第十八話
すっかり道を覚えた、迷路のような回廊を歩く。ひたひたと後ろを歩く気配も、ずっと離れない。
そのまま、諦めてくれないものだろうか。と誠吾は考えた。
もし、自分がここに来たばかりの頃なら、喜んで差し出しただろう命も、アデイールのことを思えば、惜しくなる。
そっと自分に近寄る気配の主を、誠吾は諦めに似た気分で振り返った。
切りかかってくるその女の前に、誠吾は振り向き様に短刀を突きつける。
まだ、若い女だ。以前、見たことがある。意思の強そうな瞳の美しい女。アデイールと並べばさぞ似合いだと思った相手。
「メティエル。だったな」
先程、別れ際にドラテアが持たせてくれた短刀を向けたまま、誠吾が問う。
「レティメイル様をけしかけたのはお前か」
レティメイルに信憑性のある話を吹き込むには、それなりの地位がなければならない。
しかも、自分とソラリエを憎んでいる相手。
王子を慕うこの星術師ならば、王子に対する仕打ちにソラリエを憎んでいただろう。
突然、現れた王子を蔑ろにするセスリムも許せない存在だったに違いない。
「ならば、アデイールを支えてやれば良かっただろう!」
誠吾は本気で怒っていた。アデイールをあんなに愛情に飢えさせたままにしていた癖に。
睨みつけるように、メティエルを見据えた誠吾に、メティエルは泣きながら訴えた。
「何よ、何がセスリムよ! 男の癖に! もっと、王子に相応しい美しい人なら、諦められたのに!」
少し前なら、ひるんだかもしれないその言葉も、覚悟を決めた今の誠吾には笑い種でしかない。
「それでも、お前にアデイールは渡せない」
誠吾が云い放つと同時に、メティエルと誠吾の間に矢が突き立った。
矢を放ったのは、金色の瞳の王子だ。
「メティエル。云った筈だ。もう一度そんな発言をすれば、例え幼馴染のお前でも命は無いと」
◆◆◆
「セイ」
圧し掛かる重みを、誠吾は腕を伸ばして包み込むように受け止める。
「アデイール、俺は安静中じゃなかったか?」
揶揄するように笑うと、アデイールは不服そうに顔を上げた。
「セイは意地が悪い。そんなの嘘だとわかっている癖に」
もっともだ。そうでなければ、いくら誠吾が疑念をもったと告げても、今日星術師の宮に行く前に、アデイールとレドウィルのストップが入ったはずである。
狙いがソラリエと判明した時点で、レティメイルが疑われたのは当然だが、かといって、先王のセスリムを疑わしいだけで詮議する訳には行かないのだ。
その為に、誠吾の身が囮として必要だったのは承知の上である。
「解かってるよ」
誠吾は己を抱く若い獅子に笑いかけた。傷つけたくない、誰よりも護りたい相手。
「セイ――――」
アデイールの唇が肌を這う。時折、強く吸われた部分に鬱血の跡が残った。
最初は、かなり抵抗のあったこの行為も、アデイールが自分に示す執着の印だと思えば、嫌だとは思えなくなった。
「セイ」
行為の間、アデイールはずっと誠吾の名を呼び続ける。それも、誠吾には心地よい。
「アデ、イ…ールッ」
アデイールを呼ぶ誠吾の声も余裕が無い。
その空気を、誤魔化すように、誠吾が口を開いた。
以前から気になっていたことだ。
「なぁ、アデイール。お前、ホントに跡継ぎはいいのか?」
アデイールが自分に依存しているのは判ってはいるが、だからといって、本当にこのままでいいのか? メティエルのように強烈ではなくとも、やはり一般的にはそう考えるのが普通では無いだろうか。もし、アデイールの為に必要ならば。
「いらない。セイがいればそれでいいよ。それにそうして無理に跡継ぎを作っても、また俺のように番いがいなければ、同じだ。俺は父王の失敗を繰り返すつもりは無い」
誠吾を腕に抱えたままのアデイールの瞳に迷いは無かった。
「俺は母の様な女を作りたくはないし、セイがレティメイルの様になってしまうのは嫌だ。俺にはセイだけでいい」
すがりつくように自分を見つめるアデイールに、誠吾は腕を伸ばして包み込むように抱きしめる。
「母と話したよ。いろいろなことを」
母――――そうアデイールがソラリエを呼んでいることに気付いた誠吾が、がばりと起き上がった。
「セイが云ってくれただろう。母がいたからこそ、俺がいるんだと」
誠吾にしてみれば、そう独創的な言葉ではなかったが、それでも王子に感じるところはあったらしい。誰もがソラリエに同情を寄せながらも、レティメイルの手前、何も云えなかった様に、アデイールにもソラリエの気持ちを悟りつつ、誰も何も云わなかったのだろう。
「恨む気持ちが無くなった訳じゃない。でも、訳も無く捨てられた訳では無かったんだと思えた。セイのお陰だ」
「そうか」
ソラリエの子供を想う母としての気持ちが全て報われたのでは無いが、それでも少しでもお互いが分かり合えるきっかけが出来たのなら、それでも少しは良い方向に向かうだろうと、誠吾はふっと微笑んだ。
「アデイール。番いのお披露目って何をやるんだ?」
誠吾の言葉に、アデイールが目を丸くする。
「それって…」
「そろそろ、やっておかないと五月蝿いのがいそうだしな」
ニヤリと笑った誠吾にアデイールが抱きついた。
まさか、正式なお披露目などという真似を、誠吾がさせてくれるとは、アデイールとしては考えていなかったのだ。
確かにやっておかなければいけないことだが、誠吾の気持ちが固まらなければ、どうしようもないと、半ば諦め気味だったのである。
それに、誠吾のセスリムとしての仕事ぶりも、国民から寄せられる信頼も、現在は揺るぎの無いものになっている以上、披露目を先延ばしにしたところで、あまり問題は無かった。
五月蝿いのは、一族の長老連中と、一部の大臣。それに――――。
「先王の後宮。そろそろ解散させておきたいしな」
「ああ。俺の子供を生もうと云う意気込みは止めにしてもらわないと」
アデイールの眉根が寄せられた。跡継ぎの問題は、一族だけでは無く、先王の庇護を失った後宮の連中からもせっつかれている。ここいらで、誠吾以外を娶る気は無いと、はっきりとした意思表示をするべきだろう。
「明日、ドラテアに相談するよ。それに、ストラスにも。きっと張り切って準備に入る」
「張り切らなくていい。普通に済ませて欲しいぜ」
誠吾を気に入っているドラテアと、王子の成長を楽しみにしていたストラスの二人が用意するとなると、妙に張り切りそうで怖い。誠吾は、なるべく地味に済ませて欲しいと、目を輝かせている王子とは逆に、深くため息を吐いてしまった。
「儀式自体は簡単なものだ。私が認めればいいのだから。ただ、来賓は多いぞ。何といっても次代の王のセスリムだからな。トゥルース以来の派手なものになるのではないか?」
「面白がってませんか?」
ドラテアの多分に笑いを含んだ云い様に、誠吾はまたしてもため息を吐く。
「そうだな。ブルーのドレスを用意しよう。お前には白よりそっちが似合いそうだ」
「どっちも似合いません」
やっぱりそう来るか。と誠吾は肩をすくめた。半ば予想はしていたが、三十半ばのオヤジにドレス。キモイことこの上ない。だが、儀式の正装なら断る訳にもいかないし、何より、ドラテアが用意するというのだから、誰も文句はつけないだろう。
いっそ笑われる覚悟で着てみるしかない。
ストラスに、正式な披露目をしたいと云うと、涙を流さんばかりに感激していた。
「やっと、ご決断くださったのですね」
などと、拝み倒さんばかりに云われては、派手な披露目にならないと思う方がどうかしている。
改めて、アデイールの立場やら、それゆえに気を揉んできた人たちの自分に寄せる期待やらを感じ、誠吾はますますしっかりしなければ。と決意を新たにした。
「だが、その前に嵐はくるぞ」
ドラテアの言葉に、誠吾ははっと顔を上げる。
「お前にとっての試練だ」
「はい」
片付いていないことはいくつもある。ラウラジェス、ディオル、ジャスティとそのセスリムを筆頭とした一族。そして、後宮。
どれも、多分自分の披露目を大人しく待ってはいないだろう。
誠吾の披露目が終わり、正式にアデイールの番いとなれば、次代の王としてのアデイールの立場は揺ぎ無いものになるからだ。