1.スランプ作家と青薔薇の君
待ち合わせ場所として指定された喫茶店は、“猫の額亭”という名前だった。
その店は、王都の人々が忙しなく行き交う大通りから離れた裏通りに建てられていて、名前の通り小さな店であった。店内は表の喧噪から離れているから静かで、知る人ぞ知る店なので客も少ない。それゆえ今から会う人物とは、よくここで打ち合わせをしていた。
…していた。過去形である。
店内に入ろうとドアに手をかけようとして、ヴィオラははめ込まれたガラスに映った自分と目が合った。
ひどい顔だ。紫の瞳は不安げに揺れている。
ヴィオラは一旦ドアノブから手を離すと、背中まで伸びた亜麻色の髪を手櫛で整えた。くせ毛なせいで、きちんと整えてもすぐにもさもさになる自分の髪がヴィオラは嫌いだった。
目の下の隈は化粧で隠しているから目立たないはずだ。ロングスカートの裾のほこりを払い、ふうと息を吐く。落ち着け。落ち着け。深呼吸をしてようやく扉を開けて店内に入った。
ヴィオラが扉を開けると、カランとドアベルが鳴る。
その音に反応して、店内の奥にいた客の一人が「お~い」と手を上げた。
「メルツ先生、こっちです~!」
相手の声にヴィオラは慌てた。久しぶりに会うから失礼の無いように相手より先に来て待っているつもりだったのに。相手の方が先に来ていたらしい。
ヴィオラが足早に彼女の座っている席に近づくと、相手はにっこりと笑った。
「お久しぶりです。シュネー=メルツ先生!」
「お、お久しぶりです、ゲルダさん。ごめんなさい、お待たせしてしまって!」
「いやあ、私の方が早く来すぎてしまったんですよ。ささ、どうぞどうぞ」
促され、ヴィオラは彼女の対面に座った。
「半年ぶりですかね。最近どうです? 書けるようになってきました?」
「……ごめんなさい。まだ、です」
そうですか、とゲルダの返事が聞こえた。俯きながら答えたので、ゲルダがどんな表情をしていたのかわからなかった。
ヴィオラは小説家だ。シュネー=メルツという筆名で活動している。
目の前にいるゲルダは彼女の担当編集だ。四年前、16歳のとき地方に暮らしていたヴィオラは小説をとある出版社に送り、それがゲルダの目に止まった。それから本を出してみないかと誘われヴィオラは王都にやってきて、小説家として仕事をしている。
彼女とは駆け出しの頃からの付き合いで、この“猫の額亭”で何度も打ち合わせをした。駄目出しに涙したり、アドバイスに感動したりとヴィオラはゲルダの手で鍛え上げられていったと言っても過言ではない。
しかし彼女と会うのは半年ぶりだ。
なぜならば、ヴィオラが小説を書けなくなってしまったからだ。
その理由はさっぱりわからない。ある日突然、ペンが進まなくなってしまった。
書きたいとは思っているのだが、想いとは裏腹に“書きたい何か”がぱったりと思いつかなくなってしまった。俗に言うスランプという状態になってしまった。
書けなくなった彼女にゲルダは色々なネタを提案してくれた。ヴィオラもそのネタで書いてみようとペンを動かそうとしたが、白紙の原稿用紙を前にすると頭の中まで真っ白になりペンは動かない。
そんな状況が1年ほど続き、書けない作家と打ち合わせをすることもないので、ゲルダとは半年も会わなくなってしまったのだ。
そして久しぶりに会ったのに、ゲルダはヴィオラにネタを提供してくれた。
「実は今、すごく面白そうな人がいまして…。メルツ先生はアレクシス=アインホルン卿をご存じですか?」
「えっと、すみません。知らないです」
「知らないんですか? 今、女性人気がすごいんですよ。この人」
最近家にこもりがちで世間の流行には疎くなっているヴィオラに、ゲルダは説明してくれた。
「王立騎士団の副団長で現在23歳。史上最年少で副団長に就任した若き天才でもあり、代々騎士団長を輩出している騎士の名家、アインホルン家の次期当主。この前行われていた騎士団の凱旋パレード、“氷の騎士”目当てで見に来た女性で溢れかえっていたんですから」
「“氷の騎士”?」
「アレクシス卿の別名ですよ。彼の魔法属性は氷。しかも彼は魔力持ちのなかでも100年に一人現れるかどうかっていう特別な“祝福者”! その桁外れの魔力量でこの前、遠征先に現れた翼竜の群れを氷漬けにして一人で倒したほどなんですよ!」
なるほど、氷の魔法を使うから“氷の騎士”か…と納得するヴィオラにゲルダは、新聞記事の切り抜きを取り出した。
「そのときの記事がコレなんですけど…。見て下さい、この美形! 銀髪に蒼い瞳。まるで童話に出てくる王子様のような風貌でしょう!? 一部では国宝級とも呼ばれているんですよ!」
新聞記事の写真は白黒で彼の髪や瞳の色はわからないが、それでも端整な顔立ちをしているのはわかる。新聞の写真の解像度は荒いが、それでも男性に対して綺麗だ…と思ったのは初めてだった。
しかし写真の中の彼は無表情で、どこか冷たい雰囲気がした。白黒写真なのも相まって氷の彫刻のようにも見えてしまう。
「どんな性格の方なんですか?」
ヴィオラが内面について尋ねると、ゲルダは先ほどまでの浮かれた顔つきを引き締め、真顔になった。
「アレクシス卿が副団長になったのは今から4年前、19歳のときです。まだ年の若いアレクシス卿に反発した団員は多くいました。騎士の名家出身であること、しかも父親が前騎士団長であり本人も“祝福者”であることから、アレクシス卿は相当なやっかみを受けていたそうです」
「……そんな」
「王立騎士団は出自や才能だけで認められるような甘いところではなく、アレクシス卿が副団長の就任に決まったのはひとえに彼の功績が認められたからこそですが、彼を妬んでいる人は多く団内は分裂の危機に陥ったほどです」
ゲルダの話を聞きながら、ヴィオラは新聞記事を見つめた。
今まで彼を知らなかったヴィオラでさえ、彼女から話を簡単に話を聞いただけなのに、家柄も良く、才能もあり、なおかつ顔が良いとなるとスペック盛りすぎでは…と思うほどだったので、やはり良く思わない人は多かったようだ。
団員たちの心を掴むために今まで大変だったんだろうな…と思った矢先に、ゲルダは言った。
「アレクシス卿は自分の命令を聞かない団員に実力行使をしました。相手を氷漬けにしたのです」
「!?」
「今までの非礼を詫び命乞いをする相手も容赦しないという徹底ぶりだったらしいです。おかげでアレクシス卿が副団長に就任したばかりのころ、騎士団本部は氷像だらけで真冬のような冷気がたちこめていたとか。でもそのおかげで一気に団内は引き締まったらしいですよ」
(それって恐怖でまとめ上げたってこと!?)
ヴィオラは驚いて言葉を失った。
「それゆえ、ついたあだ名が血も涙もない心まで凍っている“氷の騎士”。…というわけです。顔に似合わず冷酷で苛烈な方らしいです」
てっきり、氷の魔法が得意だから“氷の騎士”だと早合点していたが、あだ名は性格面からの由来であったようだ。
(知らなかった。そんな怖い人だったなんて)
白黒写真だから冷たいような印象を受けたように思っていたが、第一印象はあながち間違っていなかったらしい。
「しかもアレクシス卿の氷のエピソードは他にもあるんですが…」
「まだあるんですか!?」
ゲルダは周囲をきょろきょろと見渡すと、声をぐっと落とした。そんなことをしなくても店内は客がいないのだが、内密にということなのだろうか。
「とあるご令嬢がアレクシス卿を食事に誘ったことがあるらしいのです。家柄も良く、見目も麗しく、男なら断る理由なんてないほどのお方だったのらしいのですが、アレクシス卿はお誘いを断ったらしいのです。その理由というのが『読みかけの本を早く読みたいから』だとか…。人より本を優先する読書家らしいのです」
「ええ…?」
「どうです? 創作意欲が湧き上がってきませんか?」
「あ、はは…」
ヴィオラは乾いた笑みを浮かべた。確かにネタとして使えそうだが、教えてくれたエピソードが強烈でちょっと引いてしまっていた。
「……っと忘れるところだった。今日は出版社にメルツ先生宛の贈り物が届いたのでお渡しにきたんですよ」
「!」
ゲルダは足下に置いた荷物を取り出すと、ヴィオラの顔面に、シュネー=メルツ宛に届いたという贈り物を差し出す。
それは青色の薔薇の花束だった。
「“青薔薇の君”が今年も送ってきてくれたんですよ。はい、メッセージカードも」
続いて渡されたものを受け取る。手のひらほどの大きさしかない小さなメッセージカードには、表にも裏にも送り主の名前は書いていなかった。ヴィオラが恐る恐る開くと、一行だけ文章が書かれていた。
“シュネー=メルツ先生へ。いつも応援しています。頑張って下さい”
その文面を見たとき、ほっとしたような寂しいような言いようのない気持ちがわき上がった。
「何者なんでしょうね。その人。毎年、メルツ先生がデビュー作を出版した日に合わせて送ってきてくれますよね」
「は、はい。もう三年になります」
「“青薔薇の君”の正体に、メルツ先生は心当たりないんですよね」
こくりとヴィオラは頷く。
ヴィオラには彼女の小説家デビューした日に、毎年青い薔薇の花束とメッセージカードを出版社に送って祝ってくれる人がいた。送り主の名前はいつも書かれておらず何者かわからないので、ゲルダはその人を“青薔薇の君”と呼ぶようになり、ヴィオラもそう呼んでいる。
16歳でデビューして、その翌年から送られてくるようになったので、もう三年になる。
この一年、小説家として活動していなかったので今年は贈ってくれないのではと思っていたが、例年通り青薔薇はヴィオラのもとにやってきた。
メッセージカードも同様で毎年同じ文章だ。ちょっとだけ寂しかったのは、今年は文章が変わっているのではないかと思っていたからだ。
「でも嬉しいです。たいして有名でもない私のデビューの日を覚えてくれて、わざわざ薔薇の花束を贈ってくれるなんて。本当はお礼をしたいんですけど、相手の名前も住所も書いていないから何も出来なくて、ちょっと申し訳ないです」
「……でもこの人、重くないですか? 熱狂的なファンの方って一線を超えたら怖いんですよ。私生活を暴こうとしたりとかストーカーになったりとかしちゃうんですよ?」
「そ、それは大丈夫じゃないですかね。私、顔出しはしていないし、筆名で活動しているので…」
「覆面作家だって安心はできないですよ。情報はどこかから漏れるものです。知らない間に狙われてしまっているかも…って、ああ!」
ゲルダは壁にかけられた時計を見て慌てた様子になった。
「すみませんメルツ先生、私そろそろ行かないと! 他の先生ともこれから打ち合わせがあるんです! それでは失礼しますね~!」
「は、はい。ありがとうございまし…」
ヴィオラが返事を言い終える前に、ゲルダは荷物とお会計を手にいなくなっていた。
カランコロン、とドアベルの音が店内に鳴り響く。
ヴィオラは一人、店内に取り残された。