表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憧憬の王城  作者: 真名あきら
本編
6/31

第五話

『サド』

サディとすれ違ったのは、油を取りに地下へと向かう途中だった。

散々痛めつけられた後に、『サド野郎』と呼んでいた誠吾の口は、思わす本音を漏らしていた。

「セスリム」

慇懃無礼の見本のような口調で、サディはうやうやしく道を譲る。その態度に馬鹿にされているように感じるのは、決して誠吾のうがちすぎでは無い筈だ。三十も過ぎた大人の男として、そのくらいの人を見る目はもっているつもりだ。

「サディユース」

「サドで構いませんよ」

どうやら、先程の誠吾のつぶやきは、しっかりと聞こえていたらしい。本当の意味を知ったら何と云うだろうか。

「どちらへ?」

「油が切れた。取りに行く」

「火油ですね。ご一緒します」

誠吾の手から油壺を取り上げ、サディは誠吾を護るように後ろを付いて歩き出した。

「今日は何かあるのか?」

いつもなら、誠吾の手など煩わされることは無い用事だが、レドウィルをはじめとする使用人たちは、今日は何故か早めに部屋へ引きこもってしまう日だと云う。

「ああ。新月ですからね。王子は何もおっしゃってませんか?」

「新月?」

地下の穀物倉にいる筈の見張りも、今日は誰もいない。いつもなら、人のさわめきの絶えない城の中が、今日は妙に寒々しかった。

「月の光の護りの無い晩は、出歩いてはいけません。本能だけの獣たちの晩です」

油壺を満たしたサディが、警戒するように周囲に気を配りながら、誠吾を部屋へと伴う。

「それって…?」

「これ以上のことは王子に直接お尋ねください」

「おいッ!」

質問しようとする誠吾の鼻先でドアはぴたりと閉じられた。

「今夜はしっかりと鍵をかけて。窓もぴったりと閉じてください」

ドア越しの声には、何処か切羽詰った響きがある。その追い詰められたような声に、ドアを開けようとした誠吾の動きがぴたりと止まった。

「貴方が今日、部屋へ迎え入れていいのは、金色の獅子だけです」

「金の獅子?」

金色のライオンなどいるわけが無い。何かの伝説か、それとも、王の象徴か。

しばらく、扉の前で固まっていた誠吾だが、外でうごめく気配と、低いうなり声にびくりと身を引いた。

サディの言葉を思い出して、急いでかんぬきを下ろす。

窓へ走り寄ると、月の無い暗闇の広場に、大型の獣が数頭徘徊しているのが分かった。

「何だ? あれは」

森の近くの山国だ。どう見ても、豊富な食料のありそうな森から、この城下へくる意味が無い。しかも、国への入り口は、誠吾が最初に渡ったあの吊橋しか無いのだ。

有り得ない事態に、窓を閉めようとした誠吾の動きが止まる。

その誠吾を、一頭の獣が目に留めた。

ゆっくりと近づいてくるその獣は、鹿に似ている。大きな角と、跳躍力のありそうな足は、ここまで簡単に登ってきそうで、誠吾は思わず一歩下がっていた。

その窓を何者かが、体当たりして閉じる。

威嚇の咆哮が、辺りに響き渡った。

途端に、うごめいていた気配が引いていく。窓の隙間から覗くと、獣たちはすごすごと何処かへと立ち去って行った。

誠吾はほっと息を吐く。

そのまま、窓際に座り込んだ。あまりのことに腰が抜けたようだ。

「あれは何だ?」

呟く誠吾の顔色は、蒼白に近い。何が起きたのか、誠吾には理解の外だった。

がたりと背後で音がする。

誠吾は、飛び上がった。窓が閉まっていないことを、今更ながらに思い出す。

おそるおそる後ろを振り向くと、開いた窓からのそりとその巨体を現したのは、金のたてがみをしたライオンだ。

誠吾はびくりと身を引く。じりじりと、自分でも嫌になるくらいの緩慢な動作で、あとじさるが、背中がベッドに突き当たってしまった。

その間も、ライオンは首で器用に窓を閉める。

誠吾は、その動きから目が離せなかった。何時、自分に襲い掛かってくるのか。喉をぐるぐると鳴らし、近づいてくる金色の巨体に、誠吾の腰は抜けたままだ。

ゆっくりと、近づいてくるライオンの金の瞳に縛られたように、誠吾は身動きが出来ない。

誠吾の脳裏を、サディの言葉が過ぎった。

『貴方が今夜、部屋へ迎え入れていいのは、金色の獅子だけです』

あの時には、何かの符丁か暗示だと思ったが、自分はこの獣に獲物として差し出されたのか?

ライオンの舌がちらりと覗くのに、誠吾はぞくりと身を震わせる。


金の瞳がじっと誠吾を見つめたまま、誠吾へ圧し掛かった。

ぺろりと誠吾の唇をライオンの舌が舐める。肩に噛み付かれ、押さえ込まれた誠吾に、逃げ出す術は無かった。

いや、逃げ出そうとした瞬間に、肩を噛み千切られてしまうだろう。

誠吾はじっと目を閉じた。

覚悟を決めて、襲い掛かる痛みを耐えるつもりだったが、それはいつまでも誠吾に訪れることは無い。

目を開くと、金のライオンは、じっと誠吾の首筋に顔を埋めたまま、鼻を鳴らしていた。

それは、まるで大型の犬が甘えているような動作で、誠吾は思わず、たてがみを梳くようにライオンの頭を撫でる。

金色の毛は、柔らかく、指にまとわることもないくらいにサラサラだ。

それで満足したのか、ライオンはすっと誠吾から離れ、窓の傍に陣取る。

その姿は、金のたてがみの所為もあって、まるでスフィンクスの彫像のように見えた。

王の墓ではなく、その獅子が護るのは、誠吾自身だ。

金色の瞳が、誠吾を見つめている。

そのいとおしげな瞳の色彩は、誠吾の心に、一人の少年の姿を浮かび上がらせた。


「アデイール?」


ぴくりと金のライオンの身体が震える。

「アデイールなんだな」

金の瞳が揺れる。それを見た誠吾には、それが有り得ないことだとかは、もう思い浮かばなかった。

「アデイール、何でこんな姿に」

誠吾はライオン、否、アデイールの傍に座り込む。その頭を抱きしめて、もう一度「何故」と問い掛けるが、獣になったアデイールに言葉は無かった。

「戻れるのか?」

それでも、言葉は通じているらしい。誠吾の問い掛けに、アデイールの首が縦に振られる。

誠吾はほっとして、アデイールを抱きしめた。

その誠吾の抱擁から、アデイールは首を振って逃れる。無言で示す拒絶に、誠吾は泣きたくなった。

どんな姿になろうが、それはアデイール自身だ。

「アデイール。どんなお前でもアデイールであることに変わりは無い」

もう一度、誠吾はアデイールの頭を抱きしめて、金のたてがみにキスを落とす。

アデイールは、びっくりしたような瞳で、誠吾の顔を覗き込んだ。

誠吾が優しく、アデイールを見つめる。

アデイールは、再び、誠吾の上に圧し掛かってきた。

ぺろりと唇を舐められ、首筋も舐められる。

大きな獣になったアデイールに、圧し掛かられた誠吾は、じゃれつく獣を笑いながら抱きしめた。

大きな舌が、いろいろなところを舐めまわす。

「くすぐったいよ、アデイール。こら」

くすくすと笑いながら、でも、誠吾はアデイールに逆らわなかった。

誠吾が慌てだしたのは、アデイールの頭が、下衣に潜り込んでからだ。

寝るときの衣装は、上下どちらも、軽くはおった着物を、紐で巻きつけただけのものである。

獣姿のアデイールだろうが、強く引っ張れば、解けてしまう。

「アデイール、駄目だよ。そこは」

下肢にもアデイールの舌が這う。アデイールの息はいつの間にやら、獣そのものの荒いものになっていた。

「アデイール?」

誠吾は、アデイールから逃れようと、身体をばたばたさせるが、大きな獣に圧し掛かられた体勢は、到底覆せそうに無い。

「アデイールっ! 止めろッ!」

誠吾が怒鳴り声を上げるのと同時に、アデイールの牙が誠吾の肩に食い込んだ。

誠吾の動きがぴたりと止まる。

もちろん、誠吾の肩を噛み千切るまでの強いものでは無い。牙で相手を押さえ込んでいるだけだ。

だが、そうと解かっていても、今の今まで、じゃれあっていた相手に受けた攻撃は、誠吾の恐怖を煽った。

「アデイール……」

誠吾が低く呟くが、それはアデイールの耳には一切届いていないかのようだった。

アデイールが、自分自身を下衣の上から、誠吾の下肢に押し付け、動き出す。

それは、獣の交尾を模したものだ。

メスの首筋を牙で押さえ込み、背後から襲い掛かる。

誠吾の目から、悔し涙が零れ落ちた。

子供だと思っていた相手に、なす術も無く押さえつけられ、逆らうことさえ許されない。

しばらく、動きに合わせて荒い息を吐いていたアデイールが、ふっと誠吾の身体の上から退いた。

誠吾の下肢はべっとりと濡れていて、情けなさを噛み締めながら、誠吾は下衣でそれを拭く。

むかついて、投げつけてやろうと、下衣を振り上げた先には、叱られた犬のような悲しげな瞳をしたアデイールが、誠吾を見ていた。

誠吾は、結局下衣を投げつけることは出来ずに、そのままベッドへ潜り込む。

アデイールに対する怒りと、それ以上に、自分自身に対する情けなさを抱えたままの就寝は、いつまでも誠吾に安らかな眠りはもたらしてくれそうに無かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ