二駅という近さで家に帰り、自室で転がって天井を眺める。こうして彼女と出掛けたからか、思い返すのは数週間前のこと。僕が彼女に告白し、フラれた日。君と生きていきたいから、僕に君の恋人で居させてください。そんな風にまどろっこしい言い方をしたからかも知れない。彼女は謝罪を吐くが早いか、風も置いて行かれそうな走りを見せた。流石、陸上部である、等と現実逃避したのは良い思い出……なのだろうか。
思ったよりショックは無かった。それでも、これから消えることは無いのだろうな、というくすぶりとモヤモヤを嫌というほど自覚させられる。きっと焦った僕が告白したときのように、彼女の隣が誰かの物になるようなときは……
「ソレまでに疎遠になってると良いけど。僕の目の届かないところで幸せになってくれると良いなぁ。」
今回の件が上手くいったなら、それとなく離れる良い機会ではある。それはそれとして腹は立つので、彼女からチョコを貰う幸せ者を張り倒……拝みたくはあるけれど。
また夜にと言っていたし、成果くらいは教えてくれるつもりなのだろう、聞きたくないが。もういっそふて寝してやるという僕と、彼女の声を聞きたい僕と、純粋な眠気。まさに三つ巴の戦いとなっている僕の脳内とは裏腹に、現実の部屋はあまりにも静かだ。
時間がゴムみたいに変則的に流れていく。絵筆も鉛筆も握る気力が湧かず、夕日が窓から不法侵入してくるまで寝そべっていた。そろそろ夕飯の支度でもしなければと起き上がろうとして、スマホの振動に肩を跳ねさせる。チラと見た発信先に、複雑な気持ちを抱えて受理をする。
『あ、もしもし? 今、大丈夫だった?』
「かけてから言うことかな、それ。」
『ごめんごめん……怒ってる?』
「ううん、別に。」
少し不機嫌な声だったのか、彼女の声に勢いが消え、とっさに否定してしまった。離れたいのなら突き放せば良いのに、未練がましいにも程がある。
『ねぇ、今から出てこれる?』
「今から? まぁ動けるけど……どうしたの?」
『ほら、君のお母さんに合うと気まずいなって?』
「うん、いや、電話じゃ……あ~、こっちまで来てるなら駅の北から公園見えるでしょ。そこで待ってて。」
『うん、ありがと。待ってる。』
通話もそこそこに、コートとマフラーをひっつかんで外へ走る。帰ってきたのに外に出る息子に、親からの問いかけがとんでくるが、散歩とだけ返して外へ出る。日が落ち始めたこの時間、肌寒さが堪える風の中で公園を目指した。
「あ、来てくれた。さっきぶり。」
「うん、さっきぶり。何かあった?」
「あったというか、起きるというか……その、まずは改めてごめん。」
心当たりが多すぎる謝罪に、どれのことか分からなくなる。だが、なんであれ許せないなら今朝も今も会いに来たりしない。
僕が待っていると、彼女は霜焼けなのか、赤くなった耳と鼻で僕と顔を合わせる。
「その、今月の初め、逃げちゃって……これ、一応、返事のつもりで……」
「……ん、え? ごめん、理解が追いつかない。えっと、ちょっと待ってね。」
彼女が僕に差し出している箱が、甘い匂いを放っていることから現状は理解している。ただ、頭が追いつかない。と言うか、こんな風に買い物に誘ったりするときに言ってくれても良かったのでは無いかと思う。きっかけが無いと気まずいというのなら、調達の時から巻き込まないで欲しい。僕がどれだけ気まずかったか……
「あー、つまり……僕は嫌われた訳では無かった……って事か。」
「え!? なんで?」
「だって、逃げるし……」
「あ、あれはパニックになっちゃって!」
「避けられるし。」
「私が君のことどう思っているのか、ちゃんと考えたくて……あと、なんか恥ずかしくて。」
聞けば納得するし、理解できる……が。まさか、彼女がそんな、恋でもしたような反応になるとは。
「……ん? 思ったより好かれてた?」
「それ直接聞くぅ?」
「いや、まぁ……ごめん。」
「私も逃げたし、人のこと言えないけどさ。」
お小言と共に押しつけられた紙袋には、僕の好きなブランドのチョコ……市販品じゃん。いや、嬉しいけど今日のリサーチは何だったんだろう。いや、もしかして……
「失敗した?」
「失礼な! ……まぁ、ヒビ入ったり砂糖の塊出てきたりはしたけど。」
「それくらいなら失敗したとも言えないんじゃ……くれないの?」
「いや! ちょっと甘すぎたし! なんか堅いとことドロッとしたとこあったし! 見た目もシワって」
「いい、食べたい。明日、行っても良い?」
「う、あ……意地悪。」
「少しだけ仕返しもあるけどね。」
「もー!」
これくらいの意趣返しは許して欲しい、散々振り回されてるのだから。それに、好きな子の手料理を食べたくない人は居ないだろう……料理は。炭ならいらなかった。
「それじゃ、それは明日のお楽しみにして。今日は送るよ。」
「来るなら食べてけば良いのに。」
「夜遅くに女の子の家に上がるのは、ちょっと……」
「あ、そっか……ごめん。」
フラれるのも堪えたけど、これはこれで僕の理性が試される日々の始まりな気がする。どっちに転んでも開放感に満ちた幸福、なんてものは僕のような卑屈者には訪れないらしい。
「明日から……改めてよろしくお願いします。」
「僕は今からのつもりだけど。」
「……えへへ。」
前言撤回、悩みはつきないがモヤモヤは晴れた。幸福って奴は案外、形を持って傍に居てくれることもあるのかも知れない。