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4.薔薇園の朗読会


『何故、一文字も書けていない?』


 テーブルの上には原稿用紙が広がっていた。目の前にはアレクシスが立っていて、白紙の原稿用紙を一枚取って眺めるとヴィオラに問いかける。


『衣食住の面倒をみてやっているのに。バイトにも行かなくて良いようにしてやったのに。何故、書けない?』

『……ごめんなさい』

『ここにしばらく留め置けば書いてくれると思ったのに、やっぱり君は才能なんて無かったんだな』

『ごめんなさい!』


 重いため息に耐えられず、ヴィオラはイスを蹴って立ち上がると部屋の扉に駆け寄った。

 しかしドアノブに手をかけたが、ぴくりとも動かない。

 見ると、ドアノブの根元が凍っていた。氷はどんどんと範囲を広げ、やがてドアノブを掴んでいるヴィオラの手にも氷は延びてきて、腕まで凍っていく。

 肩を叩かれた。振り返ると、真後ろにアレクシスが立っていた。


『俺は俺の命令を聞かない人間は全員氷像にしてきた。……失望したよ、メルツ先生』


 触れられた肩も凍りついた。ヴィオラは悲鳴を上げようとしたが、氷が口を覆ってしまい……。

 ヴィオラは目を覚ました。






(…また、この夢だ)


 起き上がると、心臓がうるさいほどに鳴り響いていた。嫌な汗が背中に流れていて、ヴィオラは息を整えようと深呼吸を繰り返した。

 目に入った光景は初めてアインホルン邸で目を覚ました部屋のものだった。もうすっかり馴染みのある光景で驚きはしない。

 もう一週間もこの部屋で寝泊まりさせてもらっているのだから。







 アレクシスに強引に引き留められ、ヴィオラが物語を書かないと出られない屋敷……もといアインホルン邸で生活するようになって一週間が経った。


(これって拉致監禁されたってこと!?)


 ……と、初めは思ったもののアインホルン邸での生活は快適だった。


 提供される食事は栄養バランスの取れたもので味も上品だった。さらに三時のティータイムまで用意してくれるほどで、作家生活で食費を切り詰めていたヴィオラにとって、久しぶりのご馳走だった。

 用意された部屋も最初に目覚めた部屋をそのまま使わせてもらっている。上品な家具に囲まれて過ごすのは、少し落ち着かなかったが慣れてしまった。

 何よりこの客室は窓から見る外の眺めが素晴らしかった。

 屋敷は湖の近くにあるようで、キラキラと輝く湖を含む自然豊かな風景が一望できるのだ。心が洗われるようだった。


 そして驚いたことに、屋敷の敷地内は自由に移動することが許されている。

 だが外には出られなかった。外出をしたいときはアレクシスに声をかけてほしいと言われた。

 そう言われてしまうと、外に出たい理由は思いつかなかった。


 初日にアレクシスから半ば強引にバイト先を聞き出された結果、彼はバイト先にヴィオラはしばらく休むと伝えたらしい。だから、バイトに行かなければいけないという理由は使えない。

 同様に下宿先にも預かっていると伝えてあるとのことで、大家さんを心配させるかもしれないから帰るという手も使えなかった。

 正攻法でダメならこっそりと抜け出すことも考えたが、ヴィオラが一人で歩いているとすれ違う使用人たちに気遣われ、いつのまにか傍に控えてくれるので、実際逃げられない。

 そもそも足を挫いているから、それほど歩けない。それもこみで、屋敷内を自由に歩くことを許されているかもしれなかった。


(……なんだか、落ち着かない)


 不自由で辛いわけではなく、快適で落ち着かない気分は初めてだった。

 なにより人が優しい。使用人たちは皆、人の良さそうな笑顔でヴィオラと接してくれる。

 アレクシスも初めは強引で怖かったが、思い返すと、全部ヴィオラのためにしてくれているものだ。今も何かと気にかけてくれる。

 自分の居場所が無かった実家とは、全然違っていた。


 いつか、アレクシスから『ここまでしてやったのに、まだ書けないとはどういうことだ』と失望されるのではないかと怖くなってしまった。

 だから上質な寝具で眠っているのに、連日、悪夢を見てしまうのだろう。






 その日、ヴィオラは世話になってばかりの状況に罪悪感が溜まり、とうとう使用人たちに仕事の手伝いをさせてほしいと泣きついた。


『お客様に自分たちの仕事をさせるわけにはいきません』


 …と断られていたものの、初日に会った老メイドのマーサが見かねて、孫の面倒を見て欲しいと頼んでくれた。

 孫のドロシーは、まだ6歳だという。

 肩口までの長さの赤毛の髪が印象的な女の子だった。彼女から“お気に入りの場所”としてアインホルン邸の庭にある薔薇園に連れられたヴィオラは、一冊の本を手渡された。


「これ読んでほしいです」

「……これは…」


 彼女が持ってきた本はシュネー=メルツのデビュー作だった。

 タイトルは『名も無き勇者の冒険』

 内容は、故郷もなく親も知らず自分の名前も知らない少年が、勇者として活躍する冒険譚だ。

 自分が作った物語が初めて本になったから、嬉しくて穴が開くほどずっと眺めていた。だから見間違えるはずはない。


「うん。アレクシスさまが好きな本だよ。ふきょー用だって、くれたの」

「アレクシスさん、布教してるの!?」

「うん。おばあちゃんもほかのみんなも持ってるよ」

「使用人の皆さんにも配ってたの…!?」

「みんな読めるのにわたしだけ読めないのはくやしい。だから読んでほしい、です」


 この本は十代後半の少年少女向けに書いた本なので、まだ読み書きに慣れていない年頃の子には難しいだろう。

 本を開けると栞が挟んであり、他の人にも読んでもらっていたようだ。


(恥ずかしいけど、やるしかない…!)


 自分の書いた文章を朗読するのは正直恥ずかしいが、ヴィオラは声を出して語り始めた。

 しばらくして朗読というものは、意外と難しいのだと語り始めてからヴィオラは悟った。

 聞き手に配慮して語り進めていかなくてはいけない。話の速さはこれでいいのか語りながら迷い、声に抑揚をつけて感情を乗せてみたりもした。

 話しながら、ちらりちらりとドロシーの反応を伺っていると、彼女の瞳がきらきらと輝いていることに気づいた。物語の世界に没頭しているようだった。


(私も子どもの頃、お母様にお話を語り聴かせてもらうのが好きだった。なんだか、楽しいな)


 ヴィオラは自分の胸も暖かくなっているのを感じた。


「シュネー=メルツは雪の妖精でしたが、四月に生まれたので暖かなものが好きでした。勇者の優しさに触れた妖精は、彼の旅路についていくことにしました」


 区切りが良いところまで読み終えると、ヴィオラは一旦口を閉じた。少し疲れてしまっていた。


「雪の妖精さんの名前、メルツせんせーと一緒だね。なんで?」

 ドロシーが興味津々といった様子で尋ねてきた。

「キャラクターから名前を借りたからだよ。この子はね、私が子どもの時に作ったお話のキャラの一人なの」


 デビュー作となった作品は、幼い頃に書いていた物語をアレンジして作ったものだ。


「初めてお話を作ったときの気持ちを忘れたくなくて……」


 彼女に説明しながら気づいた。


(あれ? 忘れたくないって、何を…?)


 ヴィオラは思い出せなかった。何を忘れたくないと願っていたのかを。

 ドロシーがきょとんとした目でこちらを見ていたので、誤魔化すように笑みを作って問いかけた。


「このお話、好き?」

「うん、好き! この話を聞いていると楽しくなるの。ドロシーも大きくなったら勇者になりたい!」


 ドロシーがヴィオラを見上げて、笑顔を見せた。花の咲いたような明るい笑みだった。

 その明るい表情に、ヴィオラは記憶の片隅に何かが引っかかるのを感じた。


(同じコトを昔、誰かに言われたような気がする…。そうだ、子どものとき、今と同じようにお話を語り聞かせていたことがあったな…)


 ヴィオラは過去を思い返す。

 それは母を亡くしたばかりの頃だ。幼いヴィオラは義母と妹がやってきて居場所の無くなった屋敷をよく抜け出して、屋敷の近くの森に逃げていた。

 誰もいない森の中で物語を書いていたが、そこでヴィオラは子どもと出会った。確か、男の子だった気がする。

 その子と友達になったヴィオラは初めて自分の書いた物語をその子に読み聞かせた。すると、その子はヴィオラの語る話を楽しそうに聞いてくれていた。そして好きだと言って笑ってくれたのだ。


『僕、ヴィオラちゃんのお話、好きだよ。僕も勇者になって困っている人を助けたい』


 それが、ヴィオラにとって自分の話の感想を初めて聞いた体験だった。


(そうだ、私は、あの子に笑って欲しくて物語の続きを書いていたんだった)


 初めは現実の辛さを紛らわすために書いていたが、次第に話を聞いてくれる誰かを楽しませたいという気持ちがモチベーションになっていった。


(でも屋敷をこっそりと抜け出していたことがバレて、外に出してもらえなくなったんだ)


 そして今まで、屋敷を抜け出していたこと自体忘れてしまっていた。


(あの子はどうなったんだろう。どんな子だったのか思い出せないな…)


 当時のヴィオラは十歳ほどだった。男の子は自分よりも背が高かったから年上だったのだろうか。

 頭からぼろ布をかぶっていて、顔がよく見えなかったのをおぼえている。二、三回ぐらいしか会わなかったから、名前も知らなかった。

 当時は何も思わなかったが、あんな身なりをして人気のないところにいたから、彼は孤児だったかもしれない。

 物思いにふけようとしたとき、ドロシーが声をあげた。


「あ、アレクシスさまだ!」


 おかえりなさい、とドロシーが手を振る。彼女の視線の先を見ると、アレクシスがこちらに向かって歩いてきていた。


「おかえりなさい。今日はお早いですね」


 騎士の仕事は時間が不規則のようだが、ヴィオラがここに来てから、まだ日が沈みきっていないのに彼が帰ってきたのは初めてだった。


「気になることがあって、早く戻ってきた」

「気になること?」

「……いや、何でもない。そろそろ日が沈むから二人に声をかけて欲しいとマーサから頼まれた。……ドロシー、メルツ先生に本を読んでもらったのか」

「うん!」

「推し作家による生の朗読、正直うらやましいな…」


 ぽそりと彼は呟いたが、ヴィオラは聞こえないふりをした。ドロシーには意味がわからなかったようで首を傾げている。


「ドロシー、俺はメルツ先生に話があるから先に戻って欲しい。一人で戻れるか?」

「平気! メルツせんせー、じゃあね!」


 ドロシーは本を抱きしめるように持つと、片手でこちらに手を振って走り去ってしまった。

 ヴィオラはアレクシスと二人きりになってしまった。



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