王様の隣
後日談です。
異世界で生きていく事になった、サラリーマンと、王になった青年の生活を垣間見てみました。
右へ左へと飛ぶ。
リボンのついたバトンを高く放り投げる。
受け取ってくるりと廻すと、リボンが綺麗に輪を描いて、俺の周囲を囲むようにして、落ちた。
受け取った姿勢を保ったまま、直立不動でポーズを決めると、広間中で拍手が巻き起こった。
新体操もどきの踊りは、何処を廻っても受けが良く、旅芸人に拾われた俺は、これがあるからこそ、只の居候にならずに済んでいる。
今日は、この国の王様の前での演技をすることになっていた。
娯楽の少ない小国などでは、旅芸人が城に呼ばれるのは、珍しいことではないそうだ。
この山国もそうらしい。
まだ若い王様は、数年前に妻を迎えたと云う。
「お前の魅力で骨抜きにして来い」
リーダーのレスティールは、そう俺に命じたが、そんなに上手くいく筈が無い。
確かに、俺は男としては細身な方だし女顔だが、今までコマしてきたジジイ連中とは違う。若い王様には、政略結婚とは云え、似合いの綺麗な奥方がいる筈だ。そんな男が俺なんかに引っかかる訳は無い。
そっと、王様の表情を盗み見た。
若く逞しい王様は、隣に座った男に、しきりに話しかけている。
三十くらいだろうか? 黒髪に黒瞳の組み合わせは、この世界では珍しい。多分、俺と同じ『異邦人』だろう。
王様がその男の背を抱いて出て行く。どうやら、興味はもってもらえなかったようだ。
有力な貴族や、王の後ろ盾は、そこで長く芸を見せるために、取り付けておくに越したことは無い。木っ端役人に袖の下を払うにも、限界があるからだ。
「これで、しばらくは肩身が狭いな」
呟いて、広間の中央から下がると、そこに満面の笑みを浮かべたレスティールがいた。これは、王様じゃなくても、何処かの有力者の気は引けたらしい。
「ユウ。セスリムがお呼びだそうだ」
「セスリム?」
確か、セスリムと云うのは、王のお后さまの事だった筈だ。どうやら、とんでもない女狐らしいが、そんなことは俺にはどうでもいい。しつこいババアでなければ、ありがたいがと思いつつ、俺は素直にうなずく。
すると、そばに控えた兵士が、丁寧に頭を下げて、俺を促した。
そう云えば、王様の横には男が一人いたが、貰ったばかりだという后の姿は無かった。
政略結婚で、互いに興味は無いのかも。と思いながら、示された扉の前へと立つ。
「セスリム・セイ。芸人を連れてまいりました」
「ゼイアスト、ご苦労様。さ、入ってくれ」
開かれたドアの向こうからは、男の声が聞こえた。中へと入ると、中央に置かれたソファに、王様と先程王様の隣にいた男が座っている。
「良く来てくれた。『ニホン人』だよな?」
機嫌の良いらしい男が、対面のソファを示すのに、俺は腰を下ろしたものの、どういうことだと首を捻った。
「セスリム。では、私はこれで」
「ああ、悪いな。態々」
男がうなずくところを見ると、やはり、この男が『王のセスリム』らしい。俺は驚きを必死で押し隠した。
寄りによって、こんなオヤジが、王様のお后だと云われても、驚くのが普通だろう。しかも、絶世の美男子であるとか、逆に、男が見惚れる程カッコいいとかいう事も無い。男は何処から何処までも普通だった。むしろ、何処にでもいる冴えない系の、サラリーマンの典型に見える。
「突然呼び立てて、すまない。異邦人だと聞いたので、話を聞きたかっただけなんだ」
「はい。俺でよろしければ。ニホン人です。倉敷勇人と云います」
成程、俺に興味がある訳ではなくて、単に話が聞きたいだけか。まぁ、どういう意味でも、気に入ってくれれば、この国での興行がやりやすくなる。
「そうか。俺は、安芸誠吾だ」
「誠吾さまは、何故、俺が日本人だと?」
「誠吾さまってのは止めてくれ。ああ、何となく解るんだ。アジア系の中でも、日本人って、顔のラインが柔らかいだろう?」
「では、セスリムと呼ばせていただいても?」
「セイと呼んでくれればいい。食事しながらでも話は出来るだろう?」
セスリムが合図を送ると、使用人たちが食事を運んでくる。日本食もどきもいくつかあって、旅回りで干し肉中心の食生活を送ってきた俺には、久しぶりに口にするご馳走だった。
「新体操をやっていたのか?」
「いえ、普通の体操だけです。姉が、新体操をやっていて、動きは判っていたので」
「本格的にならっていなくても、ああなのか。羨ましいな」
セイさまは、良く笑い良くしゃべる。俺はいつの間にか、ノセられて様々なことを口にしていた。
ここに来てから、五年ほどになること。旅芸人の一座に助けてもらって、行動を共にしていること。嫌なことがあって、あまり帰りたいとは思っていないこと。
「そうか。まぁ、俺もそうだからな」
「セイさまも?」
「帰っても、迎えてくれる相手はいないんだ。俺は、この国で生きて行くさ」
寂しそうな面差しのセイさまは、何処か頼りなげで、抱きしめたい衝動に駆られる。
隣に座って、俺たちの会話を聞いていた王様が、セイさまの肩をぎゅっと抱きしめた。
どうやら、これ以上はお邪魔なようだ。
俺は、適当に礼を述べて、その場を辞した。
「あれなら、イケルと思わないか?」
事が終わったベッドの中で、レスティールがそんなことを云い出す。
「は?」
「あの男なら、お前の方が断然いいし、王も気に入るって。どうやら、王の好みは黒髪で黒瞳らしいし、あんな年寄りなんか、さっさと城から放り出しちまえば…」
レスティールがこういう事を云いだすのは、実のところ、初めてと云う訳では無い。
どうも、自分の愛人を王や、有力貴族の側室に仕立て上げ、自分は裏から実権を握ると云うのに憧れているようだ。
俺自身は、そういうのは面倒くさいと思っているから、何度か抱かれたところで、飽きるのを待って、さっさと暇をもらってくる。
だが、今度の王様は、見たところかなりセイさまに夢中だ。
そんなことを云いだしたら、首でも刎ねられるのでは無いだろうか?
もちろん、俺だって、死に掛けていた俺を助けてくれた、レスティールには恩を感じているし、すぐに俺を貢物代わりに差し出すような男でも、情はある。
「ここは警備の隙は無さそうじゃないか?」
今までのすぐに鼻の下を伸ばしていた、スケベ爺とは違う。
「いや、ここの王様は、結構単独で出歩いているらしいし、セスリムは奥に引っ込んだきりらしいから、いくらでも隙はあるさ」
云いだしたら、レスティールが聞かないのは、十二分に解っていた。俺は一応うなずいておくことにする。
「それに、新月の晩は、警備がつかない風習らしいぞ。決して、外に出るなと念を押された」
「新月の夜?」
何だ? そりゃ。新月なんて、明かりの無い晩に、警備が無いなんて、可笑しな国だ。
俺は上手く行く筈が無いと、確信を持っていた。王様のセイさまを見つめる色を見れば、それは火を見るより明らかだと思っていたのだ。
「おい、王が承知したぞ」
だから、そうレスティールが勢い込んで来たときも、俺はまた誰かに騙されたんだと信じて疑わなかった。
指定されたのは、城の片隅にあるどう見ても使用人が使っているような家だった。
まぁ、何人かにマワされれば事は済むだろうと、単純なレスティールを恨みがましく思いながらも、中へと入る。
意外と中はすっきりと片付けられ、置かれている家具や小物には上流階級のものと思しいものも見受けられた。
うろうろと歩き回り、二階に上がると、寝室があり、綺麗に片付けられたベッドがある。それも、かなりこの家の造りには不似合いな豪奢なもので、これは、本当に誰かの別邸かも。と考え始めたとき、下から上がってくる足音が響いた。
「珍しいな。アデイールがここに来たがるなんて」
足音は二つ。がちゃりと扉の開く音がして、俺はそこにあったついたての陰に身を隠した。
「星明りが綺麗だぞ。アデイール」
ベッドに寝そべったらしい、ぎしりと軋む音がする。
声は、どう聞いても、セイさまに聞こえた。どういうことだろうか?
『アデイール』と云うのは、確か王様の名前だ。
「ふふ、こら、アデイール。くすぐったいよ」
衣擦れの音に、俺は思わず、つばを飲み込んだ。
「あ、…ん。アデ、イ…ール、駄目だ」
セイさまの甘い声に、これ以上、ここにいるのは不味い気がして、俺はそっと部屋を出て行こうと試みる。
星明かりが暗い部屋をうっすらと浮かび上がらせた。
ベッドの上で二つの影がもつれ合う。
それを目にした瞬間、俺の脚は凍り付いていた。
セイさまの上に圧し掛かっている、『アデイール』と呼ばれている相手は、どう見ても、ライオンにしか見えない。
長い舌が、セイさまの身体中を這い回る。
セイさまはそれに、甘く声を上げて応えていた。
「もう、いい。アデイール。来い」
甘えるように身を摺り寄せていた獣に、セイさまが腕を伸ばす。
その言葉にライオンは、喜び勇んで飛び掛った。
気を失ったらしいセイさまの上から、獣が退く。
その瞳は、俺をしっかりと捉えていた。
ニヤリと獣の瞳が笑う。それを見た瞬間、俺は『見せつけられた』ことを思い知った。どうやら、あのときに、セイさまを抱きしめたいと感じたのを、見透かされていたらしい。
うっすらと朝の光が挿す中で、獣は人間の形を取り戻していった。
「セイは俺のものだ。俺の孤独をセイだけが癒してくれる。俺から、セイを奪おうとする奴らを、俺は決して許しはしない。お前の男にも良く云っておけ」
ぎらりと光る獣の瞳のまま、王様が俺を睨みすえる。
俺は、そのまま壊れた人形のようにうなずくと、急いでその場から駆け出した。
「大丈夫だったか?」
どうやら、レスティールは俺を探していたらしい。
息せき切って、走ってくるのと、危うくぶつかるところだった。
「ココは、新月の夜には、獣たちが寄ってくるらしい! お前、無事か? 何処も怪我は無いか?」
どうやら、朝から話を聞いて俺を探していたのだろう。
「うん。無事だよ。でも、危うく王様の怒りを買うところだった」
「不味かったのか!」
一気に青くなるレスティールを、俺は少々、脅しておく事にした。
「うん。セイさまに何かしようとするなら、投獄してやるって」
「べ、別に、セスリムに何かしようとした訳では…」
嘘付け。城から放り出せとか云ってた癖に。
「レスティール。俺、アンタが好きだから。もう、他の奴の相手は嫌だな」
「え?」
こすっからい男だが、優しいところもあるのだ。
少なくとも、俺を誰かに売りつけて、そのまんまとんずらすることだけは無かった。
「ホントか? ホントにか?」
「さぁ。どうだろう?」
疑わしそうに繰り返す、レスティールに、俺はあいまいな微笑を浮かべるに留める。
今日も快晴。さっさと城からなんか出て、街で公演に励もう!
<おわり>