第二十四話
ジャスティも、それに表立って文句を付けるようなことは無い。
裏に廻ってはどうか知らないが、本当の息子であるかどうかに関わらず、それなりの不満はある筈だ。そこまで暴き立てる気は、アデイールにも誠吾にも無かった。
一族の長からくらい一言あるかと思っていたので、何となく拍子抜けの感さえある。
誠吾の披露目の日も決まり、おそらくは誠吾の披露目さえ終われば、アデイールの戴冠もしなければならないだろう。
城中どころか、国中がどこか浮かれたような雰囲気で包まれていた。
誠吾は奥向きの仕事で、アデイールは国政をとるのに、それぞれが忙しく過ごしている。
いよいよ二日の後に披露目が行われるというので、誠吾は久しぶりにドラテアに会いに、星術師の塔を訪れていた。
簡単な流れと、儀礼の順番などを教えてもらい、頭に叩き込む。間違えて恥をかくのは誠吾では無く、アデイールだ。
「そう緊張することは無い。多少違ったところで、お前は異邦人だ。何とでも云わせておくがいい」
「そうは行きませんよ。仮にも俺は王子のセスリムなんですから」
「自覚が出てきたようだな。結構なことだ」
くすくすとドラテアが笑う。今となれば、息子のように可愛いと云った自分は、一体何に目隠しをされていたのだろうかと、誠吾は思う。息子・誠司が現れてからは特にそう感じるようになった。
アデイールに対するものと、誠司に対するものは、似てはいるがまったく異なる想いだ。
「それと、お前の息子だが。多分、あれはすぐに帰ることになるぞ」
ドラテアが云いにくそうに言葉を紡いだ。誠吾ははっとして顔を上げる。
「星が動かない。私たちとは生きていくところが違うのだ。今までの異邦人とは違う。おそらくは、お前にひかれて来ただけだろう。いい子だ」
誠吾がうなずく。誠司は、誠吾がいなくなったのを己の所為ではないかと悔いていた。そこに誠吾の部屋で眠ったりしたものだから、気配にひかれて此方へ来てしまったのだろう。
誠司とも別れるときが近づいているのだと、誠吾は寂しさを噛み締めながら、自室への道を辿った。
部屋へ帰る途中で、呼び止められる。
そこへいたのは、アデイールの侍従で、誠吾に最初から好意を示してくれたひとりだ。
「セイさま。セージさまが、王子とお茶をなさっておいでです。セイさまも如何ですか?」
「ああ。いいな」
あんなに王子を嫌っていた筈の、誠司がどうしたことだろうとは思ったが、すぐに誠吾は思い直す。別に、アデイールを嫌っていた訳では無く、父親の相手が気に入らなかっただけだろう。まったくそういうところは、まだ子供だ。
一旦、こだわりが無くなれば、年が近いだけあって、馴染むのも早いのだろうと、誠吾はドアを開いた。
普段、執務を取っている、アデイールの部屋へ入ることは滅多に無い。
奥に存在するセスリムの部屋が、王子と二人の部屋だと云われていた所為もあったし、自分の役割は奥向きのことだけで、政治に口を出す気が無いという誠吾の意思表示でもあった。
執務室をさわやかな風が吹き抜ける。
どうやら、窓を開け放っているらしい。二人の姿も執務室の中には無かった。
中庭に面したガーデンへと続くテラスには、立派な古木をそのまま持ってきたらしい、テーブルがある。
そこへ足を進めようとする、誠吾の歩みが、ふと止まった。
若い笑い声が重なる。
余程、誠司の話が可笑しかったのか、アデイールはテーブルを叩いて笑い転げていた。
普段、誠吾の前では見せようとしない、年相応のアデイールの子供の部分。
それを目にした誠吾は、とてもそばへ行く気にはなれず、立ち尽くして、二人を眺める。
誠司が、アデイールに、まるで内緒話をするように、耳打ちする。
そこで、アデイールが顔を上げた。
アデイールの顔は、今まで見せていた子供のものではない。「男」の貌だ。
居たたまれなくなって、誠吾は走り出す。
何処へ行こうと云うつもりは無かった。
ただ、あの場から逃げ出したかっただけだ。
途中、誰かにぶつかり、転びそうな身体を受け止められる。
「すまん!」
「セイ?」
馴染みのある深い響きの声に、顔を上げると、そこにはひときわ背の高い青い瞳の銀髪の男がいた。
「サディユース…!」
「すごい勢いでしたよ。どうしたんですか? セスリム」
「セイ!」
後ろから若々しい声が追い掛けて来る。
思わず、誠吾はサディにすがり付くように、腕に力を込めた。
「セイ、何故?」
王子がどんな表情を浮かべているか見たくなくて、誠吾はとても振り向けない。
その誠吾を、まるで囲い込むように、サディの腕が背に廻された。
「サディ?」
「サディ!」
疑問を投げかけるように、サディを見上げた誠吾と、ぎりっと音がする程、歯を噛み締めたアデイールの声が重なる。
「王子。そのように冷静さを欠いては、出来る話もこじれてしまいますよ。ほんの少し、セスリムをお預かりいたします」
突き刺さる視線が痛い。誠吾を背を貫くようなそれが、アデイールのものであるのは間違いなかった。嫉妬のそれに、誠吾はほんの少しだけ、自分を取り戻す。
まだ、自分はアデイールに求められている。それが心地良かった。
「解かった! 但し、今日の執務が終わるまでだ!」
重い沈黙を破って、アデイールがきびすを返す。
誠吾はその気配がなくなったことに、ほっと息を吐いた。
「セスリム。お茶でも如何ですか?」
サディの執務室へと招かれ、暖かいお茶を口にしたとき、やっと肩から力が抜ける。
「レブザもどうぞ」
お茶の横に添えられたのは、最初にサディが自分に渡してくれた焼きチョコレートに似た菓子だ。
「懐かしいな」
飛ばされた当時を思い出し、くすりと誠吾は笑った。あの時とは、なにもかも変わった気がする。
口に放り込むと、ほろ苦い甘さが広がった。
「落ち着いたら、お帰りください」
「ああ。そうする」
程よい冷たさのサディの声に、誠吾は素直にうなずいた。
以前に感じていた執着は、欠片ほどしか感じられない。
「サディも番いが見つかったか?」
「俺はそうだと思いましたが、違うかもしません。ドラテアさまも何も云ってくださらない」
サディの落ち着いた態度は、それが根底にあるのだろう。
「星が示さなくても、お前がそう感じたのなら、きっとそうだろう。その気持ちを大事にしろよ」
元々、誠吾は占いの類は信じない方だ。それよりも、自分の心が動いた相手がそうだと信じている。だが、星の動きが示すことで、アデイールとは出会ったのだ。
思い出した瞬間に、誠吾の心に苦い気持ちが去来する。
子供の顔で笑っていたアデイールが、誠吾を見た瞬間に男の貌になった。自分が引き出したいと思った顔を、他の人間が引き出したことが悔しいのだ。
妻だった女には、感じたことの無い想い。これを嫉妬と呼ぶのだろう。
「俺、いま多分、嫌な顔してるな」
「いいんじゃないですか? 何があったかは知りませんが、王子は必死で貴方を追い掛けて来たでしょう? 俺に異様に対抗意識燃やしているんですよね。可愛いでしょう?」
人の悪い笑みを浮かべたサディユースに、誠吾は苦笑いするしかない。
確かにそんなアデイールが可愛くて、どうしようもないのだ。
はっきり云って、終わってる。
多分、傍目に見た自分とアデイールでは、下手をすれば親子に見えるかもしれないが、それを自覚したから、アデイールから離れられるかと云えば、答えはNOだ。
一息に茶を飲み干して、誠吾は立ち上がる。これ以上、ここにいては、アデイールにいらぬ心配を掛けることになるだろう。
「セイ?」
部屋へ戻った誠吾を迎えたのは、不安な瞳を揺らすアデイールだった。戻ったものの、仕事にはならなかったのだろう。
「すまん。大人げなかった」
誠吾は素直に頭を下げた。そんな顔をさせたかった訳じゃない。自分の醜い嫉妬で、こんな不安な顔をさせてしまった。
「謝ってほしい訳じゃない。話してくれ、どうしてだ? どうして逃げた? やっぱり俺とじゃ嫌なのか? サディみたいな大人の男が…」
「違う! アデイール」
誠吾は慌てて、言い募るアデイールを遮った。
「違う。俺は嫉妬したんだ。お前と一緒に笑ってた誠司に…」
「セイ?」
アデイールは信じられないと瞳を見開く。
「誠司と笑ってたお前は、ちゃんと子供の顔だった。俺には見せない顔だ。それが、悔しかった。それだけだよ」
「本当に?」
「ああ。お前が大人だと思い込んでる俺は、こんな男だ。カッコ悪いだろ?」
自嘲の笑みを浮かべた誠吾を、アデイールは骨が折れそうな程、強く抱きしめた。
「セイ、セイ…」
額に頬、唇はもちろん、首筋や耳にもアデイールのキスが降ってくる。
そのまま抱き上げられ、ベッドへと運ばれた。いつの間にこんなに大きくなったのだろう。出会った当時は、誠吾よりほんの少しだけ大きい少年だった。
抱き上げることも出来ず、サディに任せるしかなかったのだろう。
「アデイール。俺でいいのか?」
覆いかぶさってくるアデイールに、問い掛けた。
「セイがいいんだ」
華やかに晴れやかにアデイールが笑う。まるで大輪の花のような笑顔に、誠吾は満足してされるままに男を受け入れた。