10.氷の騎士に囚われる
「俺は昔から人よりも魔力が強かった。人から言えば神に選ばれた“祝福者”であるらしいが、俺にとってこの力はただの災いだった。幼い頃は制御ができず、よく魔力の暴走を起こして人を傷つけていた。昔の俺は呪われた子と呼ばれていたんだ」
アレクシスは自分の手のひらをじっと見つめながら語った。
「だから俺は森の奥深くの小屋に隔離され、暮らしていた。生みの親は知らなくて、たまにやってくる村人に世話をされて生きていた。彼らは俺の力を恐れていて、俺は森から出るなと言われていた」
「……」
彼の身の上話にヴィオラは絶句した。アレクシスにこんな過去があったとは想像もつかなかったからだ。
「外に出たいとは思ったことはなかったが、ある日、声が聞こえてきて外に出た。女の子を見つけて、彼女が声に出して読んでいる話を隠れて聞いているうちに、続きが気になってしまって、つい話しかけてしまった」
ヴィオラは思い出した。屋敷を抜け出して、森で幼いヴィオラは物語を口に出しながら考えていた。語り聞かせてくれた母をまねしていたのだ。
そのとき声をかけられて、木の影からこっそりと顔をのぞかせている男の子に気づいた。
『ねえ、続きはどうなるの?』
そう言われたのだ。
「世話をしてくれた村人たちは俺を怖がっていたから、誰かに物語を語り聴かせてもらったのはそのときが初めてだった。俺は君の物語に出てくる勇者にあこがれた。勇者のように、この力を人を助けるために使いたいと夢見るようになった。そう思ったら世界に色が付いたようだった」
あの男の子が幼いヴィオラの話を聞いて、目を輝かせて口にした言葉を思い出した。
『僕、ヴィオラちゃんのお話、好きだよ。僕も勇者になって困っている人を助けたい』
知らなかった。そんな事情があったことも。自分の物語を聞いて、そう感じてくれたことも。何もかも。
「でも女の子は、森にやってこなくなってしまった」
「……こっそり屋敷を抜け出していたから、父に見つかり監視の目が厳しくなって外に出られなくなってしまったんです」
「ああ。あとで噂で知ったよ。俺は女の子を探しに森の外に出て、当時の騎士団長だった父と出会い、事情を知った彼が養子に迎え入れてくれた。跡取りがいなかったからちょうど良かったと彼は言ってたが、色々な物を与えてくれて感謝している。俺に、名前をくれたのも父なんだ」
彼は当時を思い出したのか、目を細めた。
「シュネー=メルツのデビュー作を見つけたのは副団長に就任したばかりの頃だった。筆名からすぐに君だとわかったよ。嬉しかった。また君に出会えたみたいで」
「どうして、今まで教えてくれなかったんですか?」
薔薇園でヴィオラが昔話をしているときに、教えてくれても良かったのにとヴィオラは思ったが、アレクシスは首を横に振った。
「俺のことをおぼえているのか不安だった。執筆の邪魔もしたくなかった。でも俺のことを思い出してくれて嬉しかったよ、ヴィオラちゃん」
「!」
彼は笑った。当時の呼び名を口にしたアレクシスは、まるで子どものような無邪気な笑顔を向けた。記憶の中の男の子も、こんな顔で笑っていたとヴィオラは思い出す。
「私もまた、あなたと会えて嬉しいです」
その笑顔を見て、胸が暖かくなるのを感じた。自然と顔がほころぶ。物語を届けることができてよかったと心から思った。
「君と出会って俺には二つ、夢ができた。勇者のような立派な騎士になるという夢。そして騎士になれたら、もう一度君に会いに行こうと思っていたんだ」
「私に?」
「副団長になってから忙しくて会いに行けなくて、仕事が落ち着いたときには、君は伯爵のもとからいなくなっていた。だからずっと探していた」
そう言うや否や、アレクシスはヴィオラの手を取ると地面に片膝をついた。
いきなりのことに、あっけにとられている彼女をアレクシスは見上げる。
「ヴィオラ」
彼は自分の名前を呼んだ。
「俺と結婚を前提に付き合ってくれないか?」
「………はい?」
ヴィオラは彼が何を言ったのかわからなかった。いや言葉は聞こえたし、意味も理解している。だけど咄嗟に理解できなかったというか。
「え、え、ちょっと待って下さい。結婚? その、どうして…?」
「君が好きだから」
はっきりと言われ、握られた手から熱が上ってくるのを感じた。思わず手を引こうとして、アレクシスにぎゅっと握られてしまった。離さないというように。
「……私を? シュネー=メルツという作家ではなく…?」
「もちろん、シュネー=メルツ先生は俺の好きな作家だ。今も昔も、君の物語に勇気をもらっている。だから全力で応援すると決めている」
彼はまっすぐにヴィオラを見つめる。
「そして初めて会ったときから俺は君が好きだった。幼い頃、森で物語を聞かせてくれて、俺の世界に色をつけてくれた。夢を見せてくれた。君のおかげで今の俺がいる。これからもずっとそばにいて欲しい」
まっすぐな好意の言葉に、心拍数がどんどん上がっていく。
赤くなった顔を見られたくなくて、ヴィオラはもらった花束で思わず顔を隠してしまった。
「わ、私は何もしてないですよ。今のアレクシスさんがいるのは、あなたが頑張って努力したからです」
「それでもきっかけを作ってくれたのは君だ。そして君の物語が俺を支えてくれた」
「でも」
「……それともヴィオラちゃんは、俺のこと、嫌い?」
アレクシスが首を傾げる。
いつも無表情で淡々としているのに、今の彼は柔らかく微笑み、声もどこか甘い。目の前の彼が“氷の騎士”と同じだとは思えなかった。
どくん、どくんと心臓の音が大きくなる。手を握っている彼にも伝わってしまうのではないかと焦るが、彼は手を離そうとしてくれない。
「き、嫌いじゃないです。アレクシスさんが優しいのは知ってるし、一緒にいると私、おかしくなっちゃうけど、でも一緒にいることは嫌じゃないし…。わからないんです。自分の気持ちが」
自分でも何を言いたいのかわからなくなっていた。
だって、今まで彼とは作家とファンという関係でしかないと自分に言い聞かせてきたのだ。いきなり封印した気持ちと向き合えと言われても困る。
そもそも、人から好きだと言われたことがないのだ。愛を伝えられたのは幼い頃に亡くなった母以来だから、混乱してしまう。
「作家なのに、自分の気持ちを言葉にできないのか」
「あ、あう……」
指摘され、情けない声が出た。くすり、とアレクシスは笑う。
「冗談だ。わかったよ。君には考える時間が必要だということなんだな。そして俺は君に気持ちを自覚させればいい、と」
彼は掴んでいるヴィオラの手の甲に唇を落とした。
「ひゃう!?」
「ところで、続編のネタが思いつかないんだったな」
アレクシスはヴィオラの手を離すと立ち上がる。
蒼い瞳を向けられ、ヴィオラはふと、彼が自分の心を見透かしているんじゃないかと錯覚を覚えた。
ヴィオラをおかしくしている感情の名前を、アレクシスはとっくに理解しているのではないか、と。
羞恥なのか緊張なのかわからない胸の高鳴りを感じながら考えていると、彼は口を開いた。
「また、うちで執筆するか?」
(今度は逃げられそうにないかも…)
アレクシスが浮かべた不敵な笑みを見て、ヴィオラは予感めいたものをおぼえたのだった。
のちに、王都の大通りでヴィオラが青薔薇の花束を受け取ったのを見ていた人々によって“氷の騎士”がとある女性にプロポーズをしたという噂が広がることになる。
その相手が今、話題の作家シュネー=メルツだと人々が話をすることになるのを今のヴィオラはまだ知らない。
彼は噂が広がることを狙って、大通りでヴィオラに花束を渡したのではないか。
実は外堀を埋めようとしているのではないか。
そして、とうに自分はアレクシスに囚われてしまっているのではないだろうか。
彼の屋敷で執筆をさせてもらいながら、ヴィオラがそう疑うようになるのはまだ先の話だ。
これにて終わりです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!