花散る頃に、君との思いをかける
「ねえ、紡。あの花びらが散る頃、私は息をしているのかな」
病院の窓から見える、桜の木を指さしながら理奈は聞いてくる。
理奈の余命は、知っている限りで持って数日。だからこそ、問いには答えづらかった。
ベッドから体を起こしている理奈は、目に見てわかるほどやせ細り、弱弱しい。病気が判明して以降、食事をろくに取っていないのも原因だろう。
しかし、彼女の顔には迷いが無いのか、清々しさを感じさせてくる。
理奈は窓の外を見たまま、僕の方を見向きもしない。
幼い頃からの付き合いだから、を理由で毎日お見舞いに来ているわけではないが、理奈には不服があるのだろう。
「うん」
「うん……じゃ、わからないよね」
「理奈はさ、なんでそんな悲しいことを言えるんだよ」
「私は誰にも愛されてない。だから言えるの。幼い頃を見てきた紡なら、わかるでしょ?」
そう言って冷たい視線を向けてくる理奈に、拳を握り締めるしかなかった。
理奈の両親は偉大な研究者であり、家をいつも留守にしていた。だから、理奈がずっと一人で過ごしてきたのを知っている。
理奈が誰にも愛されてない? それだけは――心から強く否定したい。
「あのさ、好き勝手言うなよ」
「何さまのつもり?」
「僕は俺様でも王様でもない。理奈の事が誰よりも大好きで、愛してる存在だ」
と、言い切れば、理奈の瞳からは涙が零れおちていた。
理奈の両親が世を離れた後、病気にかかった理奈をずっと見てきた。
幼い頃や、高校生になった今だけじゃない。
理奈の全てを知っているから、愛を伝えた。彼女には、生きる希望を持ってほしいから。
「なんで紡は、私を引き留めようとするの……」
「好きだから」
「馬鹿! 誰にも愛されないで、一人で静かにこの世を去って、見向きもされなかった両親に会えると思ったのに……あと残りが生まれる前に」
「そのあと残りは、僕が埋める。約束だ」
「本当に……約束だよ」
小さくてか弱しい理奈の小指と、僕の小指を合わせる。約束の印、ゆびきりげんまん。
生まれて初めて、大好きな理奈に告白して承諾された。どんな出来事よりも、すごく嬉しかった。
これからは、彼女が生きている時間の空白を埋めてあげる時だ。
理奈が「また明日来て欲しい」、と言ってきたから、その日は病室を後にした。
帰る直前に医師の話を聞いて、声を出して泣きそうになった。
……覚悟をしていたはずなのに。
次の日も病室に訪れれば、昨日から彼女になった理奈は笑顔で迎え入れてくれた。
理奈は帰る直前で見た時よりも、顔に生気が満ちている。今までが嘘、と思えるほどだ。
最後にこの笑顔を見たのは、何十年ぶりかもわからない。
ふと気づけば、理奈の手には小さな部品みたいな物が握られていた。
「理奈、それは?」
「これ? 紡に渡そうと思って、データを作ったの」
「……データ?」
「うん。紡は、プログラムに強いよね?」
「まあ、凡人以上はできる」
「だから、これを託したいの……最後に愛した紡に」
「話、聞いたんだ」
昨日、医師に言われた「理奈さんの余命は長く持って……一週間」、理奈もそれを聞かされたのだろう。
理奈にはもっと生きてほしい。
ただのエゴでも構わない。
だから理奈にだけは言わないでほしかった。伝えないでほしかった。
また、理奈が生きる意味を見失わないためにも。
気づけば、僕は泣いていた。
悲しくないのに、辛くないのに、理奈を思うとなんで泣いてしまうんだ。
「紡」
理奈は僕の名前を呼び、抱きしめてくる。
今にでも折れてしまうのではないかと思えるほど弱弱しい腕なのに、強く温かい。
この瞬間、一番近くに近づけた気がする。
僕は理奈の体に、そっと腕を回して被せる。抱きしめるまではいかない、彼女を大事にしたいから。
嬉しい、と理奈は喜んでくれた。生きてきた時間の全てで、一番嬉しかった。
理奈の喜ぶ姿が、何よりもかけがえのない……宝物だから。
「理奈、ありがとう」
「うん。これ、受け取ってくれる?」
「うん」
理奈の手から僕の手に、小さな部品は渡る。
小さな部品は、よく見てみるとメモリーカードだった。
データを作ったのはこのためだったのか、と納得がいく。
「紡は、私からの最後のお願い、聞いてくれる?」
「理奈のお願いだったら、何でも聞くよ」
「よかった。実はね、そのデータは未完成なの。だから、生きた証を語り継いでほしいから……最後は紡の手で完成させてほしいの」
「……絶対に約束する」
「ありがとう」
データがなんなのかは見ればわかるようにしてあるらしく、理奈の想いを引き継ぐことになった。
理奈が埋められなかった空白を、僕が完成させて埋めるために。
「……つむぐ」
「理奈!」
――嘘だと思いたかった。
理奈は僕にもたれかかり、涙を零している。
「……ごめん、ね。もう、お別れのじかん……みたい」
「もういい。無理に喋るな」
「紡に告白されて……嬉しかった。わたしのおもい、継いでもらえて、うれしかった。それから、それから……」
「理奈、お願いだから」
「えっと、ね……ありがとう。最後に、紡がいてくれて……よかった。また……」
理奈は最後まで言い切らず、腕の中で、静かに目を閉じた。
僕は嗚咽まじりに彼女の名を何度も呼び、泣くことしか出来なかった。
そして、けたたましく鳴り響くナースコール。
時が止まった彼女を、医師が来るまで、僕は抱きしめていた。
視界がにじむ中、窓の外に映った最後の花びらは……宙に散った。
*
最愛の存在を失った数年後、僕はスマホを片手に、理奈が入院していた病院の前まで来ていた。
あれから数年も経つのに、昨日のように感じる。
思い出しただけで、涙が溢れそうだ。
理奈が病室の窓から見ていた木の下に着き、一つのデータを起動させる。最後に引き継いだ、完成したデータを。
『データを起動します。理奈です。紡、この木の下に私を連れてきてくれてありがとう』
起動と同時に、スマホから立体映像モデルの理奈が浮かび上がる。時が止まる前の、理奈の姿そのままに。
理奈から渡されたデータは、現在では不可能な技術を可能にしていた。
それでも、理奈が生き返る事なんてない。
思い出せば思い出すほど辛くなり、僕は声を出して涙を零していた。
『……感受性データを受信しました。メッセージを起動します』
感受性データ? いや、そんなデータどころか、プログラムした記憶すらない。
不可解な事態に驚いていれば、映像の理奈は音声を発する。
『紡、驚いた? データがないから驚くよね。これはね、私が最後に伝えたい気持ちを伝える為、用意した隠しデータ。条件は、座標と涙』
本当に不可解な事象を、理奈は可能にしていたようだ。
現代がどれだけ頑張っても可能にできない、未来の技術とすら言える。
理奈には本当に、長く生きてほしかった。
なんで僕が生きて、理奈が世を離れなきゃいけなかったんだ。逆だったら、よかったのに。
『これが起動したってことは、私はいないんだね。紡、私の最後の結晶を完成させてくれてありがとう。でもね、もう一つお願いがあるの』
「お願い?」
『この技術を紡の功績にして、後世に残してほしいの。だからね、くよくよして泣いてちゃダメ。紡はもっと長く生きて、みんなを幸せにして。データに意思を持った私が、最後まで紡を支えてあげるから』
と、理奈は言い残し、音声は途絶えた。
理奈の言葉を聞いて、こぼれた涙を拭う。
理奈の思いを胸に、僕はその場を立ち上がる。
手を上にあげれば、散った桜の花びらが手に舞い降りる。
花びらを握り締め、青く澄んだ空の下を理奈と共に駆けた。
僕と理奈の生きた証を未来に刻むために。
「理奈、ありがとう。頑張るよ」
『紡、一緒に頑張ろうね』