第十九話
それを、黙って見逃す連中とも思えない。
おそらく、手出しをするのならば、アデイールより自分だろうと云うことぐらいは誠吾にも判っていた。
誠吾さえいなくなれば、アデイールの王位継承権は失われ、ディオルに継承権が移る。
ディオル自身の人物像は、まだ掴めないが、あの父親がいる限り、一族の良い様にされてしまうだろうことは、簡単に想像が付く。
「なるべく、派手に動いた方が良いのですか?」
「そうだな。少なくとも、星術師の塔は全てお前に付くぐらいのことは云ってもかまわんぞ。後、一族では無い大臣連中も味方に付けておけ。近衛隊はとうにお前の親衛隊であることだし」
「は?」
最後の一言は違うだろうと、誠吾は思わず問い返した。
「何だ、知らなかったか? 山賊の一件以来、お前の株はかなり近衛隊では上がっているぞ」
あれは、誠吾自身はセスリムの務めとして、当たり前のことをしたに過ぎない。
「あれは単に、やらなければならないことだっただけですが」
「お前がそういう男だから、近衛の連中も慕うのだ。それに、王子自身もな」
最後のとってつけたようなドラテアの言い草に、誠吾はちょっとカチンとなった。目を上げると、明らかに面白がっているドラテアの水色の瞳と視線が絡む。
「息子の様に可愛いと云っていたが?」
からかう様につむがれた言葉に、誠吾ははっとなった。思わず、下を向いてしまう。
こういうところがドラテアは苦手だ。容姿は充分に若い女のそれなのに、時折、全てを見通している誠吾より年上の年増女のようである。それは星の導きで全てを見通す水色の瞳の所為なのか、それとも本当に年上なのか判断がつかない。
「子供のようには訂正します。可愛いのはありますし、護ってやりたいとも思いますが、それはどっちかといえば、女に対するものです」
「恋愛の相手だとは認めた訳か」
正直に告白すれば、そういうことだ。もう、アデイールを息子のようだとは、誠吾にはとっくに思えなくなっていた。
披露目を行うことは、数日中には、城の中どころか、街まで広まった。
その所為なのか、誠吾は時折、刺すような視線を感じていた。
大概は、ソレの元は女たちの集まる場所でのことで、あての外れた連中の恨めしげなものだ。
まぁ、それもあり得るだろう。アデイールはまだ子供だが、先王の息子で、王に一番近い人物だ。それが、誠吾のような年の離れた男に横から攫われたのだから、欲にまみれた女たちからすれば、まさに『とんびにあぶらげ』だろう。
欲ではなく、純粋にアデイールを慕っていた女もいるのだろうが、それでも誠吾に引く気は無い。アデイールを支えてくれもしなかった女など、既に論外だ。
故に、誠吾は居心地の悪い視線だろうが、堂々と受け止めて胸を張る。
すれ違い様に囁かれる『王子を篭絡した淫乱』とか『男の癖に』と云った聞こえよがしな雑音は、きっぱりと無視した。
ただ、その中に混じる嫉妬とは明らかに違う、憎悪に近い視線だけには注意を払う。
何時、仕掛けてくるつもりなのか。緊張しながら、時期を待つのは、誠吾のような一般人には、かなり気骨の折れる仕事だった。
「セイ様。トゥルース様よりお手紙です」
「やっとか。結構、掛かったな」
いずれ、何かを云ってくるだろうとは思っていた。大体、レティメイルを誠吾に紹介したのはトゥルースなのだ。これで何も云ってこなかったら、逆に、翻意ありと見なされても仕方が無い。
「お祝いの席を設けるそうです。出向かれますか?」
当たり前すぎることを聞く、レドウィルにうなずく。最も、レドウィルだとて、ここで誠吾がうなずかないとは思ってもいない筈だ。
「まぁ、出方をうかがっていたんでしょう。あの方は用意周到な方ですから」
「どう出たら、自分に有利に働くか。ある意味、解かり易くていいがな」
だが、どうやらトゥルースは、ソラリエの毒殺には無関係らしい。少しでも関わっていれば、即座に申し開きに訪れただろう。その点は抜かりの無さそうな女だったと、誠吾はいつかの茶会での様子を思い出した。
「また、あの疲れる茶会か」
「耐えてください」
深いため息を吐いた誠吾に、レドウィルは容赦ない一言を吐く。確かにそうするしか無いのだが。
「愚痴ぐらい吐かせてくれよ」
と、誠吾は厳しい秘書に聞こえないように呟いた。
「まぁ、セイ様。おめでとうございます」
満面の笑みを浮かべて、誠吾を出迎えたトゥルースに、どっと疲れを感じる。
だが、これでめげる訳にはいかない。誠吾は気を取り直して、まるで窓口でクレーム客の対応をした時のような、最上級の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。トゥルース様」
「まぁ、敬語など要りませんわ。お披露目が終われば、すぐにアデイール様は王になられますわ。そのセスリムが私どもに敬語など必要ないでしょう」
のっけから狸と狐の化かしあい。透けて見える本音を、微笑と云うカーテンで覆い隠す。
今日も誠吾はサディを伴っていた。
敵地同然のところに乗り込むのに、サディ以外は伴うことは許さないと、レドウィルとアデイールは声を揃える。
「お前は気にならないのか?」
レドウィルはともかく、アデイールにとって、サディユースは誠吾という番いの相手を奪い合った当人だ。
「一族の間では、新月の夜のことは、不問に規すことになっている」
要するに、獣になった間の罪は問わないということだ。
「確かに、完全な獣になっている訳ではないが、引きずられる連中は多い。それを逐一あげつらってはいられない。まぁ、当人たちさえ納得すればという注釈つきだがな」
「当人たちさえ?」
その注釈で、誠吾にも想像は付いた。血の気の多い若い番いの無い連中が、獣になってうろついているのだ。何が問題かなど解かりきっている。
一人を争って、相手に怪我をさせるか、それとも知らずにうろついている相手を強姦でもするかと云うところだ。
「なるほどね。じゃ、俺も気にしない方がいいのか?」
振り向いた俺に、アデイールは少しだけ複雑な表情でうなずいた。俺は、アデイールを抱きしめる。
「嫌なんだろう? 気をつけるさ。ちゃんとな」
王者の鷹揚さを求められると知ってはいても、まだ、アデイールは子供だ。誠吾が振った形にはなっていても、不安なのだろう。
それは良く解かっている。アデイールのコンプレックスの一つは、自分が子供であることだ。誠吾が自分を選んだと知っていても、大人の男がその隣に並ぶのはいい気はしないだろう。ましてや、サディは誠吾を己の番いにと望んでいたのだ。
「お前が心配するようなことは、何も無い。むしろ、俺が気まずいくらいだぞ。自分が振った男に警護してもらうんだからな」
複雑な顔をしたままのアデイールの頬を誠吾が包むと、アデイールの表情からこわばりが解ける。
「すまない。セイ」
「まぁ、近衛隊長殿が付いてくれるのなら、あいつらも余計な手出しはしないだろうよ」
誠吾は苦笑いを貼り付けたまま、アデイールの首へ腕を廻した。
明らかな誘いに、アデイールは誠吾に口付ける。それが深くなるのはすぐだった。
ゆっくりと品良く見えるように、誠吾は長いローブのような上衣を落とす。横合いから、サディが恭しくそれを受け取った。
「…!」
その場に集った女たちから、息を呑む気配が伝わる。
誠吾の衣装は、以前に見た異国の衣装では無かった。かといって、普段造りの男物でも、華美な女物でもない。
上等の布は、晴れ渡った夜空のような明るい藍色の布に、同じ色の刺繍の施された、一見するとシックな感じだが、良く見ると手が混んでいることはすぐに解かった。薄い布の下衣に、羽織る形になっているが、ちゃんとした男物だ。
しかも、刺繍されているのは、星の座標図を簡略化した、星術師の紋だ。
「素敵な衣装ですわね?」
まだ、半ば呆然としながらではあるが、トゥルースは誠吾の衣装に手を伸ばす。手触りからも、最高級のものだとは解かった筈だ。
「ドラテア殿より頂きまして。少しは身なりに気を使えと説教されてしまいました」
にっこりと誠吾が笑う。ドラテアから貰ったのは本当だ。実は、開けるまでは何が出てくるかどきどきしていた。儀式用正装と、こういう場で使う着飾り様に、外向けの執務を行う際の簡易正装。
どれもが男物だった時には、ほっとしたものだ。どうやら、ドラテアは誠吾をからかっただけだったらしい。
ドラテアの云う通り、この衣装ひとつで誠吾の立場は確定されたようだ。
星術師の塔の長が認めた、王子の番いであり、次代の王のセスリムに、贈り物をすると云う行為は、誠吾の立場が公的に星術師の塔をバックにつけていると明言したも同様である。
トゥルースを始め、一族の女たちは、おずおずと祝いの言葉と贈り物を差し出し、その日は早々に解散となった。
この間まで、馬鹿にするような色が強かった女たちの、いきなりの変わりようは、誠吾に思わず嫌味の一つも云いたくさせる。
ただ、その中で、相変わらず自分を睨みつけてくるラウラジェスの視線が、むしろ心地いいくらいだった。
「それでは」
言い置いて、誠吾が立ち上がると、茶器を片付ける為に、下働きの少年が入ってくる。
もちろん、送りだされる為に、大勢の女たちに囲まれた誠吾には、その少年の後姿だけしか見えなかったが。
この場に居る筈のない少年は、誠吾の記憶にある姿より、幾分成長しているように思えたが、それがしばらく会っていない所為なのか、それともまったくの別人だからかは、誠吾にはまったく区別が付かなかった。