第二十六話
大きなベッドに横たわる誠司の横には、手早く止血を終えた医師がいた。身体を点検し、他に傷がないかと確認する。
次に手に取ったのは、誠司が刺された短刀だ。正式な席には、男も女も短刀を腰に携える。
それを薬液に浸した医師は、緊張した面持ちのサディユースに、大きく頷いた。
あからさまにサディユースがほっとした顔をする。
「出血も多くないし、毒刀でもない。他に傷も無いようだ。後は本人の体力次第です」
血の気の失せた誠司の隣で、手を握り締めていた誠吾の身体が、ぐらりと傾いだ。
それをアデイールが抱きとめる。
「意識が戻った後は、滋養のある、消化によいものを食べさせて。あとは安静を保つことですね」
医師が立ち上がるのに、誠吾ははっとして立ち上がり、勢い良く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「座ってください。セイさま。私は治療をしただけです。処置が早かったのは、皆さんが手早く動いたからでしょう」
誠吾を椅子へと座らせながら、初老の医師が誠吾の額に触れる。
「むしろ、貴方の方が顔色が良くありませんよ。休んで元気にならないと。息子さんが元気になったときに、セイさまが倒れたのでは、息子さんは心配で、また病気になってしまいます」
噛んで含めるような医師の言葉には、素直にうなずくことが出来なかった。
「いいですか? セイさま。貴方が責任を感じたら、自分の身体を盾にして、貴方を庇った息子さんはどうしていいのか解からないでしょう? 余計な真似をしたとでも叱り付ける気ですか?」
「あ…、」
「お父さんに無事でいて欲しかったんですよ。ならば、貴方が元気でいることが、息子さんの願いです」
自分が刺されれば良かったと誠吾は思ったが、それでは、誠司もアデイールも悲しませる事になる。
「いいですか。セイさまも安静になさってください。そして、王子の戴冠式では、二人揃って元気な姿を見せてくださいよ」
「はい」
医師の言葉に、誠吾はしっかりとうなずき返した。そうだ、誠司は助かる。自分が信じなくてどうするのだ。
「アデイール。滋養のあるものって、何を食べさせたらいいのかな?」
「まだ早いよ。セイ。セージの意識が戻ったら、狩りに行こうか」
やっと、硬い表情の取れた誠吾に、アデイールはほっと胸を撫で下ろす。
「だが、今はセージをゆっくりと休ませてやろう。サディ、頼む」
誠吾の肩を抱いて、アデイールはサディユースを振り返った。
誠吾に良く似た、誠吾の息子。
倒れた時にいち早く差し伸べられた腕。
惑うことなく、自室に運び込んだことは、単に、誠司が誠吾の息子と云うだけでは無いだろう。
医師の治療中、硬い表情をしていたのは誠吾だけでは無く、サディユースもだ。
その青い瞳が、今、しっかりと誠司をひたと見つめている。
誠吾は複雑な気分で、そっと部屋を後にした。
「誠司はいつ帰るんだろう」
ぼそりと呟いた誠吾に、アデイールが振り返った。
「セージが帰る?」
「ドラテアが、誠司の星の動きが見えないって。誠司は、俺に引きずられてここへ来ただけだそうだ」
アデイールの腕が、力強く誠吾の背を抱く。それに、素直に身体を預けた。
「寂しいか?」
「まぁな。でも、俺はいいんだ。ちゃんとお前のそばで生きていくと決めたんだから。だが、サディは…」
やっと見つけた番いだと信じる誠司がいなくなった後、サディユースはどうするのだろう?
「セイ。それはサディが考えることだ。俺たちじゃ無い。だが、もし俺だったら、セイが元の世界へ帰ったら、追うぞ」
「追う?」
「異邦人が消えた時に、一緒に消えた者もいるんだ。それはきっとそういうことだと思う」
番いは絶対無二の者だという。それが消えたら、自分の存在意義は無い。
「じゃ、俺は安心してるよ。ある朝、俺が元の世界で目覚めても、絶対にお前が迎えに来るって」
「ああ。そうしてくれ」
アデイールが誠吾に折り重なる。その動きに身を任せながら、誠吾は全てをこの男に任せようと決めていた。
誠司が目を覚ましたのは、翌朝のことだ。
出血の所為で、血の気の失せた顔はしていたものの、言動もハッキリしているし、食欲もあると聞いた誠吾は、ほっとしていた。
ここでの医療技術がどの程度かは判らないが、麻酔や縫合も出来るようだし、とりあえず、後は傷がふさがるのを待つことと、栄養を取らせることしか出来ないのは、元の世界と同じだろう。
誠吾は、誠司が目を覚ましたと聞くと、弓を手に森へと向かった。
滋養のありそうなものと聞いて、肉くらいしか思いつかない自分が情け無いが、新鮮なものならば、内臓も食える筈だ。
内臓系が、血や肉を作るのに有効だというくらいは、誠吾の年なら、誰もが小学生の時分に教えられている。
「まったく、セスリムが自ら狩などなさらなくとも、俺たちに命じてくださればいいのに」「そう云うな。父親として、セイさまも何かなさりたいのだ」
今日はサディの代わりに、近衛の兵が二人、警護に付いていた。サディの信頼する兵士たちだ。
そして、誠吾の熱烈なシンパでもあった。
「セイさま、あそこを!」
「野うさぎです!」
二人は揃って声を上げたが、それは獲物を脅かさないように、囁くような声だ。
それを誠吾は聞き分け、つがえた矢を放つ。
矢は見事に命中した。
三度ほど繰り返し、一羽は取り逃がしたものの、そう長くない時間で二羽の野うさぎを捕らえた誠吾と、近衛兵が城へと向かう。
調理の方法などを、道々説明しながら帰途に付いた。ここには多分、生食の習慣などは無いだろうと云う誠吾の読みは当たったらしく、軽くあぶった程度で食卓にのせてくれと云う誠吾の言葉に、近衛兵は二人が共に目を丸くした。
誠吾の世界でも、生食を嫌う人間もいたが、ここは山間部であるので、生で食べる習慣が無いのは、まず日持ちの観点からだ。
「生の肉は滋養があるんだ。まず、誠司は出血が多かったから、それを補わなきゃいけない」
「それを補給するのに、あぶった程度で食べるのですか?」
「ああ。生でも構わないんだが、誠司は生肉が嫌いだったから、軽くあぶればOKかなと思って」
誠吾が最後に誠司に会ったのは、小学生の頃だ。生のレバーなど、食べる訳が無い。それを誠吾はすっかり失念していた。いつまで経っても、誠吾にとって誠司は可愛い小さな子供なのだ。
「セイさま」
踏み出そうとした誠吾を、一人が押し留める。
周りに走った緊張感に、誠吾ははっとして、弓に矢をつがえた。
気配は明らかに誠吾たちに害意を持っている。
誠吾は、ゆっくりと顔を上げ、それを誰何した。
「このまま帰れば、見逃そう。だが、俺たちに顔を見せれば、お前たちも引くわけにはいくまい?」
弓を引き、狙いを定める。
誠吾の周りを取り巻く空気は、鬼気というのに相応しかった。
アデイールを護る。それは、自分をも護ることに他ならない。
近衛の二人も剣を構えた。
背中合わせに、三方を睨みすえる。
このセスリムは、ただ護られている人ではない。共に戦う、戦える人だ。
どれだけの時間が過ぎ去ったか、感覚もあやふやになった頃、周囲の気配は薄くなる。がさがさと森の木々が動きを伝えては来たが、その音は段々と遠ざかっていった。
『最後の悪あがきか』
誠吾の呟きは、日本語だった為に、二人には聞き取れなかったようだ。
「セイさま。追わなくとも宜しいので?」
「いや、いい。ここまで来れば、そう事態は変わらないさ」
剣を収め、誠吾と近衛兵が城へと向かう。森を抜けたところにある山城は、今日も変わらず、そこに存在していた。
◆◆◆
「親父」
「すっかり元気そうだな」
サディユースの部屋へと誠司を訪ねると、傍らにサディの姿がある。それがすっかり自然な姿になりつつあった。
今まで座っていた椅子を誠吾に勧めると、サディユースは誠司の枕元へと移動する。
「もう大丈夫か?」
「ああ。サディが大げさなんだよ。もうちゃんと立って歩けるぜ」
「少し歩くと、息を切らしているのに。か?」
揶揄するように、サディが云うと、誠司は途端に唇を尖らせた。
「うるさいな。ちゃんと歩けてるだろ。父親に心配させまいとする子心を解かれってんだよ」
口答えはしているものの、それは甘えに他ならない。
「それは、良かった」
自然、誠吾の口元にも笑みが浮かんでいた。
「あ、親父。うさぎの肉、美味かった。ありがとう」
「あのくらいしかしてやれることが無いからな。医者でもないから、治してやることも出来ないし」
「セイさま。狩などは命じてくだされば宜しいのですよ」
「だから! 俺の為に行ってくれたの! 親心じゃん。それが嬉しいつってんのに、解からない石頭だな」
近衛隊長と云う立場から、つい口にしてしまったのであろうサディの不安を、誠司は不満気に、また口を尖らせる。
「セスリムとしての立場をお考えくださいと申し上げているだけだ。まったく、お前と云い、セスリムと云い、無茶ばかりをしてくれる」
それに真面目な顔をして反論しているサディが可笑しくて、誠吾はつい声を上げて笑ってしまった。