第七話
「サディユース。すまん。森まで付き合ってくれ」
誠吾が次に向かったのは、近衛隊の執務室だ。サディユースのいる場所を誠吾は他に知らなかった。
「はい。セスリム」
誰にも聞かれずに話の出来る場所で、それなりの理由がたち、尚且つ秘密を守ってくれそうな相手を伴えるのは、誠吾の頭では森しか思い浮かばなかった。
「最初に、俺が現れた場所に案内してくれ」
「はい」
森へ入ると云う誠吾に、サディが用意したのは、皮の上着のようなものだ。指無しのグローブと共に、それを付けて、森への入り口に向かう。
揺れる吊橋は、渡ってみればそう怖いことも無い。確かに渓谷は深いが、吊橋自体はしっかりした造りだし、何よりもあの時とは状況も異なっていた。
第一、視点が上を向いているだけで、足元をしっかりと見る余裕すらある。
突然云いだしたにも関わらず、サディユースは何も聞かずに、誠吾を森へと伴った。そのあまりの素直さに、誠吾は自分がこれから話す事さえ、この男は見透かしているのではないかと疑りたくなる。
「セスリム。蔓はこのぐらいで宜しいですか?」
「ああ。そのぐらいでいいよ。それ以上は持って帰れない」
「何か、作るおつもりですか?」
「ああ。上手くいったらな」
一応、作りたいものがあるのは嘘ではないが、今日は口実の意味合いが強かった。
「なぁ。新月の夜って、どのくらいの人間がああなるんだ?」
「王子にお聞きくださいとは申し上げませんでしたか?」
さりげない問い掛けと云う芸当は諦めた。言葉のニュアンスさえ良く解からない自分に出来る筈が無いと、誠吾はストレートに聞くことに決める。が、サディユースはあくまでも王子に。と繰り返すだけだ。
「王子がああなるのは解かったし、それが一族の印だと云うのも解かった。俺が聞きたいのは別のことだ」
「別のこと?」
サディユースが眉を寄せる。
「一族ってどのくらいいるんだ? あれが全部?」
「根本的なところがいつも抜けている方だ」
ため息を吐いたサディユースは、腰に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
「一族で月の無い晩に出歩いているのは、番いのいない半端者ばかりですよ。発情期なんです。ああやって番いの相手を探しているんですよ。だから、しっかりと鍵を閉じろと申し上げたでしょう。貴方や他の使用人などが歩いていれば、いい獲物です」
「発情期?」
誠吾は目を丸くして、ため息と共に吐き出されるサディユースの発言を飲み込もうとしたが、どうしても信じきれない。
いくら獣の姿をしていても、基は人間の筈だ。それが、発情期?
あまりにも動物的なそれに、自分の訳が間違っているのではないかと、誠吾は改めて己の言語能力に疑いを持った。
「発情期って、何だ?」
「言葉の通りですが。貴方の国では、動物は子を作る周期は決まってはいませんか?」
やはり、訳は発情期で合っているらしい。
「え~と、つまり、あいつらも、その」
「その時期しか、子は出来ませんね。元々、番いがいないことの方が不自然なんですよ。一族の数自体が減っている」
「それじゃ、男がセスリムって、不味いだろう」
男相手では、子供など望むべくも無い。
「しかし、星の示したセスリムは貴方だ」
「一族が減ってるんだろう? 俺より、アデイールにはちゃんとした女を……」
そうだ。それなら、尚更自分でいい訳が無い。近衛隊長であるサディなら、そんなことは承知の筈だ。だから、サディはあんなにも慇懃無礼に接してきたのでは無いのか。
「貴方は、それで宜しいんですか?」
「いいも何も、それがアデイールの為で」
言い募っていた誠吾の足が止まった。誠吾の行く手を遮るように、サディの腕が誠吾に絡みついてきたからだ。
「貴方は王子のことをどう思っていらっしゃるんですか?」
絡み付いている腕は温かく、まるで優しく抱きしめられているようなのに、口調は厳しく攻め立てるようで、その裏腹さに誠吾は戸惑う。
「王子は大事だ。だからこそ、子供は作って欲しいし、俺ではいけないと思う」
「王子を男として愛していますか?」
ますますきつくなる腕の力に、ごまかしは効かないと誠吾は覚悟をした。
「自分の子供みたいに、可愛いと思うよ」
男として、という言葉には応えられない。少なくとも、今の自分にはアデイールはそういう対象では無いのだ。
「アデイール王子を愛してはいない?」
「そういう意味では、無いな」
王子を愛しているのは、自分では無く、あの女だ。誠吾は星術師の塔で会った、自分を睨んでいた女を思い出す。王子に似合いなのは、ああいう女だろう。
「では、俺はどうですか?」
「サディユース?」
背後から、まるで逃がすまいとするように抱きしめていた腕が緩んだ。
サディは、誠吾の正面に立ち、瞳を覗き込む。
「貴方が、王子を愛していないのなら、俺にもチャンスはありますか? セイ?」
「え?」
突然、告げられた告白に、誠吾は口を開けたまま、間抜けな返事を返した。
「俺の番いになってください。セイ」
「番いって。お前」
「俺にも番いはいません。だから、あの夜に一人でいたでしょう」
確かに、あの日サディは一人で出歩いていた。だが、サディはあの夜には人間だった筈ではないか。
「夜が更けるまでは、一族は人のままですよ。まぁ、番いの相手がいるものは、早くから引きこもりますが」
それはそうだろう。一月に一夜しかない子作りのチャンスなら、自分でもそうする。誠吾は妙に納得してうなずいた。
「貴方を狙っている一族は多かったので。王子が訪れるまでは、ドアの外もちょっとした攻防でした」
「へ?」
告げられた意外な事実に、誠吾はまたしても間抜けな声を上げてしまう。
「番いのいない一族にとって、異邦人など、自分のために現れたのかと誤解する基ですよ。だから、王子はあんな派手に自分のものだと威嚇していたのでしょう?」
そう云えば、ドアの外で奇妙なうなり声と争う気配があったではないかと、誠吾はふっと思い出した。その後に視覚に飛び込んだ、広場の光景のあまりの異様さに、すっかり忘れていたのだが。
「もしかして、あの日、ドアの外で護ってくれていた?」
「王子がいらっしゃるまでですけどね。発情期の我らは獣と変わりません。いつもなら、抑えられる筈の欲望が抑えられない」
「お前も?」
「ええ。貴方が欲しくて仕方がありませんでしたよ。王子のセスリムだと思えばこそ、我慢していたのです。でも、もし貴方が王子を愛していないと云うのなら、話は別だ」
じっと、サディが真摯な眼差しで、射る様な視線を投げかけてくる。
「どうか。セイ」
目の前にひざまづいた男は、完璧と云っても良いほどの美丈夫だ。
その男に、こんなに真摯に愛を囁かれれば、大抵の女はころりと落ちるだろう。だが、残念ながら、誠吾は女ではなかったし、余計に厄介なことになったのではないかと頭を抱える羽目になった。