2.お持ち帰りされる夜
「私のばかあ。ゲルダさんがせっかく創作に役立ちそうなネタを教えてくれたのに、なんで頑張りますの一言が言えなかったの…! 絶対やる気ないって思われたよう…」
ゲルダが去り、“猫の額亭”の奥にあるテーブル席に一人残されたヴィオラはため息をもらす。今後の仕事のためにも、表面上では自信があるように見せた方が良いのに、できなかった。
嘘をつけなかったのだ。ゲルダから教えてもらったネタを使って書こうとしたことは何度もあるが、やはり何も思いつかずに書けなかった。
だから無責任なことを言って、期待させたくない。
「やっぱり、小説家なんて辞めた方がいいかな」
ヴィオラはもう一度ため息をついた。
彼女は王都から離れた地方の領主の娘ヴィオラ=フリューリンクとして生まれた。
この国では貴族は魔力を持つ。まだ国として統一されていない頃、地方をまとめていたのは魔法使いだったからだ。初代国王の手で国が一つになった後、彼らは貴族としての身分を与えられたため、古の魔法使いを先祖に持つ貴族は魔力を持つのが普通だ。
産業革命が起き工業化が進んだことで、魔法が昔ほど特別扱いされなくなったものの、それでも貴族にとっては、魔力を持つことは自分たちの血統を示す最低限のステータスなのであった。
しかしヴィオラは貴族の娘として生まれながらも、魔力を持たなかった。
父は落胆した。
魔力を持たない娘に結婚を申し込む貴族はいない。ヴィオラは政略結婚の道具にすらなれず父から冷遇されていたが、母だけは違った。母はヴィオラを愛してくれて、父に反発していた。
しかしヴィオラが十の頃、母が病気で亡くなると、屋敷に義母と妹のオリヴィアがやってきた。
新しい“母”は父の愛人だった。彼女の子ども、ヴィオラにとって四歳年下の異母妹は魔力を持っていて、しかも魔力の質も量も優秀であった。
容姿も人形のように愛らしく、愛想も良く、周囲はすぐに彼女の虜になった。
生まれつき優れたものをたくさん持って生まれた妹は、まさに父の期待以上の娘で、父はオリヴィアを溺愛するようになり、ヴィオラの屋敷での居場所はますます無くなった。
義母は前妻の娘であるヴィオラを嫌い、魔力を持たない役立たずだと見下していた。
『魔力を持っていないのだから、厳しく教育する必要がある』と言われ折檻されるばかりで、そんな母に育てられたオリヴィアも姉を軽蔑していて、ヴィオラにだけは愛想を振りまかず使用人のように扱っていた。
息が詰まるような生活での、唯一の楽しみはこっそりと小説を書くことだった。
ヴィオラは元々空想をするのが好きだった。亡き母がよく物語を語り聞かせてくれたおかげだろう。母がいなくなったあと、家に居場所がない辛さを頭の中で空想を広げることで乗り切り、やがて小説として物語を文章として書くことに熱中した。
16歳のとき、ヴィオラは自分の書いた小説を王都の出版社に送った。家族に知られずこっそりと書いていたものだったが、いつしか誰かに読んで欲しいと思うようになっていたからだった。
小説家になりたいとは思っていなくて送ったことで満足していたが、ある日出版社から手紙が来た。送った小説を本にしないかという内容だった。
そして小説を書いていたことが家族にばれてしまった。
小説家は庶民の仕事であり、小説を……特に娯楽小説を書くということは、とても伝統のある貴族がすることではない低俗なことだと父と義母はみなしていた。
『魔力を持たない役立たずでも娘だから家に置いてやっていたのに、何故お前は恩も返さずに駄文を書き連ねているのだ。恩知らずめ。養ってもらっている分際でこんなものを書くなら、家から出て行け』
父はヴィオラに対して最後にそう言った。
そして彼女は勘当されるように家から追い出された。
それから王都へ行き、自分の小説を読んで手紙を書いてくれたゲルダと出会い、送った小説を本にした。
ゲルダの手を借りて、その後三冊ほど本を出したが、最初の本はそこそこ売れたらしいものの次作たちは鳴かず飛ばすだった。
原稿料とバイト代でギリギリの生活をしていたが、いつしかスランプになってしまって書けなくなり今に至る。
家から追い出されたことは恨んではいない。むしろ自分を見下す家族から離れられて良かったと思っている。
売れない小説家であるものの、本を出せたことは嬉しかった。小説を書くことでヴィオラは初めて人から認められた気がした。
今まで家族からはいるだけで役立たずと言われていたが、自分の書いた小説を読んでもらった人からは『応援している、頑張って』と言われて、ヴィオラは初めて感極まって胸が一杯になり、もっと頑張ろうと思ったのだ。
しかしヴィオラは書けなくなった。ネタが思い浮かばなくなってしまったのだ。
例え書けたとしても、どこかしっくりこなくて話が膨らまない。いつしかペンを握っても手が動かなくなり、原稿用紙に向かい合うのすら辛くなってしまった。
(……こんなに苦しいのなら、辞めてしまえばいいのに)
スランプで書けなくなってしまったから原稿料が入らなくなり、生活費を稼ぐためにバイトが増えた。執筆時間を作るために睡眠時間を削るようになり、目の下に隈ができているのはそのせいだ。
しかしそれでも、書けない。
(最初は小説を書くのが楽しかったのに、いつから苦しくなったんだろう)
ヴィオラはいつからスランプになったのか思い出そうとしたが、思い出せなかった。
俯くヴィオラの視界には、テーブルに置かれた青薔薇の花束がある。
“青薔薇の君”はヴィオラの今の状況を知ったらどう思うのだろう。毎年、青薔薇を贈って応援してくれているのに、書けなくなったと知ったら失望するだろうか。
窓の外を見ると、夕日が沈みかけて夜の帳が下りようとしている。暗くなってきたから、嫌なことを思い出し暗い気持ちになってしまったのだろうか。
(こういうときはお酒を飲むに限る。飲んで嫌な気持ちを吹き飛ばそう、そうしよう!)
この“猫の額亭”では夜は酒類の提供をしてくれる。ヴィオラは店員を呼ぶと飲みやすいカクテルを頼んだ。
ほどなくしてやってきたカクテルに口をつけていると、テーブルの片隅にゲルダが忘れていったアレクシス=アインホルン卿の新聞記事が目に入った。
ゲルダはアレクシス卿が“祝福者”だと言っていた。
“祝福者”とは通常の魔力持ちとは比較にならないほど、魔力の量も質も桁外れの存在をいう。その膨大な魔力は天災さえも自由に操れると言われるほどで、神から祝福を受けたとしか思えないことから、そう呼ばれるようになった。
(騎士の名家アインホルン家の次期当主であり、史上最年少で王立騎士団の副団長になって、生まれながらの祝福者かあ…。すごいいっぱい持っている人だなあ…。私には一生関係無い人だよなあ…)
新聞記事をもう一度眺めながら、ヴィオラはカクテルをちびちびと飲んでいた。
「飲み過ぎた…」
ヴィオラが“猫の額亭”を出る頃には、すでに夜になっていた。
青薔薇の花束を片手に抱きながら、ヴィオラは家路へと向かった。
四月とはいえ、夜風は冷たい。
外は大通りに出ても人気が少なく、時折すれ違う人はヴィオラの持つ青薔薇に目を惹かれてこちらをちらちらと視線を向けていた。
瞼が重く視界もぼんやりとしてきた。足下がよく見えなかったせいか、ヴィオラは躓いて転んでしまった。
「痛あ…」
立ち上がろうとすると足がズキズキと痛く、ヴィオラはそのまま座り込む。周囲には転んだせいで散ってしまった青薔薇の花弁が広がっていた。せっかくいただいたものなのに、ひどいことをしてしまったと思うとじわりと視界が滲む。無性に泣きたくなってしまった。
そのまま、ぼうと座り込んでどのくらい経ったのだろうか。酒が回って眠たくなってきたヴィオラの耳にガシャガシャと金属音が聞こえてきた。
顔を上げると、甲冑姿の騎士がこちらに向かって歩いてきていた。銀の鎧姿は王立騎士団のものだ。夜間の巡回をしているのだろう。
「どうした? 大丈夫か?」
問われ何と説明したらいいのか、霞がかかったような頭では思いつかなかった。とりあえず立ち上がろうとしたが、足首に痛みが走る。
「ああ。足を怪我をしているのか。立てるか?」
騎士が手を差し出す。おずおずとヴィオラがその手を取ろうとして、彼が言った。
「……君、それは」
ヴィオラが膝の上に置いた青薔薇の花束に気がついたのか、騎士の動きが止まった。彼は甲冑の上に頭から外套をかぶっていて、見上げても周囲が暗いせいもあり顔がよく見えない。
どうしたんだろうと手を引っ込めようとしたら、ぐっと強い力で引き寄せられた。
あっと思う間もなく立たされると、膝を攫われて抱き上げられていた。
ヴィオラは何も抵抗できなかった。ただ落とさないように青薔薇の花束を胸の前で握りしめることしかできなかった。
「手当をしよう。悪いが来てくれるか。シュネー=メルツ先生」
「ほえ?」
「……やっと見つけた」
騎士が最後に何かを言ったような気がしたが、限界がやってきた。酒が回ったヴィオラの意識は睡魔に負けて闇に沈んでいった。