第二十一話
『全然、連絡が取れないって云うから、俺たち急いで親父のアパートに行った。大家に頼んでカギ開けてもらったら、部屋の中は生活してたまんまで』
大家もさぞ、困惑しただろう。家賃は引き落としになっているが、一年も帰って来ないのでは、そろそろ退去も考えていた筈だ。だが、誠吾の親はとうに亡くなっていたし、妻とは別れている。何処へも連絡のしようが無い。
『警察にも捜索願を出したんだ。そしたら、自殺の可能性もあるって云われて……』
『悪かった。ここに来ていて連絡が取れなかったんだ』
多分、誠司は自分を責めていたのだろう。もしかすると、自分が父親に会いたくないと云ったのが元で、自殺でもしているのでは。と考えていたに違いない。
『時々、親父の部屋で寝てたんだ。そしたら、目が覚めたらここにいた。もしかして、親父もここにいるんじゃないかって』
『誰かに助けてもらったのか?』
自分がアデイールに助けられたように、きっと誠司にも面倒を見てくれた相手がいただろう。
『うん、偉い人の居候なんだって。ディオルって奴』
『ディオル?』
ジャスティの息子が確かディオルと云った。だが、居候なのは遠縁の子の筈だ。
「サディ」
「はい。セスリム」
肩越しにサディに声を掛けると、サディは恭しく腰を折った。
それに、しっかりと父親に泣きついていた誠司の腕がさっと外れる。さすがに思春期とあっては、見られたい光景では無いだろう。
「ジャスティ様が、確か遠縁の息子を預かっていると云っていたな。彼の名前は何と云うんだ?」
「息子と同じ名ですよ、ディオルです。ですから、ジャスティ様は遠縁の息子としか、いつも紹介されないんです」
「そうか。息子が世話を掛けたようだ」
「そうですか。で、セスリム。息子さんはこれから、どうされます?」
サディに聞かれて、誠吾は黙り込んでしまった。
誠司は帰りたがっている。だが、自分には、アデイールがいるのだ。ここで誠吾が帰ることになどなれば、アデイールは今度こそ癒しきれない傷を追うに違いない。
『ディオルから聞いたんだ。あの、森に帰れる場所があるんだって。そこに新月の夜に行けば、帰れるんだって云ってた』
『新月の夜?』
ここへ来て、三度目の新月の夜はすぐそこだ。
目を輝かせ、誠吾が帰ると信じて疑わない誠司の顔に、アデイールの捨てられた犬の様な寂しい瞳が重なる。
あの顔をもう一度させるのか?
帰ると云う言葉に、中々返事を返そうとしない誠吾の肩を、焦れた誠司が揺さぶる。
『なぁ、帰ろうぜ。親父は元々ここの人間じゃないんだ』
『……、』
『それとも、帰りたくない訳でもあんのかよ?』
『誠司』
顔を上げた、誠吾の辛そうな瞳を見た瞬間に、誠司は悟っていた。父には、もう帰る気は無いのだと。
『信じらんねぇ。ホントに王子をたぶらかしたってのかよ?』
『そう云われても、仕方が無いと思っている』
誠司の云い様はキツイが、端から見れば似たようなものだ。そういわれることも覚悟の上で選んだのだ。
「アデイールの傍にいてやりたいんだ」
誠吾はきっぱりと答えた。日本語ではなく、この国の、トレクジェクサの言葉で。
『王子は俺と同い年なんだろ! そんな野郎と…』
それでも、自分の息子に悪し様な言葉を吐きかけられるのは、辛かった。
『親父、自分がいくつか解かってんのか?』
『ああ。解かってるつもりだ』
誠司が腕を振り上げる。殴られるのも覚悟の上だ。
ひどい父親だ。息子よりも、アデイールを選んだ。だが、誠司には少なくとも自分やゆかりに、それに新しい父親にも、愛された記憶がある。アデイールには何も無いのだ。
じっと目を閉じていた自分に、だが、振り下ろされる筈の腕は、いつまで待っても痛みをもたらすことは無かった。
目を開くと、サディユースに腕を捕らえられた息子の姿がある。
「離せよ! この野郎!」
「貴方がセスリムの息子であっても、セスリムに乱暴させる訳にはいきません」
日本語で話していた内容は解からないまでも、誠司が殴ろうとしたことだけは解かったのだろう。腕を取ったサディを、誠吾が止めた。
「サディ。いい。俺は親として最低のことをしたんだ。殴られても仕方が無い」
「しかし」
「いいから、離してやれ」
渋るサディに、強い口調で誠吾は命じた。
「誠司」
手首をさする誠司に伸ばした手は、高い音を立てて払われる。
キッと睨みすえたかと思うと、誠司はバンと乱暴に扉を開け放って走り出した。
誠吾は追わなかった。追う資格は自分には無い。
そんな誠吾の気持ちを察したのか、一礼したサディユースが誠司を追った。
「セイ?」
またしても、自分の考えに没頭してしまったらしい。覗き込んでくるアデイールに、はっとして顔を上げた。
とりあえず、アデイールには、息子が現れたことと、息子と喧嘩してしまったことは伝えたが、その原因がアデイールだと云うことは云っていない。そんなことを云えば、アデイールは、誠司に対して申し訳ない気分に陥るに違いないからだ。
「大丈夫だ。何でもない」
笑いかけたものの、アデイールはまだ心配そうな面持ちを崩さない。
「セイ。息子さんと一度話してみないか?」
「今のあいつは、聞く耳なんかもた無い。時間が必要だな」
由りによって、父親が自分と同じ年の、それも男と関係していると聞かされれば、普通の親子ならば、亀裂が入る。しかも、異世界から戻らない理由がそれだと云われれば、誠司でなくとも、親に手を上げると云うものだ。誠吾だって、元妻と息子には、隠せるものなら隠したかったのが本音である。
「だが、いつまでも下働きをさせておく訳にはいかないぞ。セスリムの息子だ。ちゃんとした住居も整えて、城に迎えるのが筋だな」
「え? でも、アデイールのお兄さんは城下にいるって?」
自分の身内だから、城の中で暮らせというのだろうか?
「兄は生まれた頃から、ここで暮らしているし、一緒に暮らしている相手は城下の育ちだ。だが、セイの息子は違うだろう。いつまでも、ジャスティの後見で城の下働きと云うのは不味い」
云われて、誠吾ははっとした。誠司は、ジャスティの居候の世話になったと云っていた。街場ならともかく、居候の身で、城の仕事の世話など出来る訳が無い。
「後見人はジャスティなのか?」
「ああ」
「すまん。うかつだった」
そこまで思い至らなかった自分を、素直に詫びた。さすがに、それがアデイールの立場的に不味い事態だと云うのは、王宮などに縁の無かった自分ですら、解かる。
「いや。それより、妙なことに巻き込まれなければいいんだが」
アデイールが苦い顔をした。王子として育てられたからなのか、それとも誠吾に似合う大人の男になりたい故か、アデイールの言動は、時々、その年齢を忘れてしまいそうになる。
だが、そう考えて、はっと気付くのだ。むしろ逆だと。
日本人の若者たちの方が子供っぽ過ぎるのだ。特に発展途上の国では、十五にもなれば、立派な働き手である。それは、この山国で生まれ育ったアデイールでも同様だろう。
その上、この国をまとめる役割を課されてきたのだ。大人びていない方がどうかしている。
だが、誠吾は、それだからこそ、王子に自分の前では子供で居させてやりたかった。
「そうだな。ちゃんと捕まえて話してみよう」
誠吾は、自分の後悔に振り回されている場合ではないことを知って、思案した。どうすれば、あの子は自分と向き合ってくれるのだろうか、と。